日本の財政は本当に危機的状況なのか。財政規律の棚上げを是認する論者と財政規律を重視する論者の隔たりは大きい。「経済学の書棚」第12回後編は、公的債務の変遷をたどりながら、国家はどう対応すればよいのかを論じた『国家の債務を擁護する』と、独自の経済モデルによる分析を踏まえ、現状維持の政策姿勢が「よりましな選択肢のように思える」と率直に述べる『財政規律とマクロ経済』など3冊を紹介する。

前編 「 日本の財政は破綻するのか 財政赤字を考える本

政府債務の問題に政治や国民の関心を引き寄せ、行動を変化させるためには何が必要なのか。「経済学の書棚」第12回後編は、そうした問いに多くのヒントを与えてくれる3冊を紹介する
政府債務の問題に政治や国民の関心を引き寄せ、行動を変化させるためには何が必要なのか。「経済学の書棚」第12回後編は、そうした問いに多くのヒントを与えてくれる3冊を紹介する
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戦争、公共財、福祉の原資になった公的債務

 財政規律の棚上げを是認する論者と財政規律を重視する論者の隔たりは大きい。後編では、堂々巡りになりがちな議論を解きほぐし、現実を見据えて対策を練るのに役立ちそうな著作を紹介する。

 『 国家の債務を擁護する 公的債務の世界史 』(バリー・アイケングリーン、アスマー・エル=ガナイニー、ルイ・エステベス、クリス・ジェイムズ・ミッチェナー著/岡崎哲二監訳/月谷真紀訳/日本経済新聞出版/2023年5月刊)は世界に視野を広げ、公的債務の変遷をたどりながら、国家は債務問題にどう対応すればよいのかを論じた書だ。

『国家の債務を擁護する 公的債務の世界史』(バリー・アイケングリーン、アスマー・エル=ガナイニー、ルイ・エステベス、クリス・ジェイムズ・ミッチェナー著)。世界に視野を広げ、公的債務の変遷をたどりながら、国家は債務問題にどう対応すればよいのかを論じた書
『国家の債務を擁護する 公的債務の世界史』(バリー・アイケングリーン、アスマー・エル=ガナイニー、ルイ・エステベス、クリス・ジェイムズ・ミッチェナー著)。世界に視野を広げ、公的債務の変遷をたどりながら、国家は債務問題にどう対応すればよいのかを論じた書
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 公的債務にはそれなりの意義があるが、使い方を誤れば害になりかねない――。同書は、公的債務のポジティブな面とネガティブな面をバランスよく解説するために、「歴史」の助けを借りる。

 同書の記述を要約すると、古代ローマ帝国の末期から中世にかけてのヨーロッパに公的債務の記録はなく、紀元後1000年から君主による借り入れが再開した。紀元後1000~1400年、君主および国家の借り入れ協定が日常的に締結されるようになった。戦争の費用を賄うためだ。戦争は1000年以降のヨーロッパでは常態だった。

 16世紀までには国家債務を取引する市場が機能するための必要条件の多くが整っていた。軍事に成功し国家が生き残るためには信用貸しが不可欠だった。投資家は歳入の担保化と担保の差し入れなど自分たちの請求権を確保するメカニズムを発達させ、融資への意欲を高めた。国家による資金調達を円滑にした制度と手段は民間の資本市場にも活気を与え、商業と経済の発展に広く影響を与えた。

 17世紀半ばまでにはヨーロッパ諸国は国内総生産(GDP)の60%にも及ぶ債務を蓄積していた。1650年以降、ヨーロッパ大陸は安定した国境と国家的アイデンティティを持つ領土国家の1つのシステムにまとまり、国家間の紛争は少なくなった。政府の支出は戦争の資金調達から公共の財とサービスの提供に移った。上下水道や電気の需要が高まり、政府は輸送インフラ、電力、衛生設備への投資資金を調達するために債券を発行した。

 市場のグローバル化と民主化が同時に起きたのは19世紀になってから。拡大する個人投資家層が世界各地の国債に投資するようになった。20世紀に入ると債務の主眼は変化し、社会的サービスと移転の支出を賄うための債務に重心が移った。2つの世界大戦は累積債務の主因になったが、福祉制度の登場はやがて公的債務に多大な影響を与えた。

繰り返される債務不履行や債務整理

 歴史を振り返ると、公的債務は国家の発展・運営に欠かせない存在だが、その裏で債務不履行や債務整理を繰り返してきたことも分かる。同書では19世紀のラテンアメリカ諸国やオスマン帝国などの債務不履行のほか、フランス革命とナポレオン戦争後のイギリス、南北戦争後のアメリカ、普仏戦争後のフランスによる債務整理を紹介している。3カ国が債務整理に成功したのは財政黒字を出し経済を成長させる「昔ながらの方法」によると解説している。

 日本にも言及している。政府債務は増えていたのに日本国債の金利が下がっていたのはなぜか。日本の純債務は総債務ほど大きくない点、高い貯蓄率、国債残高の95%以上が国内で保有されている特殊性を挙げ、「これだけ高額な債務の返済はたとえ日本には可能だとしても、他の国々には不可能かもしれない」との見方を示す。

 最終章では、「債務の持続可能性の問題にうまく対処できた国は、安定した金融環境を維持し、適切なタイミングで財政引き締めに転じ、経済を成長させることによってそれを果たした」との教訓を導き出している。

 名古屋大学の齊藤誠教授は『 財政規律とマクロ経済 規律の棚上げと遵守の対立をこえて 』(名古屋大学出版会/2023年10月刊)で、自ら構築したマクロ経済モデルによる分析を踏まえ、財政規律を棚上げにする現状維持の政策姿勢が「よりましな選択肢のように思える」と率直に述べる。

『財政規律とマクロ経済 規律の棚上げと遵守の対立をこえて』。名古屋大学の齊藤誠教授は、自ら構築したマクロ経済モデルによる分析を踏まえ、財政規律を棚上げにする現状維持の政策姿勢が「よりましな選択肢のように思える」と率直に述べた
『財政規律とマクロ経済 規律の棚上げと遵守の対立をこえて』。名古屋大学の齊藤誠教授は、自ら構築したマクロ経済モデルによる分析を踏まえ、財政規律を棚上げにする現状維持の政策姿勢が「よりましな選択肢のように思える」と率直に述べた
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 過去四半世紀、政府の「借りっぱなし」と家計の「貸しっぱなし」が四つに組んだ状態で日本は財政規律を棚上げにできた。民間の家計が消費を抑制しながら国債(政府の借金)や貨幣(日本銀行の借金)を積極的に保有しているから財政規律の棚上げが可能になるのだ。

 齊藤氏は日本の財政をめぐる議論は「財政規律棚上げ派」と「財政規律重視派」に大別できるが、政府と家計が四つに組んだ状態だからこそ財政規律を棚上げできているという認識を持たないままに、棚上げ派が唱えるようにマクロ経済政策のアクセルを無闇矢鱈(むやみやたら)に踏み込んだり、規律派が求めるように政策のハンドルを逆方向に切ったりすると、財政規律棚上げを支えてきた条件が一挙に失われる可能性があると懸念する。

現状維持しか選択肢がない日本

 財政規律の遵守に頓着せずにいっそうの強度で財政政策を実行すれば、物価高騰が常態化するハイパーインフレーションに陥りかねない。「正常化」の題目で短期金利を思い切って引き上げれば物価と金利高騰の引き金を引いてしまう可能性がある。日本は自らの意思によっては財政規律を棚上げにした大胆な政策から撤退できないところまで来てしまったとの認識を示す。

 現状通り、財政規律の棚上げを続けるしか道はないのだろうか。齊藤氏は、確率は低いとしながらも、首都直下型地震のように災害復旧や復興の費用が年々の国内貯蓄を一挙に食い尽くすような出来事が起きれば、将来にわたって金利や物価が低位で安定するという人々の長期的な期待(予想)が崩れ去り、「財政規律遵守レジーム」にスイッチする可能性があるとみる。

 マクロ経済モデルによると、首都直下型地震を契機に物価水準は4倍以上に上昇し、短期金利はゼロ近傍から一時的に4%超にジャンプする。その後、物価は年2%の上昇、長短金利は3%に落ち着く。物価高騰で実質国債残高は圧縮されるが、基礎的財政収支を黒字化して国債の元利を返済していく必要が依然としてある。このときに財政規律の回復を怠ると、物価が継続的に上昇するハイパーインフレのプロセスに陥ってしまうと注意を喚起する。

 首都直下型地震のような出来事が起きない限り、日本政府は「財政規律遵守レジーム」に転換できないと見透かしているようでもある。それでは今、何ができるのか。齊藤氏が注目するのは財政支出の中身だ。財政規律棚上げを継続するにしても、政府の「借りっぱなし」と家計の「貸しっぱなし」が四つに組んでいると、国民が財政支出を負担し監視するという民主主義国家の基本原理をないがしろにしてしまいかねない。国民の代表である議会が財政支出の中身を監視することには依然として意義があると結んでいる。

 財政規律を棚上げして拡大している財政政策は有効に機能しているのだろうか。東京都立大学の宮本弘曉教授は『 日本の財政政策効果 高齢化・労働市場・ジェンダー平等 』(日本経済新聞出版/2023年7月刊)で、「賢い支出」をするためには財政政策の効果をしっかりと理解し、適切な実施方法を検討することが重要だと説く。

『日本の財政政策効果 高齢化・労働市場・ジェンダー平等』(宮本弘曉著)。東京都立大学の宮本弘曉教授は「賢い支出」をするためには財政政策の効果をしっかりと理解し、適切な実施方法を検討することが重要だと説く
『日本の財政政策効果 高齢化・労働市場・ジェンダー平等』(宮本弘曉著)。東京都立大学の宮本弘曉教授は「賢い支出」をするためには財政政策の効果をしっかりと理解し、適切な実施方法を検討することが重要だと説く
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高齢化で弱まる財政政策の効果

 同書は2部構成で、第Ⅰ部(第2~5章)では財政政策の効果を実証分析で明らかにしている。人口の高齢化は財政政策の景気浮揚効果を弱める。高齢化が進むと財政刺激に対する個人消費と雇用の反応が低下し、財政政策の乗数効果が低下するためだ。公共投資は雇用の創出を通じて生産を高めると考えられているが、マクロ経済に及ぼす効果はインフラガバナンス(公共投資支出の計画・配分・実施のための制度と枠組み)や労働市場の柔軟性に左右される可能性があるとの仮説を提唱している。インフラガバナンスの強い国は公共投資によるプラスの生産効果を享受する。労働市場が柔軟な経済では、公共投資は短期、中期ともに経済成長にプラスの効果をもたらす。

 景気刺激策としての財政出動は、不況期に男性よりも女性の雇用を増やす効果があり、労働市場での男女の雇用ギャップを縮小する。

 第Ⅱ部(第6~8章)は財政政策が労働市場に与える影響に焦点を当てている。時系列分析の手法である構造ベクトル自己回帰(VAR)モデルや、動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルを活用して分析した。政府支出の増加は生産量、民間消費、民間投資を増加させると同時に雇用を増やし、失業を減少させる。世界金融危機で各国政府が実施した大規模な財政政策の大部分は雇用対策であり、雇用助成金と欠員補助金の効果についても分析している。

 日本の針路を決めるのは、島澤氏のいう「シルバー民主主義」や「クレクレ民主主義」(前編 「日本の財政は破綻するのか 財政赤字を考える本」 参照)を主導する政治や国民だ。「財政規律棚上げ派」と「財政規律重視派」の論争を超え、政府債務の問題に政治や国民の関心を引き寄せ、行動を変化させるためには何が必要なのか。今回の前後編で紹介した7冊は多くのヒントを与えてくれる。

写真/スタジオキャスパー

巨大債務にどう対処すべきか? ヒントは歴史の中にある。

世界史的にみてもきわめて高い水準の巨大債務をかかえる日本は、どのようにして経済成長を実現しつつ、債務問題を管理していけばよいのか。日本経済最大の問題を考察するうえでも役立つ本格的な債務論。

バリー・アイケングリーン、アスマー・エル=ガナイニー、ルイ・エステベス、クリス・ジェイムズ・ミッチェナー著/岡崎哲二監訳/月谷真紀訳/日本経済新聞出版/3850円(税込み)
「賢い支出」のための経済分析

財政政策は高齢化などによって効果が変化し、労働市場やジェンダー平等にも影響する――。経済政策の新たな可能性に迫る先端研究。日本の経済政策を変える最新実証分析。

宮本弘曉著/日本経済新聞出版/3960円(税込み)