「人生に大きな差をつけるのは、IQより感情をコントロールする自制心や他者に共感し協調する能力」――。この自制心と共感力を「EQ」と定義し、全世界でベストセラーになった 『EQ こころの知能指数』 (ダニエル・ゴールマン著/土屋京子訳/講談社+α文庫)を、ヒトラボジェイピー社長の永田稔さんが読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。
IQよりも重要なEQ
EQ(感じる知性)とは、1995年に心理学博士のダニエル・ゴールマンが『EQ こころの知能指数』として出版し、全世界でベストセラーになったことで広がった概念です。
根底にある問題意識は、「一体、なぜこれほど頭の良い人が不合理と思える行動をとるのか」「学歴や頭の良さ(=IQの高さ)はビジネスや人生の成功を約束するのか」というものでした。
この問いには様々な研究が行われており、本書の中では「人生や職業の成功とIQの間には相関関係はあるものの多くの例外があり、IQが関係するのは多くても20%止まりだろう」と述べられています。「むしろ人生に大きな差をつけるのは、IQより感情をコントロールする自制心や他者に共感し協調する能力である」としています。
この自制心と共感力がEQと呼ばれる能力です。EQを理解する上で重要なのは、各自が持つ能力を十分に発揮するための高次元の能力であるということです。IQが高くても感情のままに動いてしまうことは自身の能力の発揮を妨げます。
高いEQを持つことは、自らと周囲が安定的にIQをはじめとする能力を発揮する上での必要条件となるのです。
特に現代のように変化の激しい時代には、人間は不安などの心理に陥りやすい状況にあります。感情を自制して他者に共感する能力は、仕事や家庭など社会生活を健全に営む上で必須の能力といえるでしょう。
問題は学校教育でもビジネスでもIQに目が行き過ぎ、もう1つの大切な資質であるEQに目が向けられてこなかった点にあります。
現在、職場の多様性が進む中でリーダーシップを発揮するには、EQの力が重要になってきています。人間には2種類の知性、考える知性(理性)と感じる知性(感情)があり、このバランスを取り、互いに補い合うことで職場の力を最大限に発揮できるのです。
若手の退職が相次いだのはなぜか
A社では、従来、管理職登用にあたって過去の成績や管理職としての能力適性を面接や論文試験などで検討し、人材の選抜をしてきました。
しかし、ある時から管理職に対する不満やそれを原因とした若手社員の退職が相次ぐなどの問題が起こり始めました。事態を重くみた社長は、人事部長に、「なぜ退職者が増えているのか?」「うちの管理職のマネジメントに問題があるのではないか?」と問いかけました。そこで人事部長は、管理職を対象とした360度調査や聞き取り調査を行いました。
その結果、判明したA社管理職の課題は以下の通りでした。
・プレーヤーとしての能力が高いゆえに、部下にも自分と同じ水準を求めてしまう
・目標を示す、進捗を管理するなどのマネジメント行動は高いレベルにある一方、部下の話を聞く、部下の状況を理解するなどの行動は弱い
・伝統的に「叱る」企業文化があり、部下を前にして感情的になってしまう上司が多い
などの傾向が表れました。
特に、若手社員の退職率が高い職場の上司たちは、感情の起伏が激しいという特徴が出ていました。仕事がうまく進んでいる際には、部下をとても褒めその気にさせるのが非常にうまいのですが、いったん失敗すると感情のおもむくまま皆の面前で叱ったりし、そのため部下は常に上司の顔色を見ながら仕事をしているような状況でした。そのような状況に疲れ、若手人材が退職していることが判明しました。
実際に退職した人に話を聞くと、「課長は能力も高いし業績を出す力も高く尊敬をしています。また、自分の仕事がうまくいったときには、皆の前でもすごく褒めてくれてとてもうれしかったのを覚えています。しかし、商談がうまくいかなかったときには反対に皆の前で怒られ、『そのようなことじゃ、この会社でやっていけないぞ』とまで言われました。課長は感情的な人で、言われたことが本音ではないと分かっているのですが、何度かこのようなことが続くうちに、自分も疲れてしまって、転職をしようと考えてしまいました」という本音が聞けました。
また、他の部署で現在働いている社員からも同様の声が聴かれました。
「うちの管理職の人は、感情をそのまま出すことをよいことだと思いすぎていると思います。感情を出すことで叱咤(しった)激励されることもあるのですが、その悪い面もあると思います。管理職の中には、怒りすぎて自分を見失っているんじゃないかと思う人もいます。また、ある同僚は、本来とても優秀なのですが、『いつか怒られるんじゃないか』といつもびくびくしていて仕事に集中できていません」とのことでした。
感情に配慮せず怒る上司に部下が萎縮
人事部長はその状況を見聞きし、これは非常に重大な問題だと考えました。人事部長は過去に知り合いから薦められて『EQ』を読んだことがあり、感情が能力に与える影響を理解していました。現在のA社の状態は、伝統的に皆が率直にものを言い合う、良いことをしたら皆の前で褒めるという良い文化を持っているものの、その一方で部下や同僚の感情に配慮せず指示したり怒ったりする上司が多いため、部下が萎縮し能力を十分発揮できない状況になっていると分析しました。
また、会社としても、上司を登用する際、過去の実績やリーダーとしての元気の良さ、エネルギーの高さを重要視し、自分の感情をコントロールできる人かどうか、部下や同僚の気持ちをくんで指導をすることができるかどうかを十分に確認してこなかった点を課題としてあげました。
人事部長は、人を褒める文化は残すものの、単に感情をそのまま出すのではなく、自制心を持って感情をコントロールすることが管理職に必要なことだと考えました。そこで、人事部長は3つの取り組みを開始しました。
1つは、現在の管理職に対するEQ教育です。
現在の管理職に対し、管理職としてEQを身に付けることが自分自身にもチームマネジメントにも双方に必要だということを認識してもらう取り組みです。
そこでは、感情的になることは時に人の動機づけになるものの、その悪い面も十分理解することが必要だと伝えました。感情的になることで冷静さを失い、理性的な思考ができなくなるリスクを伝え、結果として自分の仕事や意思決定に大きな悪影響を生む可能性があることを伝えました。
また、部下も感情によってパフォーマンスが大きく変わってしまうのだということも伝えました。部下の感情がよい状態のときには部下の能力も十分に発揮されますが、心配事や恐れの感情を持っている際には、それが部下の能力発揮に悪影響を与えてしまうということを、研修を通じて伝えました。
多くの管理職は、改めてそのように説明をされると自分の若い時を思い出した様子で、「確かに、いつ怒られるかと心配していると、仕事に集中できず能力が発揮できなかった」と述懐しており、研修は一定の効果をおさめました。
感情を自制する行動がとれるか
2つ目の取り組みは、管理職登用基準の改革です。
管理職の登用の際に、「感情を自制した行動がとれているか」「部下の気持ちをくんだ言動がみられるか」などの、感情を自制する行動や共感する行動がとれているかどうかを確認する360度評価を参考情報として入れました。これらの項目に問題がある場合には、リーダーシップリスクとしてとらえ、他の能力が優秀でも登用を見合わせ、気づきを与え修正行動をとらせるようなプログラムを用意しました。必要な場合には、外部のコーチをつけ、感情を自制する方法や部下の気持ちをいかに把握するかのトレーニングを受けさせることも行いました。
3つ目の改革としては、企業風土の改革に取り組みました。
すでに述べたように、A社には「叱る」文化があり、それは時によい効果をもたらしますが、人が感情的になるのを許容してしまう面もありました。「叱る」ということが単に感情的に行うものでなく、感情をコントロールし、相手の状態を把握しながら指導することだということを、ロールモデルを示すことで理解を促しました。
さらに、行動指針に、新たに「感情的に叱るのは禁止である」というDonʼtsを加えることで、社員全体に感情を適切に自制することの重要性を伝えることを開始しました。
このような取り組みにより、A社には徐々に感情の自制、他者に共感することの重要性が浸透していき、新たな企業風土が生まれつつあります。
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