2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』の時代考証を担当する歴史学者、小和田哲男さんの「新しい家康」が見える3冊。2回目は『図説 徳川家康と家臣団』(小川雄・柴裕之編著/戎光祥出版)。豊富な地図や地形図を使った解説で、数々の合戦や行軍がどのようなものだったかが見えてきます。また、身内だけでなく敵対していた勢力を次々と家臣団に登用していく「チーム家康」を丁寧に解説。NHK大河ドラマ『どうする家康』の格好のガイドブックとして読むことができます。

大河ドラマのガイドブックに

 「新しい家康」が見える3冊の2冊目は『 図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の“天下人” 』(小川雄・柴裕之編著/戎光祥出版)を紹介しましょう。本書の編著者である柴裕之さんは、私と一緒に大河ドラマ『どうする家康』の時代考証を行っています。

『図説 徳川家康と家臣団』(小川雄・柴裕之編著/戎光祥出版)
『図説 徳川家康と家臣団』(小川雄・柴裕之編著/戎光祥出版)
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 本書が優れているのは、なんと言っても「図説」というだけあり、写真や絵をふんだんに使いながら家康の一生を解説していること。戦国武将の肖像画や像、遺跡や地図などが掲載されていて、見応えがあります。私も読んでみて、「よくぞこれだけ、お集めになられたな」と感心しました。

 例えば「駿府城」といっても、今はもう東御門や巽櫓(たつみやぐら)など限られた建物しか残っていません。しかし、駿府城の鳥瞰(ちょうかん)図を見ると、日本一大きい天守台といわれる駿府城の規模がどれほどのものであったかが分かります。

 家康の3大危機として知られる「伊賀越え」も、地形を見るといかに強行軍であったかが分かります。本書では、数々の合戦も実際の地形や行軍の進路と併せて知ることができ、理解が深まります。

 ライバルの豊臣秀吉、従属関係にあった織田信長との相関図なども掲載されており、「これ1冊読めば徳川家康のすべてが分かる」といえるでしょう。

 ところで、家康というと「稀代の天下人」「取るべくして天下を取った」と思われる人が多いかもしれませんが、第1回 「小和田哲男 家康はなるべくしてなった『天下人』ではない」 で触れたように、実は違います。家康が天下を取れたのは、酒井氏、本多氏、大久保氏らの「三河武士」、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の「徳川四天王」といった家臣に守られていたからです。

 今回の『どうする家康』では従来のイメージである「策士」といった家康像とは違う姿が描かれ、それが見どころの一つとなっています。これまであまり知られていない家臣や武将が登場するかもしれません。その際、本書はガイドブックとして読むこともできると思います。

「チーム家康」はなぜ機能したか

 では、なぜ家康は家臣に助けられ、「チーム家康」を確固たるものにできたのでしょうか。それは、信長や秀吉にはない「度量の広さ」があったからです。

 例えば、三河一向一揆では、自らを裏切った本多正信を許して側近にしていますし、槍(やり)を向けた渡辺守綱も許しました。また、家康と戦って敗れた今川方、武田方、北条方の武将も、自らの家臣として迎え入れています。

 これが信長なら、迷わず斬って捨てたことでしょう。信長は敵対したり、家臣であったとしても、仕事ぶりが落ちたりすると見限る苛烈さがありました。重鎮の柴田勝家にさえ「自分のほうに足を向けて寝るな」という書簡を送ったり、本願寺攻めで結果を出せなかった佐久間信盛には、折檻(せっかん)状を突きつけて追放したりしています。

「家康には、信長、秀吉にはない度量の広さがありました」と話す小和田さん
「家康には、信長、秀吉にはない度量の広さがありました」と話す小和田さん
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 一方、秀吉は「人たらし」ですから、魅力にあふれる人物だったのでしょう。しかし、自分を支えてくれていた弟の秀長が亡くなると、朝鮮出兵をするなど、暴走が始まります。

 その点、家康は感情の起伏が激しくなく、寛容な人物だったようです。さまざまな史料を見ても、家康が家臣に怒る場面というのは少ないです。もしも私が戦国時代で3人のうちの誰かに仕えるとしたら、やはり家康がいいですね。信長、秀吉はつらいでしょう。

人質時代が天下人の基礎をつくった

 家康は幼少期に今川家の人質となりました。そのため、「我慢に我慢を重ね、耐え忍んで天下を取った」と思われがちですが、近年では「人質だけれども、実は大切にされていた」という説のほうが主流です。この時期、家康は今川義元の軍師・太原雪斎に一流の教育を受け、それが後の天下人につながったといわれています。

 やはり幼少期を見ても、家康1人の力ではなく、周囲に支える人がいました。「チーム家康」が形成されていたのです。いかにしてチームをつくるか、どのようにして皆で同じ方向を向いて進んでいくか、という生き方は、ビジネスパーソンにとって興味深いと思います。

 ここまで家康の懐の広さを紹介してきましたが、家康には「実の子どもに厳しい」という面もありました。徳川2代将軍を継いだのは三男・秀忠ですが、その前に長男・信康は切腹させられていますし、次男・秀康、六男・忠輝などにも冷たい。あまり自分の子どもとして真剣に愛情を向けておらず、その理由も「顔つきが好きではない」といったことだったとされています。

 ただ、晩年に生まれた九男・義直、十男・頼宣、十一男・頼房などとは一緒に能を舞うなど、大事にしていたようです。これは家康が17歳の初陣から、亡くなる1年前、74歳の大坂夏の陣まで戦場に出向き、家族を省みる時間がなかったことが関係しているのかもしれません。

 今回ご紹介した『図説 徳川家康と家臣団』を眺めながら、家康の一生に思いをはせてみてください。

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 撮影/木村輝