「アメーバ経営」「カイゼン」など、優れた企業には優れた経営理論が存在する。では、日本を代表する高収益企業キーエンスの経営理論とは何か。顧客ニーズに基づいた独自性の高い商品開発やソリューション提案を続ける仕組み、ファブレス経営といった取り組みの根底に流れるキーエンスの思想とは何なのか。大企業・中小企業を問わず、多くの企業を指導してきたキーエンス出身のコンサルタントである高杉康成氏は、キーエンスとそれ以外の会社の違いを体感してきた。キーエンスは「性弱説」で動いている、というものだ。本連載では、キーエンス流の性弱説に基づいた経営手法について紹介する。その第3回。

 社員が仕事の中で何かを考えたり行動したりする際、経営理念は重要だ。この事実を知っているからこそ、多くの企業が経営理念を浸透させるために、様々な工夫をしている。個々の社員がどういった考えの下、どういう方向に動くべきかのガイドラインになるものだからだ。

 例えば、「シュレッダー作業」という一般的な作業をどう実施するかを判断する際にも、経営理念は効いてくる。

 生産性を重視するような企業であれば、こういった作業は社員にできるだけしてほしくない。付加価値を生む作業ではないからだ。しかし、セキュリティーの観点からは重要な作業でもあるため、機密書類はきちんと処理しなければならない。つまり、自分たちでやるか、外注するか、という問題だ。

 ペーパーレス化が進めばシュレッダー作業自体が減り、以前よりも短い時間で終わるようになる。そうすると「ついでに自分でやってしまえばいい」と考えてしまう人が増えるが、それは正しいのだろうか。

 こういった判断をするときに経営理念がガイドラインとなる。自社の社員にどう振る舞ってほしいかを示すものだからだ。

 しかしながら、経営理念を浸透させるのはなかなか大変だ。唱和したり、見えるところに張り出したり、各社が様々な工夫をしている。それでも、「社員一人ひとりの行動に反映させる」までしっかりと浸透させる難度は高い。今回は、この「経営理念を浸透させる」活動について、性善説とキーエンス流の性弱説の観点から見ていこう。

 「最小の資本と人で最大の付加価値を上げる」

 これは、キーエンスの経営理念の1つである。キーエンスが高収益を維持しているのは、この理念が社員に深く浸透しているからといっても過言ではない。

唱和だけでは経営理念は浸透しない

 内容だけを見ると、似たような理念を持っている企業は多い。「経営効率を高める」「生産性を最大化する」といった文言が使われた経営理念や経営方針などをよく見かける。

 これらの会社とキーエンスの本質的な違いは文言にはない。それは「浸透のさせ方」にある。一般的な企業は性善説に立って浸透させようとしている。その一方でキーエンスは、性弱説に基づいて浸透させようとしているのだ。

 経営理念を浸透させる方法は多い。例えば、朝礼で唱和したり、クレドを作成したりする。クレドとは、「企業の経営理念を社員が体現するための行動指針」を指す。これを作成し、メモや手帳などに記載し可視化する。定期的に社員同士で読み合わせる会社もある。

 こうした取り組みは性善説に基づいている。「経営理念を唱和したり、クレドなどを使って可視化したりすれば、社員はそれを理解し実践する」という考え方だ。

 そして、これだけではなかなか浸透しないのが実態だ。また、「浸透具合」にも個人個人で差が出てくる。具体的に「浸透具合」を言語化してみると、次の3段階がある。

  1 内容を理解して行動に移し、成果につながる

  2 内容を理解して行動に移すが、成果につながらない

  3 内容を理解しているが、行動に移せないか、それほどしていない

 このように、「行動に移せるか」「成果につなげられるか」といった形で差が現れる。これらを性善説に基づいた方法で可視化して、個別に浸透具合を引き上げることは難しい。そのため、浸透具合も本人任せとなる。

 ここで先ほどの「生産性を最大化する」という経営理念をどう浸透させるか考えてみよう。

 社員Aさんは毎日、朝礼時にこの経営理念を唱和している。ある日上司Bさんから「余った時間に機密書類をシュレッダー処理するように」と指示を受けた。作業量自体は多くないため、上司の指示通り、Aさんは時間が余ればシュレッダー処理をしている。

 上司Bさんの考え方はこうだ。「生産性を最大化させるためには、外注費などの経費は削減すべきだ。だから外注によるセキュリティーボックスの設置より、自分たちが余った時間でやったほうがいい。また、セキュリティー対策の重要性を意識づける点からも、シュレッダー処理を自分でさせたい」

 さて、この上司BさんとAさんの行動は「生産性を最大化する」という経営理念に基づいた行動だろうか。2つの視点から考えてみる。

  1 余った時間を使うことは生産性を向上させることになるか

  2 余った時間を使うとはいえ、シュレッダー作業が生産性を上げることにつながるのか

 余っている時間に他の作業をするという前者の視点は一見すると、経営理念に沿った行動と捉えられる。ただしよく考えてみると、「成果につながっているか」という点で疑問が出てくる。

 この疑問の背景にあるのは、「時間が余っているからといって、シュレッダー作業のような誰にでもできる仕事をAさんがやるべきか」というものだ。一度、定量化してみよう。Aさんの人件費が月30万円だとする。月に20日出勤、1日8時間の勤務だとすると月間勤務時間は160時間となる。30万円を160時間で割って求められる時給は1875円だ。

 つまり、「成果につなげられたかどうか」は、この1875円と比べて価値のある仕事をしているかという形で可視化できる。

 Aさんの本来の仕事が営業支援業務だとしよう。他の社員の見積書を作ったり提案書を見直したりと、1時間当たり1875円を超える価値を生み出しそうな仕事は他にも多くありそうだ。つまりこのケースは、先ほど述べた「浸透具合」で見てみると、「内容を理解して行動に移すが、成果につながらない」ケースに該当する。

 なぜこういった行動をしてしまうのだろうか。答えは簡単だ。浸透方法が性善説に基づいていて、具体的な行動レベルで判断する仕組みがないからである。

 経営理念に「生産性を最大化する」と書き、毎日復唱していると、社員が自ら考えて行動し成果を出してくれる。このような経営者の性善説的姿勢が、「考えて行動はしたが、成果が出ない」ケースを生み出したのだ。

 では、キーエンスが採用しているような「性弱説」に立つと、どのように浸透させるのだろうか。

時間チャージの仕組み

 キーエンスでは「時間チャージ」と呼ばれる仕組みを採用している。これは、先ほどのAさんの時給1875円と仕事の付加価値とを比較させる考え方とほぼ同じだ。

 それぞれの社員の能力を反映した職能資格等級ごとに、例えば5等級2万円、6等級3万円というように、1人が1時間に生み出すべき価値を数字で示している。何か仕事をするたびに、自身の時間チャージと比較して「これは時間チャージを超えている仕事か」を簡単に判断できるようにするのが狙いだ。

 先ほどのシュレッダー作業の場合、仮に機密書類溶解処理サービス(セキュリティーボックスの回収)の価格が1箱1500円だとする。Aさんのシュレッダー作業の分量が1回20分、処理量は1箱の10分の1だとしよう。

 時間チャージはAさんの時給1875円の3分の1(20分)だから625円となる。対して外注する費用は1500円の10分の1なので150円だ。この金額差を覆すだけの特別な事情がない限り、機密書類処理は外注すべきだという判断になる。

本業を外注すべきか

 シュレッダーの事例は分かりやすいほうで、次のような事例になると判断が難しくなる。「本業を外注すべきか」を見極める必要があるケースだ。

 カタログデザイナーのBさんには、新商品のカタログをデザインする仕事がある。Bさんの時間チャージは2万円で、デザインにかかる時間は20時間と見積もっている。この仕事を外注した際の見積もりは20万円だった。

 このケースの場合、外注すべきかどうかの判断はシュレッダーのときより割れるだろう。一般的な企業では「Bさん本来の仕事だからBさんがやるべきで、外注に20万円も使うべきではない」と考える人が多いのではないだろうか。Bさんはデザイナーだから、デザインの仕事をすることが当然だという考えだ。

 ところがキーエンスでは、こういった場面でも外注に出すケースが多い。時間チャージ2万円のBさんが20時間で生み出すべき価値は40万円となり、外注に出す場合の20万円よりも高くなるからだ。

 判断を迷わないようにするために時間チャージを決め、仕事にかかる時間を見積もり、内製か外注かを判断させるのが性弱説のアプローチだ。もちろん、デザインの質という観点や、一刻も早くカタログを完成させる必要があるといった事情から、Bさんがやったほうがいいと判断するケースもある。そういうケースでも、金額を把握した上で、「時間チャージを検討した上でも、内製すべきだ」と判断して進めるのがキーエンスの考え方だ。

付加価値を生む覚悟

 これを読んで疑問を持つ読者もいるのではないだろうか。「こんなことをしていると、いくらお金があっても足りない」と。Bさんの本来の仕事を、外のデザイナーに依頼してやってもらうわけだから、そう考えてしまうのも無理はない。しかしながら、この考え方こそ、キーエンスが高収益を生み出し続けるために必要なものなのである。

 キーエンスは、1人が1時間に3万円の付加価値額(粗利益)を生み出す集団なのだ。その質を維持し続けるための活動の1つが、時間チャージによる一つひとつの行動の生産性の吟味だ。

 キーエンスの2023年3月期の有価証券報告書によると、売上高9224億円に対し売上総利益(粗利益)は7547億円だ。粗利益率は81.8%に達する。そして従業員数1万580人で粗利益を割った、1人当たり年間粗利益は7133万円。キーエンスの年間稼働日数はおおむね240日、1日の平均労働時間は10時間程度(残業2時間を含む)であるため、1人当たりの平均年間勤務時間は2400時間。年間の粗利益を2400時間で割ると、1人1時間当たりの粗利益は2万9720円と、ほぼ3万円になる。

 粗利益とは売り上げから売上原価(製造原価)を引いたものであり、会社が生み出した価値そのものだ。このような集団であるため、「1時間に3万円の価値を生み出せる人は20時間あれば60万円の価値を生み出せる」「外注して20万円で済む仕事の価値は20万円である」と考え、60万円の価値を生み出せると期待されている人材に20万円分の仕事をさせず、外注する。

 こうした考え方を徹底するからキーエンスは高収益を実現する。そして、高収益企業だからこそより多くの仕事を外注でき、より高付加価値の仕事に社員を専念させられる。

 時間チャージの活用は外注の判断だけではない。会議を行う際に、参加者の時間チャージをすべて計算し、会議で生み出さなければならない付加価値額を可視化するのも取り組みの1つだ。そうするだけで、関係者全員に声をかけるのではなく、本当に呼ぶ必要がある人だけを呼ぶようになり、会議の生産性が高まる。

 企画書を作成する際にも作成時間を記入させ、時間チャージを意識させる。

 キーエンスが営業日報を1分単位で記入させるのも同じ狙いだ。時間チャージ3万円の社員の場合、1分単価が500円になることを意識させるのだ。

 このように、時間チャージを使う場面が至る所にあり、それを実践することでおのずと社員が生産性を気にして働くようになる。

 労働生産性や人時生産性などと定義や呼び名は違っても、「生産性を可視化する仕組み」は多くの企業で見られる。それらの定義や呼び名の違いはあまり重要ではない。それらを社員に浸透させ、成果につなげられるかどうかは、社員が容易に判断し、実践できる仕組みを導入しているかどうかにこそあるのだ。

(写真:わたほこり/stock.adobe.com)
(写真:わたほこり/stock.adobe.com)

日経ビジネス電子版 2024年6月18日付の記事を転載 
※本記事は「日経トップリーダー」2024年6月号の記事を基に構成]

超高収益企業キーエンスを貫く根本的な考え方「性弱説」とは、人を善悪ではなく弱いものと捉え、その前提に立ってビジネスにまつわる仕組みや制度を整えていくこと。日経トップリーダー、日経ビジネス電子版での連載「キーエンス流『性弱説経営』」に、100ページ以上の書き起こしを加えて再編集した本書は、キーエンスと一般的な企業の間にある考え方の違い、それによる行動の違いについて理解を深め、読者の皆さんがご自身の働き方を見つめ直すきっかけの提供を目指しています。

高杉康成著/日経BP/1870円(税込み)

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