「アメーバ経営」「カイゼン」など、優れた企業には優れた経営理論が存在する。では、日本を代表する高収益企業キーエンスの経営理論とは何か。顧客ニーズに基づいた独自性の高い商品開発やソリューション提案を続ける仕組み、ファブレス経営といった取り組みの根底に流れるキーエンスの思想とは何なのか。大企業・中小企業を問わず、多くの企業を指導してきたキーエンス出身のコンサルタントである高杉康成氏は、キーエンスとそれ以外の会社の違いを体感してきた。キーエンスは「性弱説」で動いている、というものだ。本連載では、キーエンス流の性弱説に基づいた経営手法について紹介する。その第6回。

 「ニーズカードの仕組みをつくったがうまくいかなかった」

 最近、訪問先企業でよく聞く顧客の悩みだ。書籍やビジネス誌、ウェブなどの情報から「キーエンスはニーズカードを作って運用している」という情報を入手し、ならば「自社でもやってみよう」とトライした結果とのこと。

 簡単に解説をすると、ニーズカードとは、営業担当者が定期的に開発部門などに顧客のニーズを定型化された形式で提出する仕組みを指す。キーエンスが競争力のある製品を生み出す原動力の1つとして注目されているものだ。

 顧客志向が叫ばれる中、顧客ニーズを収集・集約する「ニーズカード」が気になるのはよく分かる。ましてや、高収益企業キーエンスが実施しているならなおさらだろう。しかしながら、やってみたけどうまくいかないケースが目立っている。

 うまくいかない企業は、これまでの連載で取り上げてきたケースと同様、キーエンスが徹底する性弱説視点ではなく、性善説視点で仕組みをつくってしまっているケースが多い。

 タブレット型パソコンを製造するA社が集めたニーズを見てみよう。「画面が指紋で汚れやすい」「重たい」「音が良くない」「販売店の対応が悪い」「ボタンの色が嫌いな色ばかり」といった内容が目立った。

 一部の顧客からアンケート形式でニーズを収集する仕組みで集めた総数は約200件。より幅広いニーズを拾うため、回答は選択式ではなく自由記述式にした。

集まる情報は既知のものばかり

 よく見ると、ニーズと言えばニーズだが、見方によってはクレームのような内容も含まれている。問題は、これらのニーズをどう扱うかだ。開発担当者に見てもらったところ、「画面が指紋で汚れやすい」「重たい」「音が良くない」の最初の3つのニーズについては、「参考にします」との返答だった。

 少しぶっきらぼうな対応だったため理由を尋ねたところ、「そんなことは開発段階から分かっている。今回の製品は低価格を売りにしている。そのため、「重さ」「音質」は製品原価低減のために妥協せざるを得なかった」というのだ。つまり開発担当者としては、企画段階からこのような反応が来ることは折り込み済み。「画面が指紋で汚れやすい」というニーズについても同様だった。

 あとの2つの「販売店の対応が悪い」「ボタンの色が嫌いな色ばかり」についても、ニーズといえばニーズだが、対応は難しい。ボタンの色については新製品に反映できそうなニーズではある。しかし、何色にすればいいのか。趣味性が強いもののため、仮に3色から5色に増やしたとしても「好きな色がない」というニーズはまだまだ出てきそうで、きりがない。

 「クレーム解決は顧客満足度を高める最初の一歩」と言われるように、クレーム(のような内容も含めて)も重要だ。しかしながら、新製品を開発する際に参考にするニーズという観点で見たときに役に立つかといわれると難しい。

 集めたニーズに対応して「画面が指紋で汚れにくく」「軽く」「音質もいい」製品を低価格で販売できれば、顧客ニーズに沿ったいい製品になるだろう。しかしながら、それができるならとっくに出している。性能をある程度犠牲にしてでも低価格を実現した製品に対して「もっと品質を向上せよ、ただし同等品より安く」という無理難題を求めているのがこれらのニーズなのだ。

 つまり、ニーズカードの仕組みを導入して200件のニーズを集めたものの、新しい製品に生かせそうなニーズはほとんど集められなかった。これがA社の実態だ。なぜそうなるのか。それは性善説視点でニーズカードの仕組みを構築・運用したからに他ならない。

特殊なニーズ、意見、作文に惑わされない

 顧客は自分の見える範囲、イメージできる範囲のことしか言語化できない。このため性善説ではなく、キーエンス流の性弱説に基づいた顧客ニーズへのアプローチが重要だ。本連載第2回でも少し述べたが、顧客が発する「製品開発に生かせそうなニーズ」の中には、次の3つのものが混在している。

 1つ目は、ある特定の顧客だけが持っている特殊なニーズ。ニーズには違いない。しかしその会社、その人だけが持っている特殊なニーズに対応して製品化してしまうと、その特定の顧客にしか売れないリスクを抱えている。

 2つ目は、顧客が持っている「意見」だ。実際にはそれほど困っていないにもかかわらず、あったほうがいいだろうと、顧客が自分の意見をニーズとして述べてくるケース。この場合は、実際の困り事に起因したものではないため、ニーズとは言えない。この意見をニーズと取り違えて製品開発に盛り込んでしまうと、顧客が本当は求めていないものを作ってしまい危険だ。

 そして最後は、顧客による「作文」である。実際には製品を使っていないにもかかわらず、テレビやインターネット上の情報などを元に、思い付きによって顧客がニーズらしきものを作文するケースだ。もちろんこれも、ニーズとして当てにしてはいけない。

 このように顧客ニーズには、「特殊なニーズ」「意見」「作文」が多く含まれているという認識がまず必要だ。ましてや、インターネットを使った簡単なアンケートのように回答時間が短い場合、あまり深く考えずに答えてしまうし、担当者が内容について回答者に確認することもできないため、これらが含まれるリスクはさらに高くなる。

 繰り返しになるが、キーエンスはニーズカードの仕組みを構築する際に、「顧客は自分の見える範囲、イメージできる範囲のことしか言語化できない。だから顧客ニーズを収集しても、製品の付加価値向上に役立つ情報はほとんど得られない」という前提に立っている。これがまさに「性弱説視点」なのだ。

 このような視点に立つと、ニーズカードの役割はあくまでも「ヒント」という扱いにとどまる。筆者の経験では、キーエンス時代のニーズカードも前出の事例と同様に、大多数は「折り込み済み」「クレーム」といった内容だった。また、他の企業でニーズ収集の仕組みを導入した際もおおむね同じような結果が出ている。このように見ると、製品開発に直接的に役立つニーズをニーズカードに基づいて集めるのは非常に難しい。

キラリと光る情報こそが大切

 では役に立たないかというと、そうではない。件数が多くなると、その中には「キラリと光る情報」も含まれてくるからだ。例えば、先ほどのタブレットパソコンのニーズカードの中に、「内蔵しているカメラを動かしたい」というニーズが1枚だけ含まれていた。

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 200枚の中の1枚だから少数意見だと切り捨ててはいけない。なぜならこのニーズは、開発担当者も含めて「折り込み済み」の情報ではないからだ。もちろん、それが「特殊なニーズ」「意見」「作文」ではないことを確かめる必要はある。そこで、ニーズを出してくれた顧客に詳しく聞いてみたところ、ニーズの実態はこうだった。

 「現状、タブレットパソコンをスタンドに固定して、無人店舗の案内用タブレットとして使用している。昨今、遠隔で無人店舗を案内できるようなサービスが増えているが、導入には監視カメラが必要となる。監視カメラを設置すると、機器の設置費用と毎月の利用料が発生し、高額になる。そこで、タブレットに内蔵しているカメラを質問してくる人に向けることができれば、監視カメラを導入せず遠隔で案内できる」

 このニーズは、現状の事実に基づいているため説得力がある。また、導入した際のコスト削減効果が見込めるため、導入を進める合理的理由がある。そして実際に使っている人の口から出てきた困り事であり、作文や意見でもなさそうだ。

 このように、枚数が多くなると、中には「キラリと光る情報」が含まれる。可能性は低く、たくさんのキラリと光るものを得ようとするなら、母数を増やすしかない。そしてこのヒントは、深く掘り下げていくことで、有用な情報に化ける可能性を持つ。

定着化のためには仕組みが必要

 つまり、ニーズカードで顧客ニーズを集める仕組みを作る際には、それなりの数が集まり続ける仕組みが必要なのだ。そのためには、性弱説視点に立って仕組みを設計しないといけない。「ニーズを出してくれと口酸っぱく伝えても、出してくれないかもしれない」という視点が必要なのだ。

 性善説の視点だと、「ニーズカードという仕組みを始めれば、顧客ニーズは自然と集まってくる」という楽観的な考えに立つ。仕組みをつくった以上、それを集めるのが現場の仕事だと経営者は考えがちだからだ。しかし実際には簡単な話ではない。A社のようにアンケート形式を採用した場合、何回かは回答してくれるだろうが、さすがに、毎月アンケートを出し続けたら答えてくれないだろう。繰り返されるアンケート依頼に顧客が気分を害するかもしれない。

 また、営業担当者に顧客ニーズをヒアリングしてきてもらう際も注意が必要だ。

 本来、営業担当者の仕事は製品の販売だ。リードと呼ばれる見込み客に対して製品を説明し、導入メリットを解説し、見積書や提案書を提出し、時には競合との差異化を図り、売り上げへとつなげていく。こういった作業は非常に手間と時間がかかる。

 打ち合わせの場面では、顧客の使用状況やメリットにつながる情報を聞き出したり、価格情報などのヒントも得たりしなければならない。要は忙しいのである。その中で、商談とは直接的に関係ない新たなニーズを聞き出すのは、時間的にも労力的も一苦労だ。従って、担当者の善意に任せていてはほとんど集まらない。経営者と比べ、現場が「5年後10年後を見据えてニーズを集める」という意識が低くなるのは、ある意味で当然だ。つまり、性弱説の視点に立ち、彼らが集める確率を高める仕組みが必要だ。

 具体的には、日々の仕事の一部だと彼らに認識させる必要がある。そのためには、何らかのインセンティブの付与は効果的だ。新製品に貢献した優秀なニーズには、金一封を与えるというような制度は一案だろう。筆者が在籍していた頃のキーエンスでは、ニーズカード大賞という最優秀賞には50万円ほどを与えていた。

 ほかにも、KPI(重要業績評価指標)の中に、ニーズ提出件数を指標として組み入れ、提出数が一定数を下回ると評価が悪くなる仕組みも有効だ。出すことによるインセンティブ、出さないことによるペナルティーなど、自社に適した仕組みを整えて、ニーズを継続的に集める取り組みが欠かせない。これを定着化という。

 ニーズカードの仕組みを導入した企業を見てみると、定着化が課題となっているケースが目立つ。インセンティブやペナルティーを導入すればいいのだが、「現状の人事評価制度と整合性が取れない」といった理由で、定着化のための工夫ができないのだ。大量のニーズの中からキラリと光るヒントを探す必要があるため、数が何より求められるにもかかわらず、だ。これでは有用なヒントを得られる可能性は低く、効果が出ないことを理由にさらに集まらなくなる悪循環に陥る。

仕組みは機能させてこそ

 「キラリと光る情報」こそ、新規事業や新製品の開発には有用である。従って、何らかの方法でこういった情報を集めたい。だからこそキーエンスの「ニーズカード」を模倣する企業が多いのだろう。しかしながら、仕組みは機能させてこそ価値がある。実際キーエンスでは、ニーズカードの運用にインセンティブを導入し、KPIにも組み入れている。定着化ができているから何十年も継続して膨大なニーズを集め、その中に潜む有用なヒントを獲得している。

 真に大切なのは、導入した仕組みを機能させ、定着させる方法だ。この点を改めて認識して、継続的に機能する仕組みづくりを推進してほしい。

(写真:わたほこり/stock.adobe.com)
(写真:わたほこり/stock.adobe.com)

日経ビジネス電子版 2024年9月10日付の記事を転載 
※本記事は「日経トップリーダー」2024年9月号の記事を基に構成]

超高収益企業キーエンスを貫く根本的な考え方「性弱説」とは、人を善悪ではなく弱いものと捉え、その前提に立ってビジネスにまつわる仕組みや制度を整えていくこと。日経トップリーダー、日経ビジネス電子版での連載「キーエンス流『性弱説経営』」に、100ページ以上の書き起こしを加えて再編集した本書は、キーエンスと一般的な企業の間にある考え方の違い、それによる行動の違いについて理解を深め、読者の皆さんがご自身の働き方を見つめ直すきっかけの提供を目指しています。

高杉康成著/日経BP/1870円(税込み)

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