「アメーバ経営」「カイゼン」など、優れた企業には優れた経営理論が存在する。では、日本を代表する高収益企業キーエンスの経営理論とは何か。顧客ニーズに基づいた独自性の高い商品開発やソリューション提案を続ける仕組み、ファブレス経営といった取り組みの根底に流れるキーエンスの思想とは何なのか。大企業・中小企業を問わず、多くの企業を指導してきたキーエンス出身のコンサルタントである高杉康成氏は、キーエンスとそれ以外の会社の違いを体感してきた。キーエンスは「性弱説」で動いている、というものだ。本連載では、キーエンス流の性弱説に基づいた経営手法について紹介する。その第5回。
「どうして顧客の予算状況を聞いてこないのか」
これは報連相の場面で、営業担当者に対して上司が発した言葉だ。報連相は営業部門だけではなく様々な部門で実施される。OJT(職場内訓練)の観点から、この活動をうまく教育に生かしたい企業は多いだろう。
しかしながら、これまで連載で指摘してきた事例と同じように、ほとんどの企業はここでも性善説の視点に基づいて活動し、教育機会としてうまく生かせていない。
今回は、性弱説の視点に立った報連相による社員教育について紹介する。
まずは冒頭の場面を整理してみよう。営業担当者のAさんは、新製品の商談のためにX社を訪問してきた。そこでは、X社における新製品の具体的な使い方、そこで求める仕様(新製品が使えるかどうかの確認)、使用予定個数、使用開始時期について打ち合わせた。自社の新製品が本当に使えるかどうかなど、かなり込み入った打ち合わせとなり、Aさんは「予算状況」について顧客に確認せずに帰ってきた。
帰社後、上長にX社との商談状況を報告し、そこで出てきた上長の言葉が冒頭のものだった。予算状況とは、「新製品を買うためにX社が既に予算を確保しているかどうか」という情報だ。もしX社が予算を確保できていないとなると、いくら商談担当者が購入予定個数や使用開始時期について述べたとしても、その通りにいかない可能性が出てくる。
上司と部下で見ているものは違う
Aさんは、自社の新製品がX社の現場で使えるかどうか分からないので、まずその確認を優先していた。予算状況について気にはなっていたものの、自分の営業成績は比較的順調であるため優先順位はそこまで高くなく、商談の具体化に集中した。その結果、優先順位が低かった予算状況の確認まで手が回らなかった。
一方の上長は、自分が管轄する部門の数字が芳しくないため、X社への販売の実現時期こそが最大の関心事だった。もちろん、案件の具体化は販売の前提だ。しかしAさんに対して、「今まで幾度となく予算状況を聞くように指導している。また、自部門の数字が厳しい状況だと分かっているので、ちゃんと聞いてくるだろう」というように、性善説に基づいて期待していた。
Aさん自体は予算状況の確認をしなかったものの、商談を具体化するという最も重要な仕事をきちんとこなした。にもかかわらず「何で聞いてこないのか」と叱られたのである。Aさんにとってみれば、「上長にとって販売時期がそんなに大事なら、あらかじめ言ってくれればいいのに」と感じるのが自然だ。Aさんは、せっかく商談がうまく進んだのに叱られたことに対し、大いに不満を感じていた。
筆者はコンサルタントとして、このような報連相のすれ違いを指導先で数多く見てきた。「これではなかなか社員は成長しないだろうな」「そんなに大事ならば、なぜ上長は事前にAさんに指導しないのか」と、こういった場面に遭遇するたびに考えさせられていた。
というのも、私がキーエンスに在籍していたときには、こういったすれ違いはほとんどなかった。なぜなら、キーエンスにおける営業の報連相は、「事前事後報告」が基本だからだ。重要な情報は、上長が担当者に対して、事前にしっかりと聞いてくるように指示をする。従って、こういったすれ違いが非常に起こりにくい。もし上司が直前に具体的に指示した内容を聞き忘れた場合、担当者は自分のミスだとはっきり認識できる。もし上司が事前に指示していないのであれば、それを聞いていないことで叱責されることはない。
面談に潜む3つの制約
なぜキーエンスはこういった「事前事後報告」を推進するのか。それは、性弱説の視点に基づいて報連相を分析しているからに他ならない。性弱説視点で顧客との面談を分析すると、「3つの制約があるため、うまくいかない可能性がある」という前提に立つことになる。ここでいう3つとは、「時間の制約」「スキルの制約」「コミュニケーションの流れによる制約」だ。
1つ目の「時間の制約」とは、面談時間には限りがあり、そこで聞ける情報量には限界があるという当たり前の考えだ。読者の中にも、「聞きたいことがたくさんあるのに時間切れで聞けなかった」という経験をしたことがある人は多いだろう。
2つ目の「スキルの制約」は文字通り、顧客から重要な情報を収集してくるスキルを担当者が持っているかどうかという問題だ。「経験の浅い担当者が自社製品の説明に終始し、顧客の情報を収集できなかった」というケースが典型例だ。「簡潔な説明ができない」「顧客にうまくヒアリングできない」など、いくつかのパターンが考えられる。
最後は「コミュニケーションの流れによる制約」である。担当者のスキルが十分であり、かつ事前に時間配分や面談の展開を組み立てていたとしても、面談がその通り進むとは限らない。「途中で話が脱線し時間を使ってしまった」「突然相手の上長が現れて、挨拶などをしているうちに時間がなくなってしまった」というようなケースが想定される。
このような制約がある中で、自社にとって重要な情報を収集する確率を高めるためには、「本人の自主的な努力や工夫に期待するだけではうまくいかないかもしれない」という視点が必要であり、それこそが性弱説の考え方だ。
ここまで説明すれば、冒頭のような「事後報告」だけではなく、事前に指導する「事前報告」の必要性が分かるはずだ。面談前に様々な状況を想定し準備することが、面談の精度を高め、上司と現場のすれ違いを減らす。
「事後報告」と「事前事後報告」について整理した、下の図を見てみよう。上段は、一般的な企業で比較的よく行われている性善説視点の「事後報告」。下段は、キーエンスでも行われている性弱説視点の「事前事後報告」のイメージを示している。
まずは、上段の事後報告のパターンを見てみる。事後報告とは文字通り、面談の後に報連相をし、結果の確認や指導をするパターンだ。
このパターンは面談が終わってから確認・指導するため、結果的に「後の祭り」となるケースが出てくる。冒頭の事例でも、上長にとって本当に重要な情報が予算状況だと決まっていたなら、あらかじめAさんに聞いてくるように指導しておくべきだった。
加えて注意すべきは、Aさんのモチベーション低下である。きっちりと仕事をして帰ったにもかかわらず、上長との認識のすれ違いにより叱られる結果となった。このようなケースでは、モチベーションや上司への信頼度が大きく低下してしまう。
教育という観点からも問題が残る。本来であればAさんのヒアリング内容は称賛すべき出来だ。上司が褒めることで当事者は自分の行動を正当化し、成長へとつなげる。にもかかわらず叱ってしまうと、本人にとって見れば、何が良くて何が悪いのかが分からなくなってしまうのだ。
もう1点、面談の機会損失という面からも問題がある。面談機会というのは無限にあるわけではない。限られたチャンスで結果を出さなければ顧客が不満を覚えたり、競合に出し抜かれたりして面談の機会を失う。コロナ禍以後、面談機会の創出がそれまで以上に難しくなっている点からも、この視点の重要性は増している。
このように、直接的な商談としての機会に加え、部下の教育やモチベーション管理という観点からも、事後面談だけでは問題が多いのだ。
次に、図の下段「性弱説視点の『事前事後報告』」を見てみよう。面談の前に報連相をする場を設ける方式だ。
「事前報告」でできること
事前報告で何をするかといえば、「事前準備状況」の確認が中心だ。事前準備状況を細分化すると、「面談シナリオ」「面談資料」「個人スキル」の確認となる。要は、「どんなシナリオを想定して、どんな資料を用意して、どういった個人スキルで臨むつもりか」の確認だ。
面談シナリオについては、制約の1つ目「時間の制約」、3つ目「コミュニケーションの流れによる制約」を考える必要がある。「話が脱線して時間が足りなくなっても、最低限この内容は持って帰ろう」というように、面談のゴールを意識して作成・確認する。
資料については、シナリオに対してどういった準備をしているか、という目線で確認する。必要な資料はその準備状況とクオリティーを確認する。もし、準備が遅かったり内容が不十分だったりする場合にも、面談までに準備、修正させることができる。事後報告で資料の質の低さに気づいたとしても、既に面談は終わっている。
そして、最後は「個人スキル」の確認だ。仮にシナリオと資料が妥当なものだったとしても、それらを正しく活用できるかは本人のスキルにかかっている。
ここで役に立つのがロールプレイングである。製品・サービスの説明が必要な面談であれば、実際に顧客へ説明する場面のロールプレイングを実施する。何らかのヒアリングが主体ならばヒアリングの練習をする。これにより、本人のスキルを確認するととともに、必要に応じて修正・指導が可能となる。
ちなみにキーエンスで有名なロールプレイング(通称:ロープレ)は、相当に高い頻度で実施される。そしてほとんどの場合、事前報告の場で行っている。
このように、事前報告には面談のクオリティーを向上させるという点において、非常に大きなメリットがある。そして、事後報告と組み合わせることでさらに大きな効果を得られる。図の右下を見てほしい。事前事後報告を実施すると、事前に指導した項目を事後報告の場で確認し、できたものは称賛し、できなかったものは改めて指導するという、メリハリのついた教育ができる。冒頭の事例でも、仮に上長が事前に一言でも指導しておけば、事後に聞いていないことを指摘された際、指導・指示を実践しなかった自分のミスだとAさんが自覚できる。その自覚が、自己改善への動機付けとなり、成長へとつながる。
事後報告だけだと失敗した場合に、「何でやらなかったのか」「なぜできないのか」という、「結果への指導」となる。場合によっては結果責任を上司が追及しているだけにすぎない。何をやってくるべきか、何が苦手でどこを改善すべきか、どういった資料を準備すべきかを事前に指導してこそ、その結果に対して的確な指導ができるようになり、指導された側も納得感を持って受け止められる。
納得感がないと改善意欲は発生しない。「また叱られている」という感覚に陥るだけだ。それを繰り返されると、報連相の場は、部下の成長どころかモチベーションを低下させてしまう。
ここまで見てくると、「そこまでやる必要があるのか」と疑問を持つ読者がいるかもしれない。「事後報告だけで十分間に合っている」「いちいち事前報告までしていては、いくら時間があっても足りない」「そこまですると逆に効率が悪いのではないか」などと感じるのも不思議ではない。
しかしながら、1分単位で時間や効率を意識しているキーエンスは、ほぼ毎日のように時間を取ってこれらを実践している。その結果が圧倒的な高収益だ。何より、キーエンスの新入社員の成長速度は速い。入社半年で一線に投入できる状態になり、3年もすれば超ベテランと肩を並べるエース級社員が登場する。
これはキーエンスが、「自身の努力や気配りでできるだろうからやらなくても大丈夫」という性善説視点ではなく、「さまざまな制約や理由でできないかもしれない」という性弱説視点に立ち、事前事後報告の仕組みをつくり上げ、運用し続けているからだ。時間効率をとことん追求する企業が、事前事後報告にひたすら時間をかけている。この事実をどう捉えるか、改めて考えてみてほしい。

[日経ビジネス電子版 2024年8月8日付の記事を転載
※本記事は「日経トップリーダー」2024年8月号の記事を基に構成]
高杉康成著/日経BP/1870円(税込み)
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