自社の商品の顧客はどうやって作ればいいのでしょうか。多くの商売において売り上げの約半分、あるいは将来の成長の大部分が「無関心層」の獲得によってもたらされています。しかし関心の薄い顧客を獲得するのは簡単ではありません。無関心な未顧客とどう向き合い、どう獲得していけばよいのか――。そのためには、消費者の行動を理解する必要があります。本特集は書籍『“未”顧客戦略』(日経BP)から抜粋し、消費者の「習慣」がどのように作られ、どのように自社の顧客として無関心な消費者を獲得していくのかを解説します。
「人は自分が何を感じているかを考えないし、何を考えているかも言わない、そして言う通りに行動するとは限らない」―これは、現代広告の父と称されるデイヴィッド・オグルヴィ氏が残した言葉として広く知られています。
消費者は、口では「欲しい」と言っても実際には買わない、逆に「もう利用しない」とつぶやいているのに結局また利用するといった、あべこべで不合理な側面があります。マーケターであれば、大なり小なりこうした不規則性に悩まされた経験があることでしょう。
一方、ブランドの成長には「ダブルジョパディの法則」や「購買重複の法則」といった普遍的な法則がいくつかあることが知られています(Sharp,2010)。これらはあらゆる市場、あらゆるカテゴリーで確認されている極めて再現性の高い現象で、筆者もEBMI(日本エビデンスベーストマーケティング研究機構)の再現研究で何度も確認しています。
このミクロとマクロの差はいったいどこから来るのでしょうか?なぜ一見ランダムで、予測不可能とすら思われる個々の消費者行動が集まると、一定の規則性を持ったパターンが浮かび上がってくるのでしょうか?どうやらそこにも習慣が関係してくるようです。私たちの日常の行動や思考は、私たちが思う以上に習慣に支配されています。ある研究によると日々の行動の半分近くは、ほぼ同じ状況下で繰り返される習慣的なものだそうです(Wood et al., 2002)。
そして興味深いことに、習慣的な行動は、意向や目的といった本人の意思表示とは異なる形で繰り返されることが少なくありません(Ji & Wood, 2007)。ブランド選択はそのような習慣の影響を受けやすい行動の1つです。ある研究では、売り上げの約半分が過去の購買経験から来る慣性によって説明されることが示唆されています(Srinivasan et al., 2010)。
またボゴモロワほか(2019)によると、消費者が初めての商品(新商品に限らず)をトライアルするのは3回の買い物に1回程度であり、そうしたトライアルが買い物かごに占める割合は5~6% 程度だと言われています。逆に言えば、過去に買った経験があるブランドを繰り返し選ぶことのほうが圧倒的に多いわけです。このように消費者の生活とビジネスの成果とのつながりを考えるうえで、習慣の影響は無視できません。
むしろ消費者の習慣理解はマーケターにとっての必修科目になるのではないでしょうか。ブランドを利用することが習慣の一部になってしまえば、長期間にわたってリピートしてもらえる確率も高まります。逆に小さなブランドの担当者であれば、思考停止してトップブランドを選ぶ習慣をかく乱し、そこに活路を見出すこともできます。
幸いなことに、近年の神経科学やマーケティングサイエンスの発展に伴い、習慣が形成されるメカニズムや、習慣的な行動への効果的な介入方法などについても徐々に解明が進んでいます。本章では、そうした習慣理解とマーケティング実務への応用について解説・考察していきたいと思います。
ブランド成長の法則と習慣形成の科学
まず習慣とは何か、マーケティングにどのように関係するのかという部分から始めたいと思います。自動的に繰り返される行動の背景には、「習慣ループ」として知られる神経科学的なメカニズムが存在します(Duhigg, 2012)。このループはキュー(文脈)、ルーティン(行動)、リワード(報酬)という3つの構成要素から成り立っています。このループが安定した文脈で繰り返されることにより、次第に行動が自動化され、明示的な意図や目的意識を介さずに実行されるようになります。これが「習慣」です。
文脈:きっかけ、手がかり
習慣的な行動を開始させる文脈的なトリガー(引き金、きっかけ)です。特定の時間、場所、感情、先行するイベント、あるいは特定の人物の存在など、ブランドを利用する生活文脈に存在する様々な刺激が習慣的な行動の引き金になります。いわゆるCEP(カテゴリーエントリーポイント)は、まさにこのキューに他なりません。
行動:ルーティン
「起床後にコーヒーをいれる」「通勤電車で特定のアプリを開く」「集中したいときにお気に入りの音楽を聴く」のように、文脈的な手がかりによって引き起こされ、日常的に繰り返される行動を指します。このルーティンの中でブランドを採用(購入、利用)してもらうことがマーケターの目標です。習慣形成の初期段階では課題感や目的意識を伴いますが、習慣化が進むにつれて自動化され、無意識的なものとなっていきます。
報酬:行動の強化
報酬は、特定文脈における行動とその結果を脳が学習し、将来も同じ行動を繰り返す価値があると判断するためのメカニズムです。行動の結果、何かしら本人にとって良い結果が得られると、脳の報酬系が活性化してドーパミンなどの神経伝達物質が放出されます。これが文脈的な手がかりと行動のリンクを強化し、「この行動は覚えておく価値がある」という信号を送ることで習慣ループが強化されていきます。
どのような文脈で何が価値になるのかは人によって異なります。機能的な便益(例: 喉の渇きを潤す)の他にも、社会的な承認(例:友人からの称賛)や感情的な満足感(例:ストレスの軽減)など有形・無形の様々な報酬があります。
確率論の勘所:「ポリアの壺」で理解する習慣形成のメカニズム
では、このことがマーケティングにどう関係してくるのでしょうか。ポイントはこうした習慣ループが生み出す「正のフィードバックサイクル」にあります。みなさん「ポリアの壺」という話を聞いたことがあるでしょうか。壺の中に赤球がa 個、黒球がb 個入っていて、壺から球を1つ取り出し、取り出した球と同じ色の球を1つ追加して壺に戻す(毎回壺の中の球が1個増える)という試行を繰り返すとどうなるか、という話です。
入試問題などで見たことがある方もいるかもしれませんが、マーケティングサイエンスでは、ポリアは消費者の記憶構造を表すメタファーとしてしばしば用いられます。
例えば赤球=自社ブランド、黒球=競合ブランドとして、それぞれの球が1個ずつ入っている状態で1つ取り出します。もし赤球(自社)が出れば、赤球を1つ追加して壺に戻すので、壺の中には赤球が2個、黒球が1個が入っている状態になります。
この時、次の試行で赤球を取り出す確率は3分の2、黒球は3分の1なので赤球、つまり自社が選ばれる可能性が高いですね。これは、「あるブランドを使うとその記憶が強化され、次回も想起・選択されやすくなる」というフィードバックサイクルを表しているわけです。
ポリアの試行には数学的に興味深い性質があります。入試問題としてのポリアの壺は「n 回目に赤球を取り出す確率はどれくらいか」という形で問われることが多く、正答は初期確率と同じa/(a+b)になります。
一方、実際にポリアの試行を繰り返すと、取り出される球の色には一定の傾向が生まれ、赤球と黒球の比率は試行系列ごとに異なる値へ確率的に収束していきます。その最終的な比率は初期の赤球と黒球の個数をパラメータに持つベータ分布Beta(a,b)に従い*1、その分布の平均値もまたa/(a+b)となります。
次のグラフを見てください。これは、赤球と黒球がそれぞれ1個ずつ入っている状態から始めた場合のシミュレーション結果です(1000試行×30セット、縦軸:赤球の比率、横軸:試行回数)。
比較的早い段階で比率に偏りが生まれ、その後は大きく変動しなくなる様子が見て取れますね。要するに、過去に選んだ球(ブランド)はよりいっそう選ばれやすくなるということです。なぜこうなるかと言うと、ポリアの試行では「取り出された球と同じ色の球を追加する」というルールが自己強化的な性質を持つからです。
そのため、初期のランダムな偏りがその後の結果を大きく左右するわけです。マーケティング文脈で言うと、どの消費者がどのブランドにロイヤルになるかは分かりませんが、一度偏りが生じるとその傾向を逆転させるのは非常に難しくなり、最終的にはある比率でロックイン(固定化)され、それ以上はほとんど変化しなくなるということです。
これが習慣として確立された状態です。重要なのは、これは数字遊びではなく、実際に世の中で起こる現象だということです。一般的には「経路依存性(path dependency)」と呼ばれ、1980年代、経済学者ブライアン・アーサーによる非線形の確率過程の研究をきっかけに注目されるようになりました(Arthur, et al.,1987; Liebowitz& Margolis,1995)。システムやネットワーク、テクノロジーなどの将来の発展傾向が、過去の選択や初期条件に大きく依存する現象として、経済学、社会学、政策学、経営学、組織論など幅広い分野で知られています。
このことがマーケティングにおいて何を意味するかというと、習慣の中にロックインされたブランドほど有利であると同時に、いかに新しいブランドを想起・選択してもらうことが難しいかを表しているわけです*2。
さらに現実の市場ではこのプロセスがより複雑になります。最終的にどちらの球が支配的になるかは初期比率や球を追加するルールによって変わるわけですが、実際はこのルールが非線形になるからです。例えば古典的なポリアでは一度に1つの球しか追加できませんでしたが、実際は変化量が常に一定とは限りませんし(例:高い文脈価値、優れた顧客体験)、球の色も2色とは限りません(例:複数の競合、新商品)。
時間と共に壺の中から球が減っていくこともあり得ます(例:忘却)。さらに短期で見れば、前回選ばれたものが連続して選ばれやすいものの、長期的には平均的な購買頻度に戻るといったダイナミクスも働きます(例:平均への回帰)。こうした言外のフィードバックサイクルがある場合、初期比率とはずいぶん異なる比率に落ち着くこともあるわけです。

(書籍『“未”顧客戦略』を基に再構成)
[日経クロステック 2026年1月22日付の記事を転載]
村山幹朗、芹澤連(著)/日経BP/2640円(税込み)

