2023年9月、宝塚歌劇団宙組に所属する女性が自宅マンションの敷地内で死亡しているのが見つかるという衝撃的なニュースが駆け巡った。遺族側は「過剰な業務やパワハラが原因で自殺に至った」と主張。憧れの的であったはずの舞台で何があったのか? 運営側の責任は? 臆測を呼んだ事件の真相を明らかにする。『企業不祥事の真相 「普通の人」を悪者に仕立てる歪んだ構造(日経プレミアシリーズ)』(秋山進著)から抜粋・再構成してお届け。
パワハラによる劇団員死亡問題
企業経営において、いまやリスク、コンプライアンスは最も重要性の高い問題になりつつある。ニュースをみれば、毎日どこかの企業がなんらかの法律問題や想定外の社会的なトラブルに巻き込まれている。
このとき大事なことは、それらの問題に対して、対外的、対内的に素早く適切に組織的対応ができるかどうかである。外部者は、問題が提起され、トップが辞任すればそれで終わりかもしれないが、内部者はそれではいけない。
問題に対して一時的な対症療法ではなく、根本的な解決策が打たれなくてはいけないのである。そのためには、症状→対策ではなく、症状→多面的な診断→対策の流れで分析が行われなくてはいけない。
ここで取り上げる宝塚歌劇団のケースは、後者のプロセスをとると、まったく異なる問題がみえてくる。
相当の重圧と先輩たちからの強い叱責
2023年9月30日、宝塚歌劇団(以下、歌劇団)・宙組に所属する25歳の女性(以下、Aさん)が、自宅マンション敷地内で亡くなったことが報じられた。
この女性は入団7年目までの若手による新人公演のまとめ役を担っており、その実施に向けて相当の重圧があり、その件で先輩たちから強い叱責を受けていたことも報道された。
歌劇団は同年11月14日に記者会見を開き、「強い心理的負荷がかかっていた可能性は否定できないが、いじめやパワハラを直接確認することはできなかった」という調査結果を公表した。しかし、遺族は歌劇団がパワハラを認めなかった点を「納得できない」と強く批判した。社会においても歌劇団に対するネガティブな声が多数あがった。
12月18日、歌劇団は一転してホームページに掲載していた調査報告書の公開をとりやめ、事実関係の再精査を行うことを発表した。
その結果、2024年3月28日、歌劇団側は、調査報告書では確認できなかったとしていたパワハラがあったことを遺族側に認めた(パワハラ行為をめぐる経緯や解釈については遺族側の主張と一致しない点があったものの、協議の結果、最終的に14件の行為について認めた)。
高確率で起こる問題だった
さてこの事件、一般的には、「パワハラの有無」など組織風土・人間関係に焦点が当てられている。それは否定するものではない。とても重要な問題であり、事件の直接的な原因になったと考えられる。
しかし、このときの歌劇団の公演の運営全体の工程やこの劇団員が担当していた新人公演の性質を考えると、「無謀ともいえる事業(公演)計画が、現場に強い業務負荷とプレッシャーを与え、全体のなかで最も脆弱な工程である新人公演のリーダーに強い肉体的・精神的負担がかかった可能性が高い」といえる。
つまり、この事件に関わった特定の個人が起こした問題というより、同様の組織体制と運営スケジュールでこの事業計画を推進すれば、かなりの高い確率で同様の問題が起こるということである。
新人公演の失敗は宙組全体の失敗
死亡したAさんが担当していた新人公演という業務についてみてみよう。
まず歌劇団のメインは「本公演」。歌劇団の本拠地である兵庫・宝塚市の「宝塚大劇場」と、東京・千代田区の「東京宝塚劇場」で原則的に1日2回、1カ月程度連続で行われる公演だ。
そしてその本公演の最中に、歌劇団入団後7年目(研究科7年生、略して「研7」)までの出演者で構成し、観客を入れ、お金をとって本公演と同じ演目を上演するのが、新人公演である。これは宝塚と東京の本公演中に、1度ずつ行われる。
この新人公演において、新人たちは重要な役を担い、挑戦的なステージ経験を積むことができる。新人公演は、新人たちにとって貴重な実戦経験である。メイン役を演じることで、演技や歌、ダンスの技術を磨くと同時に、舞台でのプレッシャーに慣れる機会を得る。本公演で同じ役を演じる先輩から技術を学ぶこともできる。
歌劇団にとっては、隠れた才能を持つ若手メンバーを発見する場としても機能する。ときには、新人公演でのパフォーマンスがきっかけで、将来のスター候補として注目されることもある。
現在のトップスターもベテランもみな、新人公演で鍛えられた。よって、手は抜けない。お客さまにお金を払ってもらって見てもらう公演だから、新人公演の失敗は組全体の失敗とも思われる。
当然、先輩たちの目も相当に厳しくなる。新人公演は、個人にとっても歌劇団にとってもたいへん重要な公演なのである。
新人公演のまとめ役が担う一人三役
さて、Aさんは、このときの新人公演のまとめ役を担った。まとめ役とは何をするかというと、新人公演は本公演のコピーなので、本公演で先輩が使っている衣装をどの若手が借りるかを割り振ったり、本公演に比べ出演者数が大きく減るので、ダンスの場所の立ち位置の調整などを演出家の指導のもとで行ったりする。
細かく種々雑多の業務を手際よくこなさなくてはならない。また、プロフェッショナルになりきっていない若手の意識や技術向上の面倒もみる必要がある。
さらには、7年目ともなると本公演でもそれなりに重要な役を演じるため、その練習もしなくてはならない。
まだある。新人公演においては本公演とは別の役を演じなくてはならない。よって、役者として本公演と新人公演で2役。加えて新人公演のまとめ役をするのである。これだけでも、“こんなにたくさんできる?”と思ってしまう。
しかしながら、このような過酷な状況とタスクに先輩たちは対応してきたのである。だから、やる気があればできるはずと先輩たちは考えていたのだろう。
ただ、このとき、Aさんを取り巻く状況はさらに過酷だったのである。
お披露目公演が新作という特別な緊張感
まず、もともとの本公演が特別なものであった。9月29日から始まる宙組の公演は、新トップスターと新娘役トップにとっての「お披露目公演」だったのだ。
歌劇団にとってお披露目公演は、特別なものである。宝塚はトップスターシステムという方法をとっており、芝居もショーもトップスターをいかにカッコよく見せるか、に重点が置かれている。
すなわち、トップが変われば、演目の内容も雰囲気も変わり、ショーの構成も歌の中身も変わる。組が“変身する”という感じになる。
近いのは、歌舞伎の襲名披露かもしれない。外部への露出も多くなり、関係者向けの事前の各種イベントも目白押しである。トップもたいへんだが、劇団員も新しい作風、新しい構成に合わせて自分たちの見せ方の改革をしなくてはならない。
したがって、お披露目公演では、トップ以下、劇団員全員が、いつもにはない緊張感を持って本番に臨むのである。
そのため、基本的には新作主義の歌劇団でありながら、お披露目公演では、過去に上演した作品を再演するケースが多くなる。再演であれば、過去の公演を参考にしながら、それを改善したり、新しいトップ向けにアレンジしたりすることができるので、劇団員の負担を軽減することができる。最近のトップのお披露目公演では、半数程度が再演ものである(注)。
前工程の遅れが後工程担当者を追い込む
さて、新人公演のまとめ役にとっては、再演か新作かの違いはかなり大きい。再演であれば、中身は多少変わるものの、事前にどのような場面があり、どんな舞台になるかの予測ができる。
しかし、新作の場合は、実際に公演内容が最終的に固まるまで、どんな準備をすればよいかが確定しない。コピーである以上、本公演が確定しないと新人公演の内容も確定しないのである。
時間的に前の工程が押せば最後に控える新人公演の準備の工程の負荷が上がる(プロジェクトに従事される方は、この状況の難しさをご理解いただけると思う)。このような場合、準備のスタートがどうしても遅れ気味になる。
次回は、Aさんに降りかかる度重なる困難と運営企業の問題点に切り込む。
宝塚歌劇団、オルツ、小林製薬、三菱自動車、フジテレビ、リクナビ、セブンペイ……本書は、第三者委員会報告などをもとに話題になった企業不祥事を多方面から分析。不祥事が起こる組織にありがちな「本当の問題点」を浮き彫りにしていく。
秋山進著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)

