宝塚歌劇団の劇団員Aさんがパワハラを苦に死亡したとされる事件。ひもとくと、無謀ともいえる公演計画が、現場に強い業務負荷とプレッシャーを与え、全体のなかで最も脆弱な工程である新人公演のリーダーに強い肉体的・精神的負担がかかった可能性が高い。組織はどうしたらAさんの命を救えたのか? 『企業不祥事の真相 「普通の人」を悪者に仕立てる歪んだ構造(日経プレミアシリーズ)』(秋山進著)から抜粋・再構成してお届けする。
相次ぎ降りかかる困難とプレッシャー
前回 、宝塚歌劇団の劇団員Aさんの当時の過酷な状況をお伝えした。
しかし、Aさんにとって困難な状況はまだあった。このお披露目公演の準備が本格化する直前の2023年6月、宙組の組長と副組長が大きく若返る形で交代したのである。
これまで15年の長きにわたって組長を務めた劇団員が前トップスターと一緒に退団し、その後に組長になったのは、これまで副組長を務めてはいたものの、他の組の組長と比較すると7期以上若い(注)。
組長や副組長は劇団員全体のまとめ役であり、いわば管理職的な存在である。若いこと自体は問題ではないが、明らかに経験は不足している。
就任ほやほやの組長が初めてのお披露目公演を仕切るのである。管理職になった直後に絶対に失敗できない社長就任披露パーティーの仕切り役をやるようなものである。
本来、新組長が組員全員に対する支援やアドバイスをできればよいが、いきなりの大役であまり余裕はなかったであろう。新人公演の状況まで完璧に把握して目を配れというのは少し酷である。
同期メンバーの退団や休演で業務量増
困った状況は、まだ終わらない。このころまで歌劇団は、コロナ禍の影響で、新人公演やファンとの触れ合いイベントなどを一時的に中止していた。
2023年5月に入って感染症対策が緩和されると、止まっていた活動の多くが段階的に再開し、スタッフや団員が担う業務量が増加したのである(コロナ禍明けによる様々な制度変更が存在し、その調整が必要となった)。
本公演の準備に加え、復活した様々な行事や制度変更への対応で劇団員は忙しくなり、余裕がなくなっていった。
そして、決定的に大きな問題があった。新人公演では、7年目のメンバー(研7)が“まとめ役”を担い、前述した各種の調整やより若い新人の指導をする立場になる。
しかしこのときの宙組は、研7の退団や休演が相次ぎ、2名しかいないという状態だったのである。
普通であれば6~8名程度残っており、メンバー間で役割分担をして様々な業務を実施するのだが、それが2名しかいなければ(後に別の期から助っ人を1名追加)、自分がやらなければならない業務の絶対量が当たり前のように増え、さらには、リーダーが抱える責任、プレッシャーは尋常ではなくなる。
「できない」と言えない組織文化
また、こういうプロ型の組織によくある話なのだが、SOSを出したり泣き言を言ったりすることを許さない組織文化もあったようである。
「無理なものは無理」と早めに言ってくれれば対応の仕様はあるのだが、そういうことをするのは恥であり、弱虫であり、何が何でも自分の持ち場を自分でどうにかすることを課す組織がある。
報道などによると、宙組はその組織文化が強かったようである。上級生の指導が絶対視され、下級生は無条件に従属。批判・異議は許容されにくい文化でもあった。
さらにAさんは、以前に週刊誌で先輩からのいじめ問題ととれる事件が報道されたこともあって、先輩たちとの間に心理的な距離があったかもしれない。
炎上するプロジェクトで頻発する事象
このように過酷な状況下にあっては、当然ながらいろいろなミスや連絡漏れなどが発生する。叱責を受ける回数も増加し、場合によっては強く非難される。
周囲に助けを求めたくても、誰も自分や自分のやっていることなどには関心を持ってくれず、孤立が深まる。どんどん悪いサイクルに入っていくのである。無理な工期で失敗し現場が炎上するプロジェクトによく起こる風景と重なる。
Aさんは、事件前の約6週間にわたり、一度も休みがなかったとされる。記者会見をした弁護士によると、8月31日から9月29日までの1カ月間の総労働時間は437時間(うち277時間が残業)。
リハーサルは午前9時から深夜0時まで続き、自宅に帰ってからも新人公演のための作業をしていた。結果として、1日3時間ほどしか睡眠をとれていなかったという。
プロジェクトマネジメントの能力不足
このように、もともと過酷な状況のなかで実施される新人公演に、これまで述べてきたいくつもの事情が重なって、Aさんの置かれている状況はまさに“ミッション・インポッシブル”になっていたことがうかがえる。
また本来であれば、その状況を事前に把握し、助言やサポートができる可能性のあった組長や先輩たちも、本公演の成功に向けて“いっぱいいっぱい”の状況に陥っていた可能性が高い。
よって、この事件では、ハラスメントは最後に発生した症状であり、それが自死の直接の原因となった可能性は高いが、そもそもの業務全体の事業計画(内容、スケジュール、要員、組織体制等)が、どう考えても、明らかに無謀であったことが強く影響しているのである。
計画立案者が、個々の劇団員の負荷量やスケジュールの適正性についてしっかりと予測をし、検証し、問題があれば修正していたら、防げた可能性が高い。つまるところ、プロジェクトマネジメント(注)の能力不足であったということなのだ。
経験不足の運営側が招く現場の破綻
事業計画や公演スケジュールの立案は、歌劇団の企画・制作部門(プロデューサー/事務局)などが中心となって行われ、出演者は、基本的にその枠組みに沿って準備と稽古を進めるのが通例である。
もしプロデューサー(親会社からの出向者)に長年の興行運営や舞台実務の知見、あるいは実演家としての経験が十分に備わっていれば、編成と日程をみた段階で「どこが臨界か」を直感的に見極められた可能性が高い。
ところが実務の現場では、親会社からの出向者など舞台制作の一次経験が十分でない人材が中核を担う局面もある。その場合、収支やブランド維持といった彼らの評価軸が先行し、現場の実装可能性やピーク負荷の見積もりが後景に退く。
結果として、Aさんを含む周囲の劇団員に過大な負担がかかる状況が生じた。無論、誰もこの結末を望んでいたわけではないが、計画立案とリスク見積もりの力量不足が重なり、今回のような事故を招いたのである。
宝塚歌劇団、オルツ、小林製薬、三菱自動車、フジテレビ、リクナビ、セブンペイ……本書は、第三者委員会報告などをもとに話題になった企業不祥事を多方面から分析。不祥事が起こる組織にありがちな「本当の問題点」を浮き彫りにしていく。
秋山進著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)

