人類はなぜ短期的な利益を追求し、長期的な展望を見失いがちなのか。この難問に切り込み、破滅を回避する生存戦略を探る『ダーウィンの罠』(クリスティアン・ロン著、日経BP)。翻訳者の夏目大さんに読みどころを聞いたインタビュー前編。

「ダーウィンの悪魔」は一種のバグ

 生物というのは、いつの時代もどんな環境でも、常に自分の生存確率を高めるべく利己的に行動します。その傾向が強い生物ほど生き残り、子孫を増やしていきます。こと人間は、領土や資源を奪い合い、自分の利益を最大化するのに必死です。なぜなら、地球上の領土も資源も限られていて「ゼロサムゲーム」だからです。誰かに奪われる前に、先に奪わないといけない。そうするのが当然とばかりに、衝動的に振る舞う。このままだと共倒れになると気づく立派な知性はあるのに、どうしても制御できない。それを、本書の著者は人類の進化上の欠陥、および自然淘汰のプロセスに埋め込まれたバグのようなものと言い、進化論を唱えたダーウィンの名を冠して「ダーウィンの悪魔」と名づけています。

『ダーウィンの罠』の著者のクリスティアン・ロン氏は、生物の生存本能にもとづく利己的な行動を「ダーウィンの悪魔」と名づけた
『ダーウィンの罠』の著者のクリスティアン・ロン氏は、生物の生存本能にもとづく利己的な行動を「ダーウィンの悪魔」と名づけた

 ダーウィンの悪魔の身近な例として、本書に挙げられていた実例を紹介しましょう。1902年、フランス領時代のベトナムのハノイでは、ネズミが大繁殖したことがありました。政府はネズミの駆除を住民に協力してもらうべく、ネズミの尾を切って持ってきた者に報奨金を与える計画を立てました。報奨金が得られるとなれば、誰もが積極的に駆除に取り組むに違いありません。その見込み通り、各役所には大量の尾が持ち込まれました。が、なぜか市内のネズミは増え続けたのです。その実、住民は報奨金をもらい続けるために、尾だけを切りネズミは放していたからです。なかには、自宅でネズミを養殖する者や、地方にネズミ牧場を作る者までいました。結果、この計画は数カ月で中止になりました。

 なんともはやな話ですが、お金をもらえるのならネズミを生かしたくなる気持ちはわかりますよね。街や家からネズミがいなくなるほうが快適だとわかっていても、お金がほしいという気持ちのほうがまさるでしょう。きっと、最初は真面目に駆除していた人も、周囲が駆除していない人ばかりだと気づいたら、馬鹿らしくなってやめたはずです。その結果、ネズミは増え続けた、もとい、率先して増やす者まで現れた、と……。

これぐらいのことなら、大したことはないかもしれません。ネズミが大繁殖したとて、世界が終わるわけではありませんからね。けれども本書を読むと、この現象が人類の破滅につながる可能性があるとわかるのです。

自分には難しそうな本だな、と感じている方へ

 と、ここまで読んでくださった方のなかには、なんだか自分には難しそうな本だな、と感じている方もいるかもしれません(こうしたテーマを読み慣れている方は、この記事を読まずとも購入されますよね)。歴史や経済を学んでいないと面白くないのでは?と思う方もいるかもしれませんが、そんな心配は不要です。著者は多少、難しいこともさまざまなエピソードをもとに、わかりやすく噛み砕いて説明してくれますし、何より、書かれていることが人類すべてに関係することですから。この世界に生きている限り、無縁ではいられないことの書かれている本なので、否応なしに読まされてしまう。そういうパワーを持った本だと思います。

難しそうだな、と思っているかもしれないが、読んでみると否応なしに読まされてしまう
難しそうだな、と思っているかもしれないが、読んでみると否応なしに読まされてしまう

問題提起だけでなく“答え”の多さも読みどころ

 本書には、ダーウィンの悪魔による実例――あと一歩で人類が滅亡していたかもしれない事件が実は何度も起きていたことなどが、たくさん出てきます。そのため、嫌な現実をつきつけられる重苦しさや、モヤモヤとした不安感を感じずにはいられない部分もあるでしょう。ただ、本書はそうした過ちを指摘するだけではなく、じゃあ、私たちはこれからどうしたらいいのか、という“答え”もたくさん明示されています。この答えの多さは、本書の特筆すべき点だと思います。

 私は以前にも、『 人類が絶滅する6のシナリオ もはや空想ではない終焉の科学 』(フレッド・グテル著、河出文庫)を訳しました。その種の、問題提起をする本の多くは問題提起の部分、つまり「問い」を提示する部分がほとんどで、解決策、つまり「答え」を提示する部分は少なくなりがちです。感覚的には問い8割、答え2割というところでしょうか。答えは皆で考えるべきことではあるし、それ自体は悪いこととは思いません。私は個人的に「答え」より「問い」を面白いと思う人間ですし。ただ、本書の特徴は「答え」を提示する部分が例外的に多くなっているところです。本書は12章あるうち、8章以降の5章も答えにあてています。これは素晴らしいことだと思いました。

 しかも、どれも練りに練られた答えばかりで、理路整然として筋が通り、説得力にあふれているのです。あらかじめ、これを言ったらこういう反論がくるだろう、ということを想定した論理が展開されていて、そこから著者の熱意がうかがえ、高いメッセージ性も感じられます。実際に訳しながら、いやいや、これは理想論にすぎないでしょ、と冷ややかな反論が頭をもたげるとすぐ、その反論に対する答えも出てきて納得させられる、ということの連続でした。

『ダーウィンの罠』の読みどころの一つは、「問い」に対する「答え」が豊富で、よく練られていること
『ダーウィンの罠』の読みどころの一つは、「問い」に対する「答え」が豊富で、よく練られていること

人類はこのままでは危ないぞ

 本書の著者が指し示す、人類の滅亡を回避するキーワードは「協調」です。それができたら苦労しないとあざ笑い、机上の空論だと一蹴する人もいるでしょう。しかし、ほかに最適解があるのかといったらないのが現実です。少なくとも、私は何も思いつきません。この世に完全無欠の対策などあるはずもなく、著者も単に「こうすればうまくいく」と言っているわけではありません。どのようなデメリットや危険が潜んでいるかも隠すことなく記しています。安易な答えで締めくくらない筆致だからこそ、考えさせられる余韻が残るともいえます。

 本書の通りに、全く同じことはできないにしても、本質的には同じことを何らかの形でやらないことには、私たちに未来はないかもしれない。そんなふうに考えられる人が増えることを、訳者として願うばかりです。さて、あなたの心にはどう響くでしょうか。

安易な答えで締めくくらないから、読者に考えさせられる余韻が残る本
安易な答えで締めくくらないから、読者に考えさせられる余韻が残る本

(後編に続く)

文/茅島奈緒深 写真/鈴木愛子 編集/木村やえ

斎藤幸平氏推薦!「短期的な成功を競うほど、社会は破滅へと近づく――それが『ダーウィンの罠』だ。本書は、進化の力と資本主義が結託する危うさを暴き、私たちに協調にもとづく新たな社会像を迫っている。絶滅の回避はまだ可能だ」。私たちはなぜ、短期的な成果にすがり、長期的な展望を見失ってしまうのか。企業の不正から、核兵器やAIの進化まで、経済学の理論などを用いて、スウェーデンの気鋭の知性が、よりよい選択をするための方法を探る。

クリスティアン・ロン(著)、夏目大(訳)、日経BP、2530円(税込み)

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■変更履歴
掲載当初、記事末に表記している茅島奈緒深氏の名前に誤記がありました。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2026/03/05 14:30]