2025年12月4日、弁護士ドットコムは東京証券取引所の東証グロース市場から東証プライム市場へと上場市場区分を変更した。弁護士の資格を持つ創業社長として初めて自分の起業した会社を上場させた元榮太一郎氏をはじめ、20数人のキーパーソンの貴重な証言で綴るベンチャーストーリー、『世界は法律でできている』(日経BP)から一部を抜粋してお届けする。その第2回。

中学生のときに見た東西ベルリンの差

 東京証券取引所マザーズ市場(現グロース市場)に上場した翌月、弁護士ドットコムの創業社長である元榮太一郎は、2016年7月に行われる参議院議員選挙へ出馬する決意を周囲へ伝えた。上場企業の経営者のまま、国会議員になると言い出したのだ。

 もともと国民のために働きたいという思いを持っていたはずだ、と証言するのは、元榮の母、照子だ。

 「小学校のときから、『首相になるんだ』『大統領になるんだ』と友達に言っていたようです。夫の駐在中にアメリカで生まれていましたから、『大統領にもなれるんだよ』なんて話は冗談でしていましたが、そんな経験も影響したのかもしれません」

 その後、元榮に政治の重要性を知らしめる出来事が起こる。中学時代、父親の転勤でドイツに移り住んだとき、修学旅行で「ベルリンの壁」崩壊直後の東ベルリンを訪問したことがあったのだ。

 中学生の目にも、資本主義の西ベルリンと社会主義の東ベルリンという壁一つ隔てただけの繁栄の違いは歴然だった。政治体制の違いが、これほど人々の暮らしを変えるのか。その重さを知った。

 出馬宣言は案の定、「上場直後に創業者が国政に行くという話は聞いたことがない」「国政に出るのはやめたほうがいい」と困惑や心配の声をもらうことになった。これが元榮の思いをますます強くした。「常識の反対側に成功はある」と考えるのが、元榮なのだ。弁護士がITベンチャーの上場社長になるのも初めてだったが、さらに国会議員になるという前代未聞の挑戦がここから始まった。

 選挙は2016年7月。選挙区は千葉県。実は公認が決定する前から政治活動を始める必要があり、弁護士ドットコムで元榮の秘書役を務めていた後藤顕治が政治活動のサポートも行うことになった。後藤は語る。

 「最初は二人での活動スタートでした。とはいえ二人とも政治のど素人ですから、何をどうすればいいのか、まったくわかりません。そこで、先輩議員の先生や事務所の方から、いろんなアドバイスをいただくことになりました」

 あそこに行きなさい、そこに行きなさい、ここについてきなさい……。まずは、とにかく言われるままに会合などに向かう日々が始まった。

 当初、元榮は弁護士ドットコムの事業との両立は難しくないと考えていた。何しろ、弁護士と起業家の二足のわらじも続けてきたのだ。だが、政治家を目指すとなれば、また一味違う苦労があった。

 朝5時に都内の自宅を出て、6時過ぎには千葉に降り立つ。そこから9時くらいまで、いろいろな駅に立って挨拶のスピーチをする。いわゆる「駅頭活動」だ。

 朝の通勤ラッシュが一段落しそうな時間が終わると、東京に戻って弁護士ドットコムの社内会議に出て、業務が始まる。そして夕方以降になると再び千葉に向かい、会合に出る。「人を集めたので紹介するから来なさい」と呼ばれたりした。

 片手間などではできない、ということが次第にわかっていく。中途半端なことをしていれば、「選挙を舐めているのか」などと言われかねない。元榮は現実を理解し、弁護士ドットコム社内での権限委譲をさらに推し進めていった。

弁護士ドットコム代表取締役社長兼CEO、元榮太一郎(写真=的野 弘路)
弁護士ドットコム代表取締役社長兼CEO、元榮太一郎(写真=的野 弘路)

ドブ板選挙は人間修行

 選挙事務所では、後藤も判断役を担うことになった。

 「地盤、看板、鞄の何もなかった状態からのスタートでしたから、私自身も忘れられない経験になりました。本人も一生忘れられないくらい苦労したと思います」

 思ってもないような言葉も浴びせかけられた。不満の言葉をぶつけられることも少なくなかった。「お前たちなんか、応援しねぇよ」と目の前で言われることもあった。耐えるしかなかった。政治の素人だけに関係者からも厳しいお叱りを受けることがたびたびだった。後藤は言う。

 「どんなことに対しても、真摯に受け止めなければいけない。そうでなければ、支持も得られないし、当選はない。国政に立つというのは、こういうことなんだと学びました。私自身は、とにかく人間力が磨かれる、人間修行の日々でした」

 選挙が近づくと、選挙事務所のスタッフは15人以上に膨れ上がった。関係者から「こっちに来い」「あっちも行け」と次々に声がかかるが、元榮は一人しかいない。あとは秘書が代理で行くしかなかった。手分けして向かった。後藤は言う。

 「朝から駅での街頭演説をやり、その後、夜遅くまで会合に出て、それから事務処理。朝5時起きで夜22時戻りのような状況が投票日の1カ月くらい前から始まりました。体と心の限界に追い込まれ、倒れるスタッフもいました」

 元榮も必死だった。とにかく要望にいかに応じるか。移動の車を降りると1時間会合に出席。また移動して次の場所では演説。また移動して会合。自分が今、何をやっているのかわからないような日々が過ぎていった。

 そして、2016年6月22日、第24回参議院議員通常選挙が公示された。18日間の選挙期間中のうち、最初の7日間は負けると言われていた。ところが、そこから変化が起きた。元榮の若さと熱意を込めた懸命のわかりやすい演説、そして直接の握手が、人の心を動かしていったのだ。まさに必死さこそが、伝わったのである。

 そして、投票日はやってきた。

日経ビジネス電子版 2026年2月10日付の記事を転載]

法律によって励まされ、法律によって社会をよくしようとするベンチャー、弁護士ドットコム。弁護士の資格を持つ創業社長として初めて起業した会社を上場させた元榮太一郎氏をはじめ、20数人のキーパーソンの証言で創業からの20年を綴る。日本初の電子契約サービス「クラウドサイン」などのサービスが生まれた背景や、会社が急成長できた秘密など余すことなく描く一冊。

元榮太一郎、上阪徹(著)/日経BP/2090円(税込み)