直感で答えが導かれるプロセス「ヒューリスティクス」には落とし穴がある。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの著書『 ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 』(村井章子訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)はこう解説します。この名著を、慶応義塾大学大学院経営管理研究科の清水勝彦教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
結論を正当化する「確証バイアス」
システム1、つまり直感で答えが導かれるプロセスを「ヒューリスティクス」と言います。語源はアルキメデスが風呂から飛び出して叫んだ「ユーレカ=見つけた」にあり、「困難な問題に対して適切ではあるが往々にして不完全な答えを見つけるための単純な手続き」という意味です。
第1回「 『ファスト&スロー』 なぜ人は間違ってしまうのか 」で説明したように、バイアスにつながる共通メカニズムは、「近道」「効率よく」「エネルギーを使わないで」答えを出すという点です。本書ではヒューリスティクスが生むバイアス、落とし穴が挙げられています。
1つは認知容易性(cognitive ease)です。(1)繰り返された経験(2)見やすい表示(3)過去の体験が連想を誘導するアイデア──はポジティブに判断されます。例えば、発音しやすい言葉に対しては好感度が高く、「株式公開直後の1週間は発音しやすい名前の会社の方が、そうでない会社より株価が上がる」という研究もあります。(4)本人の機嫌がよい時、もそうです。いつ上司に自分のアイデアを提案するかの参考になります。
2つ目は因果関係を単純化して理解する性向です。「私たちの思考は自動的に原因を探すようになっている」ので、本当の原因は何なのかを考える前に「もっともらしいアイデア」に飛びついてしまうのです。本書には株価の変動について「正反対の結果を1つの事例で説明する」例がありますし、顧客ニーズを探るグループインタビューを「お金を払ってもっともらしいことを言う活動」とからかう人もいます。
3つ目はもっともらしい、よく目にするだけで飛びついた結論を(無意識に)正当化してしまう「確証バイアス」です。システム1・直感は「信じたがり」なのである意味効率的ですが、「ありそうもない異常な出来事が起きる可能性を示唆されたり、誇張して示されたりすると無批判に受け入れやすい」のです。どこかで聞いた話です。
見たものがすべて?
こうしたバイアスのベースにあるのは「つじつま合わせに走るシステム1と怠け者のシステム2(知的活動。連載第1回参照)の組み合わせ」によるところが大きいことはすでにお分かりと思います。
よく言われる「ハロー効果」もこの1つの例です。「ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましく思う(または全部を嫌いになる)傾向」のことです。例えば、大統領の政治手法を好ましいと思っていたら(あるいは先生の教え方がうまいと思っていたら)、大統領の容姿や声も好きである可能性が高い(そしてその逆も)と言われています。
システム1の動きは、情報の量とか質とかではなく、何しろ自分の見たものすべて(What You See Is All There Is)という意味で、WYSIATIという略語が作られているほどです。
難しく考えた方が「もっともらしい」
自分の感じるもっともらしさを重視し、客観的な「確率」を無視してしまうこともあります。有名な「リンダ問題」を読んでください。
リンダは31歳の独身女性。外交的で大変聡明(そうめい)である。専攻は哲学だった。学生時代は、差別や社会主義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
ここで問題です。リンダは(1)銀行員(2)フェミニスト運動に熱心な銀行員、のどちらだと思いますか?
この質問に対して、回答者ほぼ全員が「ただの銀行員」ではなく「フェミニスト銀行員」と答えるのです(スタンフォードのビジネススクールで意思決定科学コースに在籍する博士課程の学生にこの問題を聞いた時も、85%の学生が「フェミニスト銀行員」である可能性を「銀行員」である可能性よりも上位だと答えたそうです)。
ベン図を思い出して少し考えれば分かるように、「銀行員」の方が「フェミニスト銀行員」よりもより広い範囲をカバーしており、そちらの確率の方がはるかに高いはずです。しかし、「銀行員」のステレオタイプと比べたとき、リンダはそれに当てはまらず、「もっともらしくない」のです。
「一般的にはそうかもしれないが、この場合は違う」と思うのは、企業の意思決定にも多く見られます。クライスラーを買収した時のダイムラーのユルゲン・シュレンプCEO(当時)も「大型買収は失敗するケースが多いが、当社は違う」と言って、やっぱり失敗しました。また、医師の診断や株価の予想などでは、専門家の判断よりも客観的なアルゴリズムやチェックリストの方がより効果的なことが分かっています。
20世紀を代表する心理学者、ポール・ミールの言葉を引用しながら、カーネマンは次のように指摘します。
「専門家は賢く見せようとしてひどく独創的なことを思いつき、いろいろな要因を複雑に組み合わせて予測を立てようとするからだ。めったにない特殊なケースではそうした複雑な予測がうまくいくこともあるかもしれないが、たいていは的中率を下げるだけである。主な要因の単純な組み合わせの方が、うまくいくことが多い」
あっさり質問を置き換えていませんか
そもそものヒューリスティクスの定義にあるように、「脳の驚くべき特徴の1つはめったにうろたえないこと」です。そのようにシステム1ができているからですが、例えば「ある問題をどうしても解けないときは、自分に解けそうなより簡単な問題を探す」ことになります。
こうした質問の置き換えは、システム1が無意識に行っています。そして、怠け者のシステム2はだいたいの場合最小限の努力で済ます、つまりあっさりとそうだと思ってしまいます。したがって、私たちは「ひどく頭を悩ませることもなく、本来答えるべき質問に答えていないことにさえ気づかない。しかも直感的な答えがすぐさま浮かんできたのだから、ターゲット質問が難しかったことにさえ気づかないだろう」
「分かりやすく説明しなさい」と私もよく学生に言っていますし、そのように上司に言われたり、部下に言ったりした方は少なくないはずです。ただ、もしかしたら「分かりやすさ」は、本質的な質問を、ヒューリスティックな質問、より心にアピールしそうな質問に置き換えているだけかもしれません。「リンダ問題」のように、その方が「もっともらしい」場合も多いのです。
「If you don't read the newspaper, you're uninformed. If you read the newspaper, you're misinformed.」。つまり新聞を読まないと無知になるが、新聞を読むと間違った情報にふりまわされるということです。『トム・ソーヤーの冒険』などで有名な米国の作家、マーク・トウェインの言葉です。
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)