中学生の20人に1人が不登校という時代、「Z世代の最先端」を走るのは、かつてなら「エラー」とみなされた人たちだ。エンタメ社会学者の中山淳雄氏の最新刊『 クリエイターワンダーランド 』から一部を抜粋・再構成する。第3回は、Vチューバーユニット「すとぷり」を立ち上げた「ななもり。」などのクリエイターが、日本における「普通」から脱却し、新しい道を切り開いている社会変化について分析する。(文中敬称略)
ミキサー、ビルダー、推し活という参加行動
下の図表1は、ネット上でのエンタメ活動を分類したものである。かつてはカルチャーの担い手はクリエイターとキュレーターであり、消費者はコンテンツを鑑賞するだけだったが、その境界は曖昧になってきた。
「消費者」はときに「キュレーター」にもなり、「クリエイター」にもなる。その中間地点に位置づけられる“新しいユーザー”が「ミキサー」や「推し活ファン」、そして「ビルダー」なのだ。
彼らの目的は、必ずしも自分自身が舞台に立つことではない。自分が舞台袖で支援をすることによって、推しが舞台でより輝くことである。稀にそこから不世出のクリエイターが生まれ、自身がアーティストとなることもあるが、基本的には前に出るほど強い自尊心や自信があるわけではない。誰かをバックアップしたいという気持ちから始まり、自分にできることを模索した結果としての行動なのだ。
ダウンロードカルチャーからアップロードカルチャーへ
「デジタル×能動」。これがエンタメ育ち盛りの若者時代から「動き方のOS(オペレーションシステム)」として刷り込まれているかどうかの違いは大きい。Y世代以前は、ネットは「リアル購買空間の延長」だった。それはテレビを見ているのとさして変わらず、たくさん広告を見続けなければいけない空間であった。2000年代初頭のスラム的だったネット空間は、検索ワード1つでエロ画像に埋め尽くされたり、SEOをハックした質の悪いECサイトに飛ばされたり、個人情報を抜かれたりすることも多く、ネットは「信用ならざるもの」だった。
だがブログから始まり、ミクシィに能動的に書き込むことが増えてきて、LINEなどクローズなネットワークで安心して「検索の外」でネットを楽しめるようになる。検索も効率化し、上位にはスポンサードかどうかのリンクも明示され、調べたいものとの連動性も格段に上がってきた。デジタルに能動的なアクションをしても、裏切りを受けることが減ってきている。
そしてスマホ普及によって、テキストや写真、動画に至るまで、加工の上でアップロードされる情報は爆発的に増えた。2010年代はUGC(ユーザー生成コンテンツ)の百花繚乱時代で、人々がアップロードするものが天文学的に膨れ上がった。Z世代たちの「デジタル×能動」の総量は、それ以前の世代の比ではない。さらにその先を言えば、この2010年代の蓄積が、2020年代にそれを“食わせた”AIの進化につながっており、ネット化した意見や判断、情報がAI進化の大前提にもなっている。
Y世代まではダウンロードカルチャーであり、Z世代からはアップロードカルチャーなのだ。「推し活ファン」として周囲の友人を引っ張り込むことも、「ミキサー」として「歌ってみた」「踊ってみた」をアップすることも、「ビルダー」として動画の切り貼りやファンサブをしたり、小説家になろうやpixivなど個人向け投稿プラットフォームで作品を発表したり、マインクラフトやロブロックスなどのゲーム作成プラットフォームを使ってワールドを作ったりすることも、Z世代ではもはや普通になっている。
紅白出場も実現した「すとぷり」の時代フィット感
Vチューバーユニットの「すとぷり(すとろべりーぷりんす)」を擁する株式会社STPRの立ち上げは、まさにZ世代起業を代表する事例だろう。すとぷりは2023年末の紅白歌合戦にも出場したVチューバーユニットである。
STPRの代表者である「ななもり。」は、Z世代1年目の1995年生まれ。彼が今の活動を行う原点となったのはニコニコ動画である。
中学から不登校だった彼はソーシャルゲームのガチャ動画をあげているうちにユーザーがつき始め、「歌ってみた」などのパフォーマンスをしているうちに、ついにはアイドルユニットを結成してしまう。2016年6月、ネット&スカイプでつながった6人のアイドル歌い手ユニット「すとぷり」を結成した。「当初はオンラインだけでしゃべっただけの、まだ直接会っていないメンバーもいた」というほどだ。
これまでどこの世界に、芸能事務所にも音楽レーベルにも所属せず、プロデューサーもいない、高校生・大学生・フリーターの男子6人のアイドルユニットが存在しただろうか。歌ったり、雑談したり、ゲーム実況したりといった活動をユーチューブ上でしながら、その「素顔」や「芸」でファンを作り、年に1〜2回自分たちでリアルなライブを開き、そこでチケット収入を得たり自作のライブグッズを販売したりしている。2016年は300席のライブハウスでの音楽ライブから始まったが、ユーチューブチャンネル登録者が数万人になってきたあたりで数千人のホールで大きめのライブに挑戦するようになる。そうなるとさすがに法人が必要だとなり、結成後2年たった2018年に株式会社STPRが設立される。メンバーの1人でパフォーマーでもある「ななもり。」がプロデューサー兼社長をこなす1人企業だった。
驚くべきは2019年夏、Zeppの収容2000人前後のホール6会場で公演を行い、その流れで最終的には西武メットライフドームで2万人以上を集める過去最大規模のコンサートを成功させた。その当時、STPRはななもり。以外に社員は1人もいなかった。外部に協力会社こそいるものの、6人のパフォーマーと1人企業が、ちょっとどころではない背伸びをしたこの夏のツアーは、手元資金3億円に対して総経費は15億円。たとえ黒字確実なコンサートであったとしても、現金の払い込みのタイミングとチケット代・グッズ売上が振り込まれるタイミングを間違えると「黒字倒産しかねない恐怖感もあった」とななもり。は言う。アマチュアのアイドルが自分で会社を設立し、10億円超を投資して、自主興行を開く。平成から令和にかけてそんな大勝負ができるなんて想像を超えている。
メーカーとユーザーの境界線が曖昧になった時代の申し子
STPRがオフィスを構えて2人目の社員を採用したのが2020年、コロナで時代が激変して活動が一時ストップしてからの話だ。2023年春時点で年間15~20回のライブを行い、年商100億円以上に及ぶような大企業にはなっているが、いまだに社員は50人超。意思決定のほとんどを社長が行う中小企業でもある。
STPRはメーカーとユーザーの境界線が曖昧になるこの時代の申し子のような事例だ。ニコニコ動画にアップしたり、「歌ってみた」をやったりしていた頃のななもり。は、「推し活ファン」や「ミキサー」といった域を出ていない。だがその“クリエイターっぽいユーザー”が、同類でもあるファンたちに押されるがままに「ビルダー」そして「クリエイター」へと進化していく過程は、小さなものが伝統大手のビジネスを打倒するジャイアントキリングの爽快さを感じさせる。
通常のベンチャー企業のステップを踏んだ設立プロセスや成長過程と比べると、バグとしか思えないちぐはぐ感がある。1桁小さい体制と2桁多いファンの熱量・市場規模が広がっており、「F1エンジンを積んだミニカー」のような企業である。Z世代経営者の企業には、似たような例が他にもいくつか存在している。
「異変」「エラー」は珍しくなくなった
私は仕事柄、起業家やクリエイターと接することが多い。それこそ孫正義育英財団に入る天才児たちにも出会ってきた。驚いたのはそうした「Z世代の最先端」にいる若者の、小中学校における不登校比率が高いことだ。
小学生・中学生の不登校者数の上昇ぶりは顕著なものだ。2021年には中学生320万人のうちの16万人、20人に1人(5%)が不登校になっている。1980年代には1%未満、2000年代には3%弱だったが、その上昇曲線はコロナで加速した(図表2)。
親との大した軋轢もなく、学校に行かなくても勉強がそこそこできるならそれでいいよ、と驚くほどすんなりと不登校を選択する。それで高校時代からビジネスをしたり、仲間を集めて起業をしたりして、10代にしてすでに起業2社目、3社目という猛者もいる。
Z世代の不登校は、我々がイメージしているものとは違う。彼氏彼女もいるし友達も多い。ちょっと授業が面白くなくて毎日欠席するようになる。親は許容していて、毎日のように会話もしている。友達とはオンラインでいつでも連絡がとれるから、むしろ休んでいるときのほうが頻繁にやりとりがある。勉強は自分でやってしまえば、むしろ退屈な授業よりもはるかに効率的。
昔の不登校は「ヤンキーか引きこもりか」で、社会的空間から隔絶されていた。動画講義なんてなかったし、友人からは蔑視の目を向けられて、そしてなにより不登校は家庭内で疎んじられるため、圧倒的な孤立の中で“病状”は悪化するばかりだった。だがZ世代の不登校は断絶を意味しない。
2010代後半の環境変化は、スマホの普及、データ低廉化、ネットコミュニティサービスの普及によって「デジタルに“場”ができたこと」であり、これが不登校が増えた理由の1つと言えるだろう。20年前のネットは“場”としては不十分だった。2ちゃんねるに毎日書き込んでいたとしても、そこは人の気配こそあれどコミュニティにはなってなかった。当時は不登校になることが、あまりに覚悟のいる選択肢だった。
だが今では動画をアップすれば瞬時で反応がある。『ファイナルファンタジー14』に入ればいつもオンラインで一緒になる友人がいる。SNSを眺めるだけで1日が終わるくらい大量の情報と接している。デジタルの中に「社会」といえるような構造が出来上がったおかげで、終日家に閉じこもっていても孤独感を感じにくい時代となった。これがアバターとしてビジュアル化され、空間的な奥行きまであるメタバースともなれば、もはやそれは立派な社会代替空間である。
こうした変化は、かつては「異変」「エラー」とされたが、今ではさして珍しいことではない。人生の安全と安心を保証する「大人になる普通の道」からはずれる割合は、21世紀に入って徐々に上がってきており、特に2010年代後半になってからの変化は顕著だ。
「普通は」から「自分は」へ
我々は常に時代に求められるアイデンティティを“コスプレ”して生きてきた。男は「男」らしく。女は「女」らしく。「大人」として恥ずかしくないふるまいを。日本は世界的にみても“コスプレ大国”である。属性に応じて、「こうあるべき」というプレッシャーは強く、調和の乱れに敏感である。
これは日本社会が排他的だとか悪意にうずまいているとかいった話ではなく、ただ単純に「違い」に慣れていないがゆえに空気と集団の力で自然と均質化させてしまうエントロピー構造が強いという話だ。そしてその集団の同化圧力に、誰もがあまりに無自覚なのだ。
人は与えられた「普通は」に閉じ込められ、自分で自分を監視する。違和感を覚えながら、他人が与えた記号の箱の中に、どうにかこうにか自分を押し込めて、その鋳型の通りに矯正していく。それは多くの人にとっては、それほどストレスなく行える作業なのだろう。“皆がやっているように”ふるまっていけばいいだけの話だ。
だが人々は与えられた「普通は」ではなく、自らのあるがままの「自分は」を追求するようになってきている。それはZ世代の若者が旗手となって生き方を示しており、彼らのエンタメ性向から見える変化こそが30~50年後の世界では当たり前になってくる未来なのではないか。
ファッションも音楽も言葉づかいも、「自分たちは違う」ことを確認する道具である。抗いたい世界から自分を切り離すために、自分の部屋の中では安心感を持てるように自分の愛する小道具で囲い込んできた「戦いの結果」なのだ。魔法陣のように、防護服のように、守りを固める道具として、文化は絶大な威力を発揮する。「普通は」が苦しくて仕方がない人々にとって、「自分は」と言える武器は救いである。
Z世代が旧世代にはなかった行動様式や小道具で身の回りを固めていく様子をみていると、それが数世代にわたって続いてきたマスカルチャーの終焉を告げていると思えてくる。

中山淳雄著、日経BP、2200円(税込み)


