ミステリの名手であり、ホラーや純文学なども手掛ける芦沢央(よう)さんのエッセイ連載。前回(参照:ミステリ作家が惹かれる「将棋」という名の“残酷なゲーム”)は、芦沢さんが小説の題材にも選ぶ「将棋」についての話でした。今回は、多くの人が悩ましいと感じているSNSの使い方についての話です。(編集部より)

「SNSはやらない方がいい」という結論
前々回、前回と編集者からリクエストされたお題(「待ち会」「将棋」)で反省会を行ったが、実はもうひとつ、出されたお題がある。
それは「小説家としてのSNSの使い方」。明らかに反省すべき点が多々ありそうなテーマだ。
なのに、なぜ「待ち会」や「将棋」よりも後回しにしたのかと言うと、もはやどこから反省していけばいいのかわからなさすぎて途方に暮れたからである。
しかし、すぐには改善する糸口すら見えてこないことに対してぐるぐると考え続けるのが、この「ひとり反省会」。
というわけで、今回もとりあえず出たとこ勝負で始めてみよう。
さて、私の近しい同業者の間では「SNSの使い方」について、既にひとつの結論が出されている。
それは、「やらない方がいい」というものだ。
はい、終了――では、さすがに反省会にならないので、まずはその考えについて検証したい。
「SNSはやらない方がいい」と折りに触れて口にしているその同業者に理由を聞くと、以下のような答えが返ってくる。
SNSをやっていれば、それだけ失言のリスクが高まる。ポストする内容に頭を使う時間があるくらいなら、小説の原稿を書いた方が有意義だ。SNS上のトラブルに巻き込まれる可能性もあり、宣伝というメリットを考慮しても確実にデメリットの方が大きい。
なるほど、たしかに――まずい、また終了しそうになっている。
シャドウバン事件
おまえは本当に反省会を続ける気があるのかと叱られそうだが、実際のところ、メリット・デメリットという観点で考えると反論が難しいのだ。
特に私のような粗忽(そこつ)者にとって、失言のリスクは馬鹿にできない。そのため、投稿する際にはできるだけ一度下書きをしてから少し時間を置いて、誤字脱字がないか、書かなくていいことを書いていないかなどを見直すことにしている。さらに、告知など私以外の関係者が存在する内容では、事前に編集者に「こういう形でこの日時に投稿して問題ないか」と確認してからポストすることにしているため、とにかく時間がかかる。しかも、それだけ注意深く投稿しようとしていても、結局誤字脱字があったり、書かなくていいことを書いてしまったりする(ひどいときには、酔っ払って後から読み返すと赤面するような自分語りをしてしまったりもする)のだから、SNSに使っている時間で原稿を進めた方がいいと言われれば、その通りとしか答えようがない。
もちろん、「芦沢央」としてのアカウントを運用することで、新刊やイベントにまつわる情報が読者に届けやすくなるというメリットはあるが、それだってSNSをやっていない小説家と比べて本当にデメリットを上回るほどの効果を上げているのかと問われれば、正直怪しいところだろう。
SNSの使い方をテーマにした私のひとり反省会では外せないエピソードのひとつに、「エゴサ&リポスト大会シャドウバン事件」というものがある。
大仰に「事件」という表現を使ってみたが、何のことはない。その名の通り、エゴサ&リポストをしすぎたせいでシャドウバン(運営から「投稿が検索に引っかからなくなる」「他のユーザーに表示されにくくなる」といったペナルティを課されるものの、特に警告等はないため本人はなかなか気づかない)された、という出来事だ。
私は数年前から、「新刊刊行時のみエゴサ&リポスト大会をする」というルールを自分に課していた。正確には、新刊発売日からそのひと月後までの間、新刊のタイトルや芦沢央という名前で検索して読者の方々の感想を見つけ出し、リポストしまくることにしていたのだ。
本というものは、新刊として世に出てからひと月後までに運命が決まることがほとんどだと言われている。それは、次の月の新刊が大量に入荷される際に返本されてしまう可能性が高いからだ。もちろん例外もたくさんあるが、多くの場合は1カ月の間に「この本は売れるかも」と書店さんや出版社に認識してもらえなければ、重版はかかりにくくなり、徐々に(あるいは急速に)店頭から本が消えていってしまう。
だからこそ、とにかく1カ月間は騒ぎ続けなければと気負って毎日エゴサ&リポストをしまくっていたのだが、SNSに詳しい出版社のプロモーション部の方によれば、私はそのせいでSNSの運営から「不審な動きをするアカウント」と見なされ、短く見積もっても1年半はシャドウバンを食らっていたらしい(指摘されて初めて知った)。
つまり、宣伝を頑張りすぎたせいで、アカウント自体が宣伝能力を持たないものにされていたのだ!
もはや、反省どうこうというレベルではないほどにアホすぎる……。
なぜ、そんなにも大量にリポストし続けてしまったのかと言うと、とにかく必死だったというのもあるが、「フォロワーの方のタイムラインを圧迫し続けるのも申し訳ないし、ひと月限定ときっちり決めて、それ以降は一切やらないようにしよう」と考えていたため、1日当たりの件数が10数件にも及んでいたのだ。
しかも私には、「こっちの感想はリポストしたのに、こっちの感想はリポストしないのはフェアではないのでは?」という謎の精神があった。宣伝としてやっているくせに、自分が特に嬉しいと感じたポジティブな感想だけリポストするのには抵抗があり、見かけた感想を片っ端からリポストしていたのだ。
プロモーション部の方には「芦沢さんの動きは完璧にAIのそれですよ」と言われたが、たしかに紛うことなき不審なアカウントである。
フェアにやろうとするとパンクする
私が現在使っているSNSはXだけで、一応もう10年以上運用しているのだが、この「フェアではないのでは?」という謎の精神は、これまでにも私にいくつもの課題を突きつけてきた。
たとえば、リプライに対してどのくらい返信するのか問題(昔は「ひとりに返すのなら全員に返さなければ」と考えており、すべてのリプライに逐一返信していたらパンクした)。
社会問題や特定の出来事についてポストしたら、その件をフォローし続けるべきなのか問題(「一度意見を表明した以上は責任を持って情報を追い続けるべきなのでは」と思い詰めてしまい、日常生活に支障をきたすレベルになってパンクした)。
献本された本についてポストするのか問題(「ご恵贈いただきましたポストは自慢に捉えられることもあると聞いたから、入手経緯は書かずに感想を投稿しよう」と考え、読了してから感想をポストするようにしていたが、次第に感想をまとめる時間が取れなくなってきてパンクした)。
宣伝をリポストしてもらったら相手の宣伝をリポストした方がいいのか問題(「自分がされてありがたかったことはお返ししよう」とタイムラインをこまめにチェックしていたら~以下同)。
こうして書き出してみると、おそらく私はそもそもSNSというものに向いていないのだろう。少なくとも、小説家の宣伝目的のアカウント運用にはどう考えても向いていない。
宣伝もまともにできず、妙にフェアさにこだわるあまりに何度もパンクし、その結果、最近では気まぐれにしかポストもリポストもしないフェアネスゼロ人間になっている。我ながら極端だと呆れるが、そのくせ「本当にこれでいいのか」と悩むのだけはやめられないのだから、潔さもない。
SNSに使っている時間自体は減ったため、そうした点でのデメリットは少なくなったものの、失言してしまうことに怯えて当たり障りのない内容しかポストしないためバズる確率は低く、宣伝下手なことには変わりがないため、メリットが上回っているとも言いきれない。
編集さんや書店員さんからの「愚痴や弱音などのネガティブなポストはあまりしない方がいい」「重版などのポジティブな情報はどんどん発信した方がいい。その投稿を見て返本をやめたり新しく注文を入れたりすることもあるから」といったアドバイスに従って、基本的に良いニュースしか流さないようにしているが、単に自慢したがりなアカウントに見えている可能性もある。
メリット・デメリット以前にXという場が嫌いではない
考えれば考えるほど、SNSというものは難しい。
では、なぜそれでも私はSNS(X)を続けているのか。
それは、私がメリット・デメリット以前にXという場が嫌いではないからだ(攻撃的な言葉を目にするとダメージを受けてしまう人間なため、好きだとも言えないが)。
Xはテキストでの発信や交流をメインにしたSNSだからか、読書をする人が比較的多く、自分の作品に限らずいろいろな本に関する感想を目にすることができる(実際、タイムラインに流れてきた感想で存在を知り、出会えた本がいくつもある)。
サイン会などのリアルイベントで「◯◯です」とアカウント名を名乗られて、ああ、あの人か! となるのも楽しいし、X上でやり取りしていたおかげで初めて会ったときにも気構えずに話せた同業者が何人もいる。
そう言えば、SNSが仕事のきっかけになったこともあった。旧Twitterで同業者の友井羊さんが〈同じトリックを使って複数のミステリ作家に小説を書かせて、どのようにストーリーが変わるのか興味ある〉と投稿され、それに対して〈おもしろそう!〉と引用で反応したところ、それを見た編集者が早速アンソロジー企画を立ててくれたのだ(その企画で私が書いた短編「薄着の女」は、最近出したばかりの新刊『あなたが正しくいられたとき』に収録されている)。
そう考えると、結構メリットもあると言えるのか? いやしかし、やはり私の場合、いつか何かやらかしてしまうかもしれないというリスクはかなり大きい……結局のところ、私はメリットよりデメリットの方が大きいのではと疑いながらも、自分には向いていないのだろうと思いながらも、時に流れてくる殺伐とした空気にダメージを受けながらも、これからも何となくだらだらとXを使い続けてしまうのだろう。
最も反省すべきなのは、この決断力のなさなのかもしれない。