ハーバード・ビジネス・スクールの名誉教授、ジョン・コッター氏は、企業が変革するには8つの段階を踏む必要があると示しています。コッター教授がリーダーシップの本質をまとめた名著『 リーダーシップ論 第2版 人と組織を動かす能力 』(DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部、黒田由貴子、有賀裕子訳/ダイヤモンド社)を、ヒトラボジェイピー社長の永田稔さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
変革に必要なプロセス
企業の変革に際し、リーダーはどのように行動すべきでしょうか。
コッター教授は多くの企業変革を観察し、成功したケースから変革に必要なプロセスとリーダーの役割を抽出しました。企業が変革するには8つの段階を踏む必要があると示しています。
(1)危機意識の浸透、(2)強力な推進チームの結成、(3)ビジョンの策定、(4)ビジョンの伝達、(5)社員のビジョン実現への支援、(6)短期的な成果を上げるための計画と実行、(7)改善した結果の定着、(8)新しいアプローチを組織内に根付かせること、となります。
(1)ではリーダーは社内に危機意識を醸成し、組織内に変革の必要性を理解・浸透させる役割を担います。危機意識の醸成が十分でないと社員は従来の職場環境や仕事に安住し、場合によっては抵抗勢力となってしまいます。危機意識を共有し、変革を推進する仲間を各関係部門につくることが求められます。
(3)のビジョンの策定では、リーダーは分かりやすい一貫性のあるビジョンを示す必要があります。分かりやすくないと、社内の変革プログラムが混乱をしたり、矛盾を起こしたりすることにつながります。
(4)のビジョンの伝達でも、リーダーは多くの人にビジョンを理解してもらうため、言葉と行動でコミュニケーションを取る必要があります。周囲はリーダーの言行一致度合いを見ており、行動で説得力のあるメッセージを示す必要があるのです。
変革を組織内に広めていく上で重要なのは、変革に参画しようと意識を変え始めた社員への支援です。そのような社員を支援し成功に導くことで、社員の間に信頼感が深まり、この方向に進んで大丈夫だとの自信につながるのです。
成功を一過性のものにせず、組織内に根付かせることも大事です。新たなアプローチを定着させることで成功確率が高まるのです。リーダーは各プロセスを主導しなければなりません。
ケーススタディー 変革の困難さに直面したリーダー
A社のリーダーシッププログラム開発にあたり、人事部長のYさんは現在のリーダーのアセスメントを行い、育成課題を把握する活動を始めました。
アセスメントの対象として、数年前に一流の戦略コンサルティング会社からヘッドハンティングしたT事業部長を選びアセスメントを行いました。Tさんは戦略コンサルティング会社で若くしてパートナーになった切れ者という評判で、A社の業界にも精通し、鳴り物入りで入社をしました。
T氏の担当する事業は、技術変化の影響を受け、競争環境やビジネスモデル自体の大きな変革を迫られている事業でした。T氏は入社早々、今までの経験を生かし社内外の調査を進め、担当事業の新戦略と変革シナリオを作成しました。
この新戦略はトップ陣からも大きな評価を受け、社内から大きな期待を集めました。しかし、新戦略は思うように実現されず現在に至っていたのです。経営トップも素晴らしい計画を作ったにもかかわらず、なかなか実現されないことに次第にいら立ちを覚え、人事部長になぜT氏が変革を実現できないのかを調査するように命じました。
人事部長のYさんはT氏に時間をもらい、行動探索インタビューを行いました。行動探索インタビューとは、T氏が具体的にどのような手順で新戦略に基づく変革を実現しようとしたのかを時系列で思い出してもらい、その過程を具体的な行動レベルで確認するインタビュー手法です。この手法により、実際にT氏がどのような行動で変革を実現しようとしたのかを把握したのです。
そこで分かったT氏の変革行動と、コッター教授の「企業変革の8段階」や「変革の際の落とし穴」とを比較することにより、T氏の新戦略実現行動が適当であったのかどうかが分かると考えたのです。
コッター教授は、企業変革を実現するには8つの段階が必要だと述べています。それは、前述の通り、(1)危機意識の浸透、(2)強力な推進チームの結成、(3)ビジョンの策定、(4)ビジョンの伝達、(5)社員のビジョン実現への支援、(6)短期的な成果をあげるための計画と実行、(7)改善した結果の定着、(8)新しいアプローチを組織内に根付かせること、の8つの段階です。この段階ごとにT氏の行動と周囲の反応を確認してみました。
その結果、問題として考えられるのは、(1)の危機意識の浸透と(4)のビジョンの伝達の部分でした。
T氏は新戦略の説明会を各階層に行っており、社員の間で新戦略の存在は認知されていました。Y人事部長が社員に確認したところ、「今までも何度も新戦略というものが出てきた。しかし、特に実施を強制もされなかったし、それが原因でクビになった人もいない。もっというと、なぜ今までのやり方を変えなければならないのかが分からない」という声が多く上がりました。また、他の社員からは「T氏の論理的な説明は非常に分かりやすい。しかし、動こうというまで気持ちに火がつかない」という声も聞かれました。
Y人事部長が「事業低迷の原因」を尋ねると、「景気が悪いから」とか「たまたま競合の新商品の価格攻勢にやられた」など自社以外に原因を求める人が多く、「うちの会社が本気になればすぐに挽回できる」という反応が返ってきました。
Y人事部長は、これは戦略の問題よりも、T氏のコミュニケーションや動機づけの方法と、一方で社員の側に蔓延(まんえん)しているぬるま湯体質こそが問題で、この部分に手を入れないことには新戦略の実現はできないだろうと思いました。
T氏の新戦略の資料には業績低迷の原因が自社にあること、また経営環境の変化に対応をしないと自社の低迷が続くことが示されていたにもかかわらず、この変革の必要性について社員には全く伝わっていなかったのです。
真のコミュニケーションで人心を統合
T氏はコンサルタント出身ということもあり、プレゼンテーションは非常に優れているのですが、他の成果をあげているリーダーと比べるとコミュニケーションの方法が限られており、社員からはその機会が不足していると指摘する声もあがっていました。Y人事部長はこの点についてT氏と話し合いを持ちました。
T氏は当初、「論理的な説明が分からないのは社員の側に責任があるのでないか」「今まで自分のコミュニケーションスタイルで問題があったことはない」と主張していましたが、Y人事部長が「社員の声」として前記の結果を示すと、ショックを受けたようでした。
Y人事部長はそんなT事業部長に対し声をかけました。「Tさん、あなたが作られたビジョンや新戦略は素晴らしいものだと思います。ただ、コッター教授も優れたリーダーには『人心の統合』力も必要だと言っています。優れたリーダーは、いろいろな方法、例えば常に職場を回って話をすることやインフォーマルな場を使って社員と色々な話をしながら、社員の感情や戦略への反応を観察しているそうですよ」
Y人事部長は続けました。「当然、うちの社員の側にも大きな問題があります。かつての強い製品、高いシェア、ナンバーワンカンパニーの幻想をいまだに持っており、業界の変化を正面から見ようとしない、競合の強さを認めないという傾向があります。事実を認めない、事実を曲げてしまうという問題があります。ただ、この問題もさらに深く考えてみると、事業部の社員にとって、かつての強い事業部は彼らにとってのアイデンティティーでもあったのです。そのため、今の弱くなってしまった事業の現実を受け入れ、認めることが辛いのでしょう。社員のこのような気持ちも理解する必要があると思います」
T事業部長はしばらく考えた上で答えました。「確かに私がプレゼンテーションで自社の現状分析の話をした際に、何人かの人が目を背けるような反応をしたのが気になっていました。今まで、自分はコンサルタントで実際のコミュニケーションはクライアントの側に任せることが大半でした。さらに言うと、社員のアイデンティティーの問題などは考えたこともなかったです。分かりました、そのような状態の社員には、社員のプライドや今までの経緯に配慮したコミュニケーションが必要だということですね。これには相当時間がかかりそうですが、このコミュニケーション自体が変革プロセスということですね」
Y人事部長は答えました。「さすがTさんですね、その通りだと思います。社員の心に寄りそってメッセージを伝え、変革の動きを支援していくことが必要だと思います。私も手伝いますので、ぜひ一緒に事業の変革を実現しましょう」
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