コモディティー製品での競争から脱却し、グローバル・バリューチェーンの重要機能を担うディープテックで世界をリードする日本企業。その戦略は、「技のデパート」の異名をとった力士、舞の海にたとえられる。「ジャパン・インサイド」といわれる、こうした日本企業の見えざる強さとは何か? 日経プレミアシリーズ『シン・日本の経営 悲観バイアスを排す』(ウリケ・シェーデ著/渡部典子訳)から抜粋・再構成してお届けする。
ディープテックでリーダーシップ
技術の最前線で競争し、飛躍的イノベーションに貢献する方向へと進む動きは、すでに起こっている。日本の先頭ランナーはとうに出そろい、事業戦略、アイデンティティー、企業カルチャーを変えてきた。コモディティー化した製品から脱却して新技術へと移行し、川上への進出や重要な中間財市場を席巻できるようになり、収益性と株価を上昇させた。今や他社もそれに続いている。
このディープテック・リーダーシップへのピボットは「舞の海戦略」と呼べるだろう。この名前は1990年代に、世界的に知られる力士の小錦や曙など巨大な相手を倒した小柄な関取、舞の海にちなんでいる。
取り組みにおいて、舞の海の体格は決定的要因ではなかった。賢く、すばしこい、要するにアジャイルで機敏だったから勝てたのだ。しかも、舞の海は誰もが認める技術リーダーでもあった。少なくとも33種類の決まり手を披露し、その戦略的な洞察力で対戦相手の意表をついたことから、「技のデパート」と呼ばれていた。
舞の海は、日本のビジネスを現在変えつつある戦略転換を思い描く上で最適な存在だ。第1の要素が「ダイエット(食事制限)」だ。つまり、非中核事業から撤退し、既存の中核事業と新規事業への前向きな拡張に全リソースを集中させる。第2に、既存の中核事業における競争で先行し続けるために、おそらく漸進的イノベーションや業務改善によって「筋肉質」にする必要がある。そして第3に、技術に注力し、最先端技術で新しいスキルや組織能力を獲得するためには、はるかに多くのリスクをとらなくてはならない。舞の海は絶えず新しい技を習得して対戦相手の裏をかいた。日本の先頭ランナー企業もまさに同じことをしているだろう。
国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)および経済産業省が作成した資料からは、これらの技(技術)がいかに日本の世界市場シェアの独自パターンを生み出しているかが分かる。このパターンは前回 「『失われた30年』は企業変革の期間 日本企業は再浮上する」 の記事で紹介した経済複雑性の高さと一致している。つまり、製品の複雑性や多様性に関して、日本企業は製造機械や部品だけでなく、増え続ける他の中間財でも圧倒的な市場シェアを占めているのだ。
こうした市場はそれぞれ小さいが、足し合わせれば有力なポジションになる。大企業が1社でこうした市場を複数手掛けている場合もあれば、複数の日本企業が合わせて世界市場を100%獲得している場合もある。他のアジア諸国はそうではない。このように、多数の小さな中間財市場で優位に立つことは、日本への依存度を高める力となる。というのも、他国は経済活動のために日本からの中間財を必要とするからだ。
それでも疑いを持つ読者は、どの類いの日本企業の話をしているのかと首を捻っているかもしれない。日本の世界的な役割と貿易の流れが分かりやすい製造業でいえば、現在、日本が特に強いのが先端化学品であり、三菱ケミカル、三菱マテリアル、三井化学、AGC(旧旭硝子)、旭化成、信越化学工業、デンカ、DIC、東レ、クラレ、東京応化工業など、その顔ぶれは多岐にわたる。
例えば、富士フイルム(旧富士写真フイルム)は映画用など各種画像光学用フィルム、医療用フィルム、医療機器などのグローバル市場リーダーである。JSR(旧日本合成ゴム)は、四日市の合成ゴム事業を完全に売却し、半導体製造に使うフォトレジストやエレクトロニクス用ファインケミカルなど先端化学材料に集中した。実際に、JSRは世界の半導体製造で欠かせない存在となっており、2023年6月に、技術の海外流出を防ぐため、政府系の産業革新投資機構(JIC)の支援を受けて非上場化した。
鉄鋼部門でも日本は依然として強い。特に最近の業界再編後、日本製鉄とJFEスチールは特殊鋼に多額の投資をしてきた。精密機械やロボットでは、ファナック、村田製作所、キーエンス、オムロン、その他のセンサー製造会社、東京エレクトロンなど強い企業が存在する。ウシオ電機、THK、ダイキン工業は世界で強い競争力を持っている。医薬品では、武田薬品工業、アステラス製薬、小野薬品工業が世界ランキングで上位に入る。自動車メーカーやその系列会社の中にも、もちろん有名企業が存在する。知名度があり、再編を進めているにもかかわらず、日本国内ではとかく過小評価されている企業が少なくない。
JPX(日本取引所グループ)日経400に組み入れられている企業の大半がピボットや再編などを行っている。製造業以外の業界でも同様のパターンが起こりつつある。例えば、総合商社や多くの物流企業は効率性で世界をおおむね先行している。日本のコンビニエンスストアは最も効率的なサプライチェーン・マネジメントで世界的な評判を得ている。ファクトリー・オートメーション(FA)領域でも日本は強みを持っており、成長分野に数えられる。銀行大手も復調し、特に東南アジアを中心に急速に海外展開を進めている。
ここで取り上げるのはごく一部で、すべての先頭ランナー企業を網羅しているわけではない。しかし重要なのは、該当する企業を探し始めれば、多数見つかることだ。私の情報のほとんどは、日本の新聞を日々読むことで得たものだ。何か違いがあるとすれば、特に明るいニュースに目を向けていることかもしれない。皆さんも視点を変えれば、同じく見えてくるだろう。
ジャパン・インサイド
「舞の海戦略」にピボットした重大な結果として、技術リーダーシップがあまり目立たなくなったことが挙げられる。製造業では、技のデパートの組織能力は多くの場合、素材や部品など中間財に集中しており、視認しづらい。
ウィンドウズOSのパソコンに「インテル・インサイド」と書かれた小さなシールが貼られていた「ウィンテル」時代を覚えている人もいるかもしれない。これは、自分のパソコンにインテル製チップが搭載されていることを消費者に確実に知ってもらうためのインテルのマーケティング戦略だった。
今日、私たちは日常生活の中で「ジャパン・インサイド」の表示を見かけることはないが、重要な原材料や部品に日本製が用いられている製品を使わない日はまずないだろう。例えば、自動車、飛行機、携帯電話、コンピュータ、スマート・サーモスタットから電動歯ブラシまで、ほぼすべての家電が「ジャパン・インサイド」となっている。こうした中間財はたいてい製品をより良くする種類のものだ。より良いディスプレー、より多くの安全機能、より良い視覚センサー、より良い素材を使ったより高品質の製品、といった具合だ。
こうした中間財はバリューチェーンの最上流に位置することが多いので、専門家でもなかなか評価しにくい。例えば、半導体や電池の製造には、日本製の素材や精密化学品に100%依存している工程がいくつかある。つまり、ほとんどの半導体や電池には「ジャパン・インサイド」の部分があるということだ。さらに、製造装置も多くは日本で生産されている。
このように、「ジャパン・インサイド」はあまねく存在している。日本が製品の複雑さと影響力で世界第1位という理由はここにあるのだ。また、この「見えづらさ」は、第1位であることを知って驚く人が多い要因にもなっている。
複雑で作るのも模倣するのも難しい中間財について、日本への依存度が世界的に高まった結果、多くの日本企業は気づかれないうちにアジアの多くのバリューチェーンの技術的な支柱となってきた。2000年から20年にかけて、韓国と台湾では対日貿易赤字が拡大し、中国では対韓国と対台湾の貿易赤字が拡大した。つまり、こうした国や地域が中間財や最終製品を作るために、日本企業のディープテック製品に依存しているということだ。
さらに言うと、この新たなディープテック・リーダーシップはFA、スマートシティ、空飛ぶ車、視覚技術、センサー、ロボティクス、デジタルものづくりとインダストリー4.0の生産技術や現場管理スキルなど、増え続けるDX産業、製品、サービスで日本企業が先頭ランナーになることに一役買う可能性がある。
『 シン・日本の経営 悲観バイアスを排す 』
ウリケ・シェーデ著/渡部典子訳/日本経済新聞出版/1210円(税込み)


