「自社はどんな事業を行うか」、「どの事業を行うべきか」――。技術力で世界をリードすることに成功している日本企業は、「舞の海戦略」に転換し、リスクを取りつつ、厳しい選択と集中を重ねて変革を進めてきた。そのアプローチを支えたのはどのような考え方であったのか? 日経プレミアシリーズ『シン・日本の経営 悲観バイアスを排す』(ウリケ・シェーデ著/渡部典子訳)から抜粋・再構成してお届けする。
「舞の海戦略」の実際――選択と集中
1990年代に大相撲で活躍した力士、舞の海の成功の秘訣は絶えずアップグレードすることだ。33の技を習得することが競争で一歩先行し続ける術だった。新しい技を使えば、対戦相手にはまねができない予想外の動きが可能になる。
舞の海は相手の意表を突くユニークで難しい技を身につけ、絶えず革新を続けることで、それをやってのけた。対戦相手も当然ながら彼の技を研究したが、舞の海がイノベーションを続ける限り、簡単に追いつけなかった。確かに、常に成功するわけではない。ある打ち手に賭けたものの勝利に結びつかないこともあった。しかし、舞の海は失敗しても、各新技の勝率を見極め、計算ずくでリスクを取り、新たな勝負を続けた。
舞の海が日本の現在のビジネス変革のイメージに最適な理由はそこにある。将来を見据えた技術を構築する際に計算されたリスクを取ることは、国内だけでなくグローバルで変革と刷新に成功している企業がとっている手法だ。
こうした企業の多くは、スタンフォード大学のチャールズ・A・オライリーとハーバード大学のマイケル・L・タッシュマンが開発した「両利きの経営」という枠組みを活用している。その共著書にはIBM、ネットフリックス、アマゾンなどアメリカ企業の事例が多数紹介されており、日本でもベストセラーになった(注)。
両利きの経営は、変革戦略を実行するツールだ。企業は既存事業を深化させる(それによって利益やキャッシュフローを生み出す)と同時に、絶えず新しい事業領域を探索すべきだとする。これが日本の変革に有効であることは実証されてきた。
経営戦略の最も基本的な論点は「自社はどんな事業を行うか」、「どの事業を行うべきか」だ。「舞の海戦略」に転換し、最先端技術で競争し、今後の自社のアイデンティティーを決める場合、これは重要な意思決定となる。決めるべきことは次の通りである。(1)自分たちはどのような企業で、現在のコア・コンピタンスは何か。(2)このコア・コンピタンスを、ユニークかつスマートで、つくるのも模倣するのも難しい新規事業にどのように広げられるか。
イノベーション・ストリーム・マトリックス
「イノベーション・ストリーム・マトリックス」(図表1)はこの2つの答えを出すためのツールであり、経営陣が将来的にどの技術で勝負するのかを合理的に考える上での指針となる。マトリックスの軸は「顧客/市場」と「技術/資産」(コンピタンス)だ。どちらにも「既存」と「新規」という次元がある。この2軸と2次元を掛け合わせると、4つのボックスができる。このうち左下のボックス1は「深化」だ。ここに入るのは現状のコア・コンピタンスであり、既存の技術と資産を使って既存の顧客や市場にサービスを提供する。
残りの3つのボックスは「探索」に当たる。ボックス1を「現状」として、既存製品(技術)を新しい顧客や市場(ボックス2)へ展開していけば、拡大の道筋を描くことができる。最もシンプルな例は海外(新市場)で販売することだ。あるいは、カメラなどの既存技術を、写真を撮る人々のみに売る(B2C)のではなく、少し手を加えて携帯電話メーカーに販売する(B2B)のも一例だ。
既存市場向けに新しい(より良い)技術を開発して、右方向に拡大を図ってもよい(ボックス3)。例えば、自動車メーカーに販売してきた鉄鋼会社は、時間とともに、自動車の安全性のためにより優れた新タイプの特殊鋼や素材を開発しようとするだろう。同じく、ソニーはウォークマンの開発でこの方策を使った。1979年にソニーが創意工夫してカセットプレーヤーを小型化したおかげで、テープレコーダーやカセットテープをすでに持っている消費者も、長い通勤時間中に使うために、はるかに小型になったオーディオシステムを購入できるようになった。
ボックス4は現状の中核事業から根本的に脱却し、新技術の発明に基づく新製品開発を選択する。既存の購買層から離れて、新しい顧客や市場に向けた製品を作っていく。ソニーがエンタテインメント業界に参入した戦略はボックス4であり、ハリウッドで映画館や映画鑑賞者(新しい購買層)向けに映画を製作した(新しい組織能力)。
同じく、パナソニックは現在、航空機用エンタテインメント・システムに強みを持っている。相変わらずエレクトロニクス関連だと思うかもしれないが、新しい顧客(航空会社)に一連の新技術(複雑なシステム設置)を販売している。かつてカメラを製造していたオリンパス、HOYA(ペンタックス・メディカルのブランド名で展開)、富士フイルムは自社の技術を内視鏡などの医療機器へと事業を広げている。
同様に、自動車業界で、ガソリン車からバッテリーや水素を動力源とする電気自動車へと移行するのはボックス3への拡張だ。ただし、トヨタによる空飛ぶ自動車(eVTOL)への投資や、ホンダが成功したプライベートジェット事業の構築はボックス4への移行といえる。こうしたドローンや航空機の買い手は、車の運転手ではなく、パイロットやドローンオペレーターであり、技術も異なっているからだ。
企業が将来の競争スタンスに関するビジョンを策定するときに、各ボックスで考えるべき項目は次の通りだ。
- 〈ボックス1〉 改善や効率性の向上などを通じて、既存の中核事業が競争で強みを発揮し続けるには、どうすればよいか。つまり、既存事業を「深化」させて将来の事業開発に必要なキャッシュフローを生み出していくために、どうすればもっと良くなるか。
- 〈ボックス2〉 既存技術の新たな応用や海外進出など新市場の新規顧客に、どのように既存技術を使って販売できるか。
- 〈ボックス3〉 新技術の開発を通じて、既存顧客をどのように支援できるか。そのために必要な新しい組織能力は何か。
- 〈ボックス4〉 完全に新規顧客のために、まったく新しい技術やアプリケーションを開発するにはどうすればよいか。また、新興市場に売り込むために、どのような新しい組織能力を必要とするのか。
日本のほとんどの化学企業が今、この2×2のマトリックスで整理できるような進化を遂げつつある。三菱ケミカルグループから三井化学に至るまで、日本の伝統的な基礎化学品メーカーは今、いかにコモディティー化した化学品を基本としながら、より高度な新市場や新技術へと成長するかを再検討している。
常に新しい事業セグメントを「探索」する
前向きなビジネス展開に関する戦略的思考には終わりはない。それはたゆまぬ努力を続けることだ。舞の海が同じ技に安住し繰り返し使うことができなかったように、国際競争力のある企業であっても、競合他社より優位に立ちたいならば、常に新しい事業セグメントを「探索」し続けなければならないだろう。ボックス1のみにとどまっている企業はいずれ成熟し衰退していくだろう。
これはあらゆる業種に当てはまることだ。航空会社は少なくとも部分的にVR(仮想現実)ツーリズムに、ホテルはエアビーアンドビー(民泊サービス)に、タクシーはウーバーに取って代わられるかもしれない。こうした業界の企業はいくつかのトレンドを見通して、この新しい競争で先手を打つために新しいビジネスモデルを模索していたことだろう。
こうした拡張は将来への投資となる。最終的にボックス1から撤退し、かつてのボックス4が新しい中核事業、つまり新しいボックス1になる。図表2はこの移行を示したものだ。
これは現在進行系であり、多くの日本企業がすでに経験してきた。なかには、ボックス1から抜け出せずに最終的に屈する企業も出てくるだろう。しかし、たとえ選択肢が少ないという理由であるにせよ、イノベーション戦略を見直す日本企業は今増えつつある。
自動車会社、特にトヨタは自動車販売よりも、「MaaS」(モビリティ・アズ・ア・サービス)の提供者になることを検討している。スーパーマーケットや外食チェーンは高度な物流などに投資を行ってきた。リクルートは人材紹介会社からGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)と同じ土俵でAI(人工知能)サービスをめぐって競争する方向へと移行している。最近の新聞を読めば、こうした記事が多数見つかる。
『 シン・日本の経営 悲観バイアスを排す 』
ウリケ・シェーデ著/渡部典子訳/日本経済新聞出版/1210円(税込み)



