その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は野中郁次郎さん、勝見明さんの『 共感経営 「物語り戦略」で輝く現場 』です。
【まえがき】
共感経営とは、どのようなものなのでしょうか。
企業経営や事業の遂行において、共感を起点とし、ものごとの本質を直観するなかで、「跳ぶ仮説」を導き出し、イノベーションを起こす、もしくは、大きな成功に至る。そのプロセスにおいても、さまざまな局面で共感が介在し、共感の力がドライブや推進力となって、論理だけでは動かせないものを動かし、分析だけでは描くことのできないゴールに到達する。それが共感経営です。
その共感は、顧客への共感、トップやリーダーの社員やメンバーに対する共感、メンバー同士の共感、顧客から企業に対する共感など、さまざまな関係性において立ち現れます。
共感経営は、人と人との間の共感がベースですが、対象がモノであって、モノと全身全霊で向き合って、物我一体の境地でそのモノになりきり、モノがコトになると、そこに共感的な世界が生まれます。
「経営学の父」と呼ばれ、著者らが尊敬するピーター・F・ドラッカーは著書のなかで、二一世紀は「知識こそが唯一の意義ある経営資源となる」として、「知識社会」の到来を未来予測し、組織はモノや情報を前提とするのではなく、知識を前提とする観点からとらえ直さなければならない転換期にあると指摘しました。
そして、「今いえることは、知識を富の創造過程の中心に据える経済理論が必要とされているということである」と、新しい理論の登場を待望しました。野中郁次郎が構築した知識創造理論はその要請に応え、人、モノ、金、情報に加え、知識をもっとも重要な経営資源と位置づけました。
本書は、その知識のなかでも、言葉や数字では表せない思いや理念などの暗黙知を共有する共感を、いわば“六番目の経営資源”として提示するものといえます。
なぜ、企業経営や事業の遂行において、共感が重要な意味を持つのか。人間の活動や行動にとって、共感が不可欠なものであることを、興味深い二つの例で示しましょう。一つ目は、著者らが実際に取材した日立製作所の人工知能(AI)、「H」を使ったあるコールセンターでの実験です。
電話で営業を行う、そのコールセンターの一日の受注率は日や拠点により、最大三倍の開きがありました。そこで、オペレーターたちに首から提げる名刺大の名札型センサーを約一カ月間装着してもらい、受注率を左右する要因を調べることにしました。このセンサーは、加速度センサーで装着者の微細な身体の動きを記録し、赤外線センサーで誰と誰がいつどこでどのくらい対面していたかをセンシングでき、そのデータをHが分析します。
それまでに行われた実験で、人の身体の動きとその人の幸福度には相関があり、幸福度の高い人は、発言、うなずき、歩行、タイピングなど行動の種類を問わず、動きのある状態が長く続き、低い人はその逆の傾向があることが確認されていました。
いよいよ実験です。結果、受注率の違いはオペレーターのスキルとは何の相関もなく、受注率の変動の主な要因はオペレーターのその日の幸福度の変動であることが判明します。幸福度が平均より高い場合の受注率は、低い場合と比べて三四%も高かったのです。
そして、このコールセンターでオペレーターの幸福度を決める意外な要因も判明します。それは休憩時間におけるオペレーターの身体活動の活発度でした。休憩中にオペレーター同士の雑談が活発だった日はコールセンターの集団全体の幸福度が高く、受注率も高かったのです。
さらに、休憩中に雑談が弾む要因も突き止めました。それは、業務中のスーパーバイザー(管理者)の適切なアドバイスや励ましの声かけにあることをデータは示していました。そこで、スーパーバイザーの声かけを支援するアプリケーションを提供したところ、集団の幸福度が高まり、受注率を継続的に二〇%以上向上させることができたのです。
もう一つは、あるホームセンターで人間と人工知能Hのどちらが売り上げを伸ばせるか、結果を競った実験の話です。人間のほうは流通業界で実績のある専門家二人が担当しました。専門家は会社や店舗でのヒヤリング、現場観察、事前データから、LED電球などの注力商品群を決め、目立つ棚で展開し、POP広告を設置したりしました。
一方、Hを使った実験では、名札型センサーを店長、店舗スタッフと、顧客に協力を得て装着してもらい、購買に関する人間の行動を計測したデータを分析しました。
一〇日間にわたり、顧客やスタッフの身体運動や店内行動を計測したデータのほか、POS(販売時点情報管理)の販売データや店内の商品配置情報を入力します。
するとHは、売り上げを伸ばすための意外な答えを提示しました。それは、店内のある特定の場所にスタッフがいることでした。入り口正面の通路の突き当たりのマグネットと呼ばれる売場で、スタッフが一〇秒間滞在時間を伸ばすごとに、そのとき店内にいる顧客の購買金額が平均一四五円も向上すると予測したのです。
いよいよ勝負開始です。一カ月後、軍配はHに上がりました。専門家が考えた対策は売り上げにほとんど影響を与えませんでした。一方、Hが示した場所(「高感度スポット」とも呼ばれた)にスタッフがなるべくいるように指示したところ、スタッフの高感度スポットでの滞在時間が一・七倍に増加し、店全体の顧客単価が一五%も向上したのです。
データはさまざまな変化を示していました。スタッフが高感度スポットに長く滞在した結果、接客する時間が全般的に増え、接客時の身体運動も活発化しました。注目すべきは、まわりでスタッフから来店客が接客されている場面が多くなると、それを見た顧客の身体活動の活発度が高まり、滞在時間が増え、人通りの少なかった高価格商品の棚も回るようになり、購買金額が増える効果が見られたことでした。簡単にいえば、スタッフの配置変更が店内のにぎわいをもたらし、業績向上に結びついたのです。
Hは顧客の購買行動について、スタッフの対応などの周囲の状況との関係性を定量的に計測して、人間が思いもつかない、しかも、より人間らしい仮説を導き出したのは驚きでした。
この二つの実験結果を解くキーワードは「出会い」と「共感」です。
コールセンターでは、スーパーバイザーがオペレーターにアドバイスや声かけをするとき、そこには出会いがあり、互いに共感がわき上がります。休憩中のオペレーター同士の雑談も同様です。ホームセンターでの顧客とその近くで接客をしているスタッフとの間にも出会いがあり、顧客は接客をするスタッフの姿に共感を抱くでしょう。
この出会いと共感が、コールセンターでは受注率の向上、ホームセンターでは顧客単価の上昇と結びつく。二つの実験結果は、出会いと共感、とりわけ共感がいかに人間の活動や行動にドライブをかけるかを示しています。
人と人との間の共感は、当然、目には見えません。もし、暗視スコープのように、目に見えない共感の線が見える“エンパシー・ゴーグル”のようなものがあったら、そのコールセンターとホームセンターには、共感の世界がきらびやかなまでに光り輝いていたでしょう。
コールセンターでオペレーターの生産性向上のため、スーパーバイザーからのアドバイスや声かけを増やす。ホームセンターで売り上げ向上のため、スタッフを高感度スポットに立たせ、顧客との接点を増やす。人工知能は膨大な計測データから特定のパターンを見つけ出して「本当の答え」を出しました。どちらのアイデアも、論理や分析からは導き出せません。論理分析的な解決策は、コールセンターの場合、スキル教育強化であり、ホームセンターの場合、専門家が考えたように分析的には注力商品群の重点展開となるでしょう。
では、人が「本当の答え」に至るにはどうすればいいのでしょうか。そこで必要なのが共感経営です。
外から相手を分析するのではなく、相手と向き合い、相手の立場に立って、相手の文脈のなかに入り込んで共感すると、視点が「外から見る」から「内から見る」に切り変わり、それまで気づかなかったものごとの本質を直観できるようになります。そして、ものごとの本質を直観するなかで発想をジャンプさせて跳ぶ仮説を導き出す。
コールセンターであれば、運営責任者やスーパーバイザーがオペレーターと共感し、ホームセンターであれば、店長やスタッフが顧客と共感し、本質を直観して跳ぶ仮説を導き出して「本当の答え」に到達する。それが共感経営のあり方です。
人間関係の本質は共感にある。本書は、企業経営や事業におけるイノベーションや大きな成功は、論理や分析ではなく、「共感 → 本質直観 → 跳ぶ仮説」というプロセスにより実現されることを九つのケース、および三つの参考事例で示します。
そして、共感とは、本質直観とは、跳ぶ仮説とはどのようなものなのか、それらのプロセスをたどるとなぜ、イノベーションや大きな成功を実現できるのか、共感経営のあり方を野中の提唱する知識創造理論により解き明かすことを目的とします。
さらに、共感を起点にしてイノベーションを起こすには、市場データなどをもとにした分析的戦略では難しく、「いま、ここ」の状況に対して、その都度、最適最善の判断を行い、実行していく「物語り戦略」が必要であることを事例で示します(本書では名詞形の「物語」ではなく動詞形の「物語る」をイメージさせる「物語り」と表記します)。
さらに、物語り戦略はどのように形成し、実践していけばいいのか、「プロット(筋書き)」と「スクリプト(行動規範)」という二つの要素から解明します。
共感経営を生み出すにはどんなマネジメントが求められるのか。物語り戦略を推進するための条件はどのようなものか。イノベーションを可能にした知の作法、すなわち知識創造の思考行動様式のエッセンスを抽出します。
本書の特徴は、具体的な事例とそれを読み解く理論を合体させたところにあり、それはジャーナリストと経営学者という、著者らの組み合わせがあって初めて可能であり、その組み合わせが本書の独自性を生み出しています。
著者らは、人と組織に関するマネジメント誌『Works』(リクルート ワークス研究所・隔月刊)で二〇〇二年より、日本企業・組織のイノベーション事例や成功事例を一緒に取材する連載「成功の本質」を一八年間続けてきました。これまでに取り上げた事例は一〇七例(二〇二〇年四月現在)におよびます。
その事例をもとに、これまで『イノベーションの本質』『イノベーションの作法』『イノベーションの知恵』『全員経営』を上梓してきました。
本書は、過去五年の間に現場を取材した事例のなかから、共感経営を実践し、物語り戦略を遂行して、イノベーションを達成し、大きな成功に至った事例を選りすぐり、単行本用に新たに構成しました。どの事例も、読者の関心の高さや社会的な注目度、話題性を物差しにして選んだものであり、著者らが、そこに登場する現場の人々の取り組みそのものに強く共感したものばかりです。
事例は「物語り編」と「解釈編」で構成されます。物語り編はドキュメンタリー形式(文体は「である」調)、解釈編は一転、著者らが読者に語りかける「経営講義」(「です・ます」調)の形をとってあります。ケースを読んだあとで講義に耳を傾けるといったイメージです。
物語り編はジャーナリストの勝見明が、解釈編の経営講義は経営学者の野中が理論的な解明を担当し、勝見も適宜加わる方式で構成しました。なお、登場人物の肩書きは原則として、その仕事にかかわった当時のものを使い、物語り編では敬称を略させていただきました。データ類は必要に応じて最新のものに更新しました。
本書が読者の共感を得て、共感経営および物語り戦略の推進のお役に立てることを願うばかりです。
【目次】