その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はヴィタリック・ブテリン(著)、ネイサン・シュナイダー(編)の 『イーサリアム 若き天才が示す暗号資産の真実と未来』 です。イーサリアムの創案者であるブテリン氏自身が、イーサリアムの構想、目的、役割、機能、有用性、可能性について記した本です。その編集を担当したシュナイダー氏による序文をお届けします。
【ネイサン・シュナイダーによる序文】
ヴィタリック・ブテリンは、19歳のときに、インターネットのための新しい経済基盤を構築しはじめ、やがて自宅に帰る暇もないほどの億万長者になった。だが、それ以前から志望していたのは、文章を書くことだった。幼少の頃に、両親とともにロシアからカナダに移住。やがて、父のすすめがきっかけでビットコイン(Bitcoin)に興味をもつようになり、2011年には、コインを買ったり借りたり、あるいは採掘(マイニング)したりするかわりに、オンラインフォーラムにこう投稿する。ビットコインについて書くから、誰かビットコインで原稿料をくれないか――
これに応えてくれる人が現れて、ブテリンは執筆を始め、やがて共同で「ビットコインマガジン」を創刊するに至る。当時はまだごく小規模で、素性の知れないサブカルチャーにすぎなかったビットコインについて、最新の動向を取り上げ、立派な雑誌版とデジタル版を発行した。ブテリンにとっては、扱いの難しいこの新しいインターネット通貨のほうが、大学1年の授業より刺激的だった。名乗りをあげて記事を書きはじめたとき以来、他者との対話を続けながらブテリンは自分の構想を発展させていった。だが、長年にわたってブログやフォーラム、ツイッターなどあちこちでブテリンが発表してきたのは、まぎれもない自分自身の声だ。そして、その声も一因になって熱烈な読者が、彼の発明品であるイーサリアム(Ethereum)を中心にして集まるようになった。イーサリアムとその同類が、期待どおりにユビキタスな基盤になるのであれば、ブテリンの構想はもっと広く理解されるべきであり、議論されなければならない。そう考える人たちだった。
本書は、著述家としてのヴィタリック・ブテリンを知るための入門書だ。サトシ・ナカモトなる匿名の人物がビットコインの原型を発表したのは2008年、世界的な金融危機のまっただ中だった。その目的は、政府や銀行を通じてではなく、暗号を扱うコンピューターネットワークによって運用される通貨を作り出すことにあった。それはやがて、暗号資産と呼ばれるようになる。完全自由主義者(リバタリアン)の金投資家や、技術に強いサイファーパンクらは、そのシステムの暗喩を歓呼の声で迎えた。デジタルの採掘(マイニング)、制限付きの供給量、現金のようでありながらセキュリティとプライバシーが保たれる取引(トランザクション)。ブテリン自身も、初期の読者層と共通する性向をすべてあわせもっていた。だが、ビットコインに対するこだわりは深まる一方で、2013年の遅くには、ビットコインを支えているブロックチェーン技術が、もっと大きなものの基盤になるのではないかと認識するようになった。インターネット発の組織や企業、ひいては経済全体を作り出す手段である。
ブテリンがそうして書き上げたのが、本書にも収録している最初の「イーサリアムホワイトペーパー」だ。その年の終わりに出現する、まだ小規模な暗号資産の世界を照らし出すものだった。古い世界の法人や投資家、法律にサーバーの管理を委ねるのではなく、最初からユーザーによって管理される。ビットコインでは金や採掘者(マイナー)といった比喩が使われるのに対して、イーサリアムの文化はブテリンが好むTシャツの美学を追求する。ロボット、ユニコーン、虹がマスコットとしてあしらわれた意匠である。
2015年にイーサリアムがリリースされてからも、競合するブロックチェーンは数多く登場しているが、どれも形こそ違え、やっていることは似たようなものだ。イーサリアムは、そのなかで最大の規模を維持している。その通貨であるETH(イーサ)自体の総額は2位で、トップのビットコインには大差をつけられているものの、イーサリアムを基盤とする商品やコミュニティトークンをすべて合わせると、この奇妙な新しい経済システムのなかで最大のシェアを占めているのだ。プロジェクト初期の試行段階で、ブテリンは、望むと望まざるとにかかわらず、次第にイーサリアムの「やさしい独裁者」となっていった。公的な立場によってではなく、にじみ出る信頼によってだ。その信頼を築くうえでは、本書に収録した彼の文章が重要な役割を果たしている。
その間ずっと、ブテリンは矛盾のなかを生きてきた。彼が望むのは、人類が自らをどう律するか、そのあり方を根底から考え直すこと、しかも人がその力を使って何をしようとするかについては徹底的に寛容を貫くことだ。本文で登場する「信頼できる中立性」は、システムデザインに関する原理だが、ブテリン自身がリーダーとして演じることになった役割も表している。イーサリアム財団の設立を決めた初期の個人的な決定から、運命を賭けた最新のソフトウェアアップデートまで、思惑とは裏腹にブテリンのリーダーシップは、イーサリアム自体との区別が難しくなっていった。イーサリアムも類似のシステムも、人は利己的なものだという前提に従って設計されているが、ブテリン本人は禁欲的で、個人的には暗号資産で動く未来を実現すること以外、何も望んでいないように見える。
しかし、それが歓迎すべき未来になるという保証はまったくない。2014年1月、マイアミで開催されたビットコインのカンファレンスでイーサリアムを発表したときのこと。イーサリアムが作る素晴らしい未来を次々と並べ立てたあとで、ブテリンは最後に「スカイネット」の名を出して会場を沸かせた。「ターミネーター」シリーズでおなじみの、人類に牙をむくあの人工知能だ。ブテリンが好むジョークなのだが、よく使われるジョークの常として、そこには一定の警鐘も含まれている。イーサリアムは、ユートピアとディストピア、その中間の世界か。まだいずれの可能性も残っているのだ。
- 入手できる人工トークンの総量上限を設けることで、人為的な稀少価値が生じる。だが、コミュニティは潤沢な資本を生み出し、それを自在に利用することができる。
- リスクのあるインターネットマネーを購入できない、もしくは購入しようとしない人々を排除することになる。一方、かつてないほど包摂的(インクルーシブ)な形で権力を共有する画期的なガバナンスシステムの創出につながる。
- 機能を存続させるだけでも、膨大なエネルギーを消費する。同時に、政府が積極的に動かないなかで、炭素の排出や汚染に値をつける新たな手法が実現する。
- 派手な消費、税金のがれ、価格のつり上げといったことで評判の悪い、いわゆる「にわか成金」を生み出している。一方では、スマートフォンさえあれば誰でも利用できるボーダーレスの、ユーザー所有の金融システムにもなる。
- 早期に参加したハイテク通のエリートに対して見返りがある。同時に、大手テクノロジー企業の力をそぎ落とす真のチャンスにもなりうる。
- 有益な実体経済の前に、投機的な金融システムを生み出している。ただし、株式市場ではそれほどでもなく、所有権は価値を作り出した人に残っている。
本書をお読みになる方は、こうした矛盾を念頭に置いたうえでそれに向き合い、どの選択肢が有力かをご自身で、またコミュニティとして確かめてほしい。先にあげた矛盾は、悩ましいかもしれないが、刺激的でもある。いずれにしても、まだ新しいもので、形になるのはまだこれからなのだ。
ビットコインにしろイーサリアムにしろ、ブロックチェーンベースのシステムを根幹で支えているのが、コンセンサス(合意形成)のメカニズムだ。コンピューターどうしが一連の共通データ、つまりビットコインならトランザクションのリスト、イーサリアムのワールドコンピューターなら状態(ステート)について合意し、不正操作を防ぐしくみである。中央権力によらないコンセンサスは簡単なものではない。ビットコインの場合は、プルーフ・オブ・ワーク(PoW)というしくみを用いる。多数のコンピューターが数学の問題を解くために膨大なエネルギーを消費するが、それはすべて、システムのセキュリティを保つ営みに投資していることを証明するためである。この作業に参加する人は採掘者(マイナー)と呼ばれ、マイニングに対する報酬を受け取る。と同時に、ひとつの国に匹敵するような電力を消費し、それに相当する炭素を排出する。イーサリアムもPoWを採用したが、これは有効な選択肢がほかになかったからだ。
だが、ブテリンはイーサリアムの発表以前からすでに、解決策が見つかりしだい別のしくみに移行すると語っていた。それがプルーフ・オブ・ステーク(PoS)だ。PoSでは、電力を消費するかわりに、トークンの保有によって「自らもリスクを負っている」ことを証明するので、エネルギー消費は最小限に抑えることができる。トークンの保有者は、システムを損ねるようなことをしようとした場合、賭け(ステークし)たトークンを失うことになる。
本書のなかで、コンセンサスのメカニズムはシステムデザインであると同時に、隠喩でもある。そのメカニズムが生み出す労力、取り組み、信念、そして協調を、ブテリンの文章は描き出している。と同時に、矛盾を例としてあげることも忘れていない。技術革新と徒労、民主主義と金権主義、活気に満ちたコミュニティと徹底的な不信、そういった矛盾だ。メカニズムと同様に、その比喩は理想論を寄せつけず、望む世界のごく一部なりとも現実の世界で存続させていくために必要な妥協点を模索しようとしている。
本書に収めたのは、ブテリンが自選した文章であり、そこからブテリンのある一面が浮かび上がってくる。社会理論学者として、また実践的な活動家として、考えながら行動し、その結果を計算しようとする人物像だ。暗号資産をめぐる文化は、大部分が若く、男性的、特権的であり、その関係者が解決をめざしているはずの問題から、あまりにかけ離れていることが多い。ブテリン自身も、その文化を反映するひとりだ。ときには専門に走ることもあるが、その多くは仲間の開発者に向けて発信した内容であり、本書にはそれほど専門色が強くない文章を集めた。技術的な部分は、開発者たちが邁進している仕事にこそふさわしい。数式ひとつについてさえ、ブテリンは気さくで、明快で、そしてユーモラスだ。
なお、収録した文章には、スタイルを統一する目的で若干の編集を加えている。独立した書籍という性質上、アクセスできないリンクも削除した。もともとは、暗号資産の世界というサブカルチャーを共有する読者を対象に書かれていたので、その世界の住人以外に分かりにくそうな部分については、随時、注釈も加えてある。
暗号資産は、経済生活の表舞台にまで入り込みはじめている。それを受けて、この魔神はランプに閉じ込めておくべきではないのかという論調も強くなってきた。そもそも、それが可能ならばの話だ。最初のうちこそ「閉じ込めておくべきかどうか」という判断にとどまっていた人たちも、本書を読み進むうちに、いつしかブテリンに引っ張られ、「いかにして活用すべきか」という発展的な問題意識に立つようになるはずだ。これが本当に、新しい社会基盤の始まりなのであれば、我々がいま暗号資産を中心に作り出している政治的な習慣と文化的な習慣は、のちのち大きな意味をもつことになる。ブテリンの考察で示されているとおり、「いかにして」の部分は未解決の問題もたくさん抱えている。
【目次】