その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は日本経済新聞社米州総局(編)の『 私たちは、トランプを選んだ ルポ アメリカ大統領選挙 』。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】 何が争われたのか
2025年1月20日、米国の第47代大統領に共和党のドナルド・トランプ氏が就いた。第45代から4年の「空位」を挟み、権力の座に返り咲いた。再選に失敗した元大統領が復権するのは、19世紀末に第22代と第24代になったグローバー・クリーブランド氏以来となる。文字通り、24年大統領選挙は米国史に残る歴史的な選挙だった。
米国の有権者はいったい何を争ったのか。何を守ろうとしたのか。
高インフレ、富の格差、不法移民が押し寄せる国境、人工中絶の是非、イスラエル・ガザ紛争、エリートへの反発──。米国の選挙はいわば社会運動の集合体だ。投票所に行って終わりではなく、有権者はそれぞれの思いから「祭り」に加わり、2年かけて候補者を押し上げる。
それぞれが抱える様々な理由や心情を第三者が単純に割り切ることはできない。「こんなものだろう」という知ったかぶりもご法度だ。現場で何が起きているのかを知りたかった。自分の目で見たこと、耳で聞いたことが真実なのか、肌感覚で得心いくまで確かめたかった。そんな思いから、日本経済新聞社の記者が米国中を飛び回った。本書はその記録である。
ここではその一端を示したい。たとえば、大統領選で勝敗がどちらに転ぶか分からない激戦州の一つ、南部ノースカロライナ州の大学4年生、コディさん。「大学生」だから「民主党支持」というわけではない。初めての一票をトランプ氏に投じた。保守的な中西部の出身で「民主党はエリート支配で共感できない。共和党にはキリスト教の価値観がある」と信じた。
首都ワシントンに生まれ育ち、語学教育に携わる70代の女性はこれまで一貫して民主党を支持し、今回も副大統領だったハリス氏に投票した。ただ選挙期間中からずっと不安にさいなまれた。民主党に十分な勢いを感じることができず、トランプ復権に備えて先々の仕事の予定をあらかじめ空けておいた。カナダなど海外への移住は「真剣な選択肢」だと考えている。
民主主義は一人の独裁者が終わらせることも、一人の英雄が救うこともできない。有権者全員がその命運を握る。しかし、選挙制度は有権者の意思をすべてすくい取ることはできない。しかも米国では共和、民主の二大政党はいずれも相手を圧倒する多数派を作ることができず、全人口のおよそ18%にすぎない7つほどの激戦州が全体を決する状況が続いている。
歴史的、前例のないと形容された選挙であるにもかかわらず、候補者間の突っ込んだ政策論争は極めて乏しかった。突き詰めれば、虚偽をまき散らし、暴力や差別につながるような言動をいとわないトランプ氏の「人格への疑問」と、高齢不安から選挙戦を途中退場したバイデン大統領(当時)に急きょ代わって登板したハリス氏の「能力への疑問」をめぐる争いに終始した。
結果を知る立場から振り返れば、「4年前に比べて暮らしは良くなったと思うか」というトランプ陣営の問いが米有権者の心に最も深く刺さったのだろう。冷戦終結後から続いた経済のグローバル化はごく一部への極度な富の集中をもたらした。残されたのは、真面目に働いてきた人生を軽んじられ、否定され、裏切られたと感じる「その他大勢」の人々だ。
米国の有権者がトランプ復権を選ぶ土壌は長年にわたって堆積し、耕されてきたものだ。保守かリベラルかという、左右の分断で単純に説明することもできない。では、「報復」を公言し、自身の政敵を「中国やロシアより危険な内なる敵」と呼ぶトランプ氏が米国の民主主義の新たな象徴なのだろうか。
そう結論づけるのもまた早計だろう。確かに、共和党は連邦議会の上下両院の多数派も獲得し、トランプ氏は一般投票でもハリス氏を得票で上回った。政治的には完勝したといえるが、激戦州での得票率の差は平均で2ポイント台半ばにすぎない。
米国が内憂を抱え、足元がぐらついていることは、端から見ていても分かるだろう。過去4年、ロシアのウクライナ侵略、中東での報復の応酬と世界は「戦時」に入った。米議会が選んだ専門家による超党派の米国防戦略委員会は「米国が直面している脅威は1945年以来、最も深刻かつ困難」と指摘し、大規模戦争が生じる可能性に警鐘を鳴らす。
分断され、内向きに傾く米国自身が危機の震源にもなる。中国やロシア、北朝鮮、イランといった反米の枢軸は米国の疲労回復を待ってはくれない。世界の不安から米国だけ無縁でいることもできない。日本をはじめ同盟国は迷える米国とどう向き合っていけばいいのだろうか。
明日から始まる未来は、かつてない動乱の時代かもしれない。過去の延長線上のステレオタイプな「アメリカ」を語っても、進むべき針路は見えにくい。実際に米国で暮らす人々が何を懸念し、どんな希望を抱き、どう動いたのか。私たちの取材を追体験することで、皆さんの明日への針路の解像度が少しでも上がれば、取材者の一人としてこれほどうれしいことはない。
2025年2月 首都ワシントンにて
ワシントン支局長 大越 匡洋
【目次】







