その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は高橋伸夫さんの『 組織の不都合な真実 経営学は科学なのか? 』です。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】
経営学は科学なのか?
駆け出しの頃、正直、私は、経営学が科学だとは思っていなかった。より具体的に時期を特定すれば、筑波大学の博士課程社会工学研究科の大学院生だった頃から東京大学教養学部で統計学教室の助手をしていた頃まで、西暦でいえばほぼ1980年代前半に当たる。その頃の私は、研究というより、論文を書いてジャーナルに載せてもらうことに一生懸命だった。ジャーナルに載りそうな論文を書くために、ジャーナルごとに「傾向と対策」を考えて、研究テーマもそれに合わせて設定していたくらいである。
そんな私だって、子供の頃には──ちょっと気恥ずかしいが──科学者・博士になりたいと憧れていたし、科学者・博士になったら、面白い現象を科学的に解明してみたいと純粋に思っていた。ところが、博士を目指して大学院に入った頃には、ある意味、すっかり興ざめしてしまっていて、そんな子供の頃の純粋な感情はプロの研究者には無縁だと考えるようになっていた。おそらく今でも、世の若手研究者の多くは、経営学に限らず、文系・理系を問わず、そして世界中どこでも、みんな似たり寄ったりではないだろうか。みんな当時の私と同じ……いや、少なくとも日本では、文部科学省・マスコミ・世論の圧力の下で、もっとひどいことになっているように見える。
研究者として食っていくためには業績が必要であり、その業績とはジャーナルに掲載された論文の本数や被引用件数で測られるものだとみなが思っている。特に、その評価を研究費(金額)で表現したがる行政と欧米のご都合主義的ランキングを無批判に垂れ流すマスコミの悪影響は計り知れない。いまや、偉い先生までが、ジャーナルに載りやすい論文、引用されやすい論文を書くにはどうしたらいいのかと、経験と「業績」をひけらかして、その傾向と対策を説いている。
そんなことばっかり考えて書いている論文や報告が面白いわけがない。学会や研究会で報告を聴きながら、この研究は一体どこが面白いんだ? 研究の面白さを説明しなくていいのか? と失望と怒りの感情を胸に会場を後にすることも少なくない。もはや、研究に没頭していて何かを発見したときの感激とか、長年の苦労の末に新しい理論・概念にたどり着いたときの喜びとか、その理論のシンプルさ・美しさに心を奪われる高揚感とか、そんなものとは無縁の世界になってしまった気さえする。だからはびこる研究不正(捏造・改竄・盗用)。いまや、科学は根底から瓦解しつつあるのかもしれない。
……と、話が大きくなりすぎた。話を私のちっぽけな小宇宙に戻そう。駆け出しの頃の私には、ちょっと特殊な個人的事情もあった。実は、私は25歳、大学院博士課程2年のときに結婚したのである。研究者として食っていくためには、研究業績が必要だった。そして、いま思い返してみてもぞっとするような心理的プレッシャーの下で、休みなく黙々と論文を書き、ジャーナルに投稿し続けた。もう「ほとんどビョーキ」(当時の深夜テレビでの山本晋也の口癖・流行語)である。
幸い──本当に幸いに──その努力は次第に形になり始め、当時の日本の経営学研究者としては珍しく、海外の一流誌に何本か英語の論文(Takahashi, 1986; 1988a; Takahashi & Takayanagi, 1985)がアクセプトされ始めた。海外の出版社も英語の本(Takahashi,1987)を出版してくれた(それから20年もたって、こうした悪戦苦闘の個人史を、高橋[2004b]に書き残したところ、意外にも多くの読者を得て、掲載誌が表彰してくれた。興味のある読者は、そちらをご覧いただきたい)。かくして、私は1987年に東北大学経済学部に助教授の職を得ることができた。これで、ようやく家族(妻と当時1歳半の息子)を養えると心から安堵した。
これから本書で展開するお話は、そんな生活に余裕ができ始めた1987年に経験した偶発的な出来事から始まる。余裕のなせる業で、気楽に面白がって始めた「研究」だったが、学界や周囲から予想もしない抵抗と反発を受けることになってしまった。だが、だからこそ意地になって何十年も研究を続けることができたともいえる。そして、長く続けてきたおかげで、私自身にとっても意外かつ面白い発見と成果がもたらされた。
私はいまだに調査をするたびに、「今度こそは仮説を否定・棄却するようなデータが出てくるかもしれない」というスリルを味わいながらデータを集めている。実際、何十年もの間、集めたデータによって支持され続けてきた仮説もあれば、結果的に否定せざるをえなくなった仮説もある。データによって否定されるスリルのないところには、科学は存在しない。こうした経験を踏まえて、いまや私は、経営学は科学だと実感している。
2026年2月
高橋 伸夫
【目次】


