その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は宍戸幹央さん、田中森士さんの『 マーケティングZEN 』です。
【はじめに】
2013年春、都内のある企業で、入社3年目の社員を対象にした研修会が開かれていた。講師を務めるのは、研修を専門とする企業から派遣されてきた30代の男性。身長180センチ超のすらりとした体型にスーツをまとい、顔はやや日に焼けている。淡々とした口調で、どこか達観した雰囲気が漂っている。研修のテーマはリーダーシップ。男性はしきりに「みなさんが人生の主人公なのです」と口にした。ある参加者は、「主人公」という単語が頭に残った。禅語であると知ることになるのは、ずいぶん先の話だ。
男性の名は宍戸幹央。ある参加者とは田中森士。本書の共著者だ。
その後、田中は会社を辞め、2015年にコンテンツマーケティングのコンサルティング会社を立ち上げる。多くの人が生きづらいと感じる世の中をなんとかしたいと、ボランティアで大学生向けのキャリア教育のイベントを企画。本業では、一貫してパーパスの重要性を説いた。宍戸は2017年、マインドフルネスを企業・教育・福祉・行政の現場に展開・支援することなどを目的とした会社を立ち上げた。その頃から、宍戸と田中は定期的に会うようになった。同年、宍戸は禅とマインドフルネスの国際イベント「Zen2・0」の共同発起人にもなっている。Zen2・0を運営する中で、宍戸は当初の想定以上にビジネス界から多くの人が参加してくれていることに驚いた。起業した頃とは比較にならないほど、宍戸に寄せられる相談は増え、また内容も多様化していた。宍戸はビジネス界が禅とマインドフルネスを求めていることを強く感じた。
一方の田中も、セミナーやコンサルティングを進める中で、「もうけたい」「組織を大きくしたい」といった要望に違和感を覚えることがあった。そんな中、取材で訪れた東南アジアのリゾート地において、回収を待つ大量のゴミが砂浜に積み上がっているのを見た。「やっぱり何かがおかしい」。大量生産・大量消費を前提とする企業活動に疑問を抱くようになった。もう、そんな時代じゃない。消費者も買い物の意味を問い始めている。
近年、パーパスに基づいて意思決定をしたり行動をしたりすることが、ビジネスにおいて重要であると叫ばれるようになった。しかし、事業者側の意識は追いついていない。お金のみに意識が向いてしまえば、ビジネスもマーケティングも誤った方向に進んでしまう。とはいえ「成長させることが当然」という固定観念を変えることは、そうたやすいことではない。どうすればいいのだろう。
新しい価値観やビジネス、マーケティングのあり方を提示する必要がある。宍戸と田中がそう導き出すのにそれほど時間はかからなかった。2人は対面での議論を重ねた。次第に輪郭が見えてきた。自分と向き合い、本当の自分と出会う。規模の拡大を追い求めずに、調和を意識する。ヒントは禅やマインドフルネスにある。マーケティングの新しいあり方を提示することが、自分たちの使命だ。思いを共にした2人は、動き出した。
本書は、「マーケティングZEN」というマーケティングの新たな枠組みを提示するものである。世界の政財界のリーダーが集うダボス会議で「グレートリセット」が提言され、資本主義の限界が指摘される中で、複雑化、高度化したマーケティング手法は壁にぶつかっている。世界の企業は「顧客体験向上」の名の下に、消費者の行動履歴をデータ化し、囲い込みを図ろうとしてきた。結果的に消費者の関心を過度に集め、不安をあおり、思考を奪うマーケティングを生んだ。決して顧客本位とはいえない。消費者にとっても企業にとっても、精神的なストレスは高まるばかりである。
一方で、ウェブ上の利用者履歴を追跡する「サード・パーティー・クッキー」が規制され、ターゲティング広告の見直しが始まっている。また、ユーザーインターフェース(UI)などのデザインで顧客の行動を操る「ダークパターン」にも批判が集まる。企業にはマーケティング戦略の再構築が求められている。
こうした環境下で力を発揮するのが、マーケティングや経営における「禅的アプローチ」である。私たちはこれをマーケティングZENと名づけた。詳しくは本文中で述べるが、マーケティングZENでは、自分の内側の声に耳を傾け、自分のつとめを見つけていく。また、規模の拡大を追い求めずに、持続可能な環境・関係を意識する。これまでの成長ありきのマーケティング手法とは、一線を画すアプローチである。
欧米のマーケティング業界は禅にヒントを見出そうとしている。2021年、世界のマーケティング関係者が集うワールド マーケティング フォーラム(「人間性のためのテクノロジー:幸福のためのマーケティング」アジア・マーケティング連盟主催、日本マーケティング協会ほか共催)が神奈川県鎌倉市の建長寺で開催され、〝マーケティングの父〟フィリップ・コトラーもオンライン出演した。コトラー自身も『コトラーのマーケティング5・0』で「自己超越」を訴えるなど、新たな枠組みのマーケティングを提唱し始めている。
マーケティングZENは、ビジネスの世界に「人間性」を取り戻すことにもつながる。メールマガジンにブログ、プロモーションビデオ、広告。企業はあらゆるコンテンツを消費者に届けようと努力している。しかし、テクノロジーの発達に伴い、味のあるコンテンツが減り、無機質なコンテンツが増えた。別の言い方をすると、ビジネスから人間性が失われつつあるのだ。
なぜか。本来、近かったはずの企業と消費者の距離が、大きく開いたことが遠因としてある。行き過ぎた資本主義経済により、消費者は企業に不信感を抱き、関係性が希薄となってしまった。両者の間に、大きな溝が生じているのである。
マーケティングZENによって自社と他者との境界線を消していくことで、こうした状況を改善できる。本来の顧客主義に戻り、企業活動や地球環境に循環と持続性をもたらす。すなわち、これはSDGsの実践でもある。
何が書かれているのか?
本書は、マーケティングZENの概要や、今求められている理由、事例について、禅およびマインドフルネス、そしてマーケティングを専門とする2人が解説するものである。
本書の構成は以下の通りである。第1章では、マーケティングZENの基礎についてまとめた。第2章では、マーケティングZENが今の時代に必要な理由について論じている。第3章〜第7章は、マーケティングZEN導入のステップを解説している。第8章では、マーケティングZENで重要な「調和」という視点を提示する。第9章では、マーケティングZENを完成させる「時間軸」について述べる。
誰に向けて書いたのか?
本書は、30〜50代のビジネスパーソンに向けて書いた。マーケティング担当者や経営層のみを対象とすることも検討したが、マーケティングZENの考え方は、人間が幸福を感じながら生きるためのヒントともなり得るものだ。また、シンプルに考えること、持続可能性に配慮すること、手放すことなど、ビジネス全般に応用できるメソッドともいえる。これらの考えから、あえて対象を広く取った。もちろん、対象に当てはまらない方にとっても、有益な内容となっている。
何が得られるのか?
本書を最後まで読み終えた時、読者はやるべきことが明確になっているだろう。複雑化する社会にあって、あらゆるものを手放し、シンプルに仕事を進められるマーケティングZENの考えは、現代人をストレスから解き放つ。パーパスを大切にする姿勢は、幸福度を高める。自他非分離の精神は、企業にESG(環境・社会・ガバナンス)の視点をもたらす。Z世代を含め、企業がターゲットとする顧客層と、深くつながるためのヒントが得られる。
本書で言いたいことは何か?
自分のつとめに専念する。シンプル・イズ・ベスト。パーパスを感じながら意思決定しよう。循環型社会の実現とビジネスの成功は共存し得る。
日本、そして世界の行く末を悲観する論が目立つ昨今、マーケティングZENは人類を救う存在となる。
(本書内の敬称は省略しました)
【目次】