その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は李智慧さんの『 チャイナ・イノベーションは死なない 』。その「序章」をたっぷりお届けします。
【序章】米中「ハイテク戦争」の最前線
「Mate 60 Pro」発売と孟晩舟事件
2023年8月、米国のレモンド商務長官が訪中していたタイミングで、中国大手通信機器メーカーの華為技術(ファーウェイ)は、最新鋭機種のスマートフォン「Mate60Pro」を発売した。
機能の先進性に加えて、ファーウェイが米国の制裁によって先端半導体を輸入できない中での発売だったことから、搭載されている回路線幅7ナノメートル(ナノは10億分の1)の高精細半導体をどう調達したのか、各国の政策当局やライバルメーカーから注目された。
いまに至るまで半導体の入手先を明らかにしていないファーウェイは同年9月25日、新製品発表会を開催した。スマートフォンの他、スマートウォッチ、スマート家電、自動運転機能を備えるスマートEV(電気自動車)など、多彩なラインアップを披露した。
9月25日は、ファーウェイにとって忘れることのできない特別な日だ。2年前のその日、カナダで拘束されていたファーウェイ副会長兼最高財務責任者(CFO、当時)の孟晩舟が中国政府のチャーター便で帰国した。
孟はファーウェイ創業者で最高経営責任者(CEO)任正非の娘であり、2018年12月1日、バンクーバーの空港で米国の要請を受けたカナダ当局によって逮捕され、拘束期間は1028日間に及んだ。
孟の拘束は米国の国内法の域外適用であり、中国外務省は強く反発して、カナダ、中国、米国の3カ国間の外交問題に発展した。2022年12月1日、米国政府が司法取引に基づいて訴追を取り下げ、4年越しの事件は終結した。
カナダを出国してファーウェイの本拠地・深圳市の空港に降り立った孟晩舟は、国民から米国と戦ったヒロインと見なされた。搭乗した中国政府チャーター機が中国の領空に入ると、中国国営テレビ傘下の各プラットフォームが生中継した。
5時間に及んだライブ放送の総視聴数は4億3000万回を超え、SNSなどでは「いいね!」の数が4億に達した。「米国に立ち向かった中国の勝利」といった多くのコメントが寄せられた。
米中のハイテク戦争を象徴する孟晩舟事件は、ファーウェイの最新鋭スマートフォン「Mate 60 Pro」の発売によって、新しい局面に入った。
米国の制裁を乗り越えたファーウェイ
米中対立を深刻化させた事件の背景には、第5世代移動通信システム(5G)分野でのファーウェイの圧倒的な強さを目にして、デジタル技術における自国の優位を脅かされることを恐れた米国の危機感がある。
2022年6月6日、中国の国家知的財産権局知的財産権発展研究センターが発表した報告書によると、世界の5Gにかかわる標準規格必須特許(Standard Essential Patents)は21万件以上あり、約4.7万件の特許ファミリーが含まれる。
そのうち、中国が申告した特許ファミリーは1.8万件以上に上り、世界全体の40%近いシェアを占めて世界第1位となっている。米国は1.6万件で第2位だ。5G標準必須特許出願者を見ると、ファーウェイが6583件の特許ファミリーを保有してシェア14%で世界首位に立っている。
2018年に成立した国防権限法によって米国はファーウェイ製品の調達禁止措置を打ち出し、2019年5月16日には商務省がファーウェイとその関連企業68社を同省産業安全保障局の「エンティティ・リスト」に加えた。これにより、米国に由来する技術やソフトウェアを25%以上使用した製品をリスト記載企業に輸出する場合、承認が必要となった。
米国から第三国を経由した輸出(再輸出)も規制の対象になる。この承認申請は原則拒否であり、よほどのことがない限り認められない。つまり、事実上の禁輸措置だ。その後、米国によるファーウェイへの技術封鎖と制裁は一段と厳しくなっている。2020年5月15日、同省産業安全保障局は同社と関連企業114社への輸出管理を強化すると発表した。
この制裁は、商務省が輸出管理規則を変更したことによるものだ。米国の技術、ソフトウェアを使って作られた「外国製の直接製品」を外国企業がファーウェイに販売するときに、商務省の許可が必要となった。
それまでの制裁は、どちらかといえば、ファーウェイ製品を買わせない「バイ・サイド」が対象だったが、2020年の制裁は製品を作らせない、つまり「供給サイド」を対象としていた。
ファーウェイの半導体受託製造を主に担ってきた世界最大手の半導体受託製造、台湾積体電路製造(TSMC)はこの規制を受けて、ファーウェイ向けの供給を停止した。その結果、ファーウェイは高性能スマートフォンの製造が困難となり、世界シェアのトップを争っていた携帯電話事業がシェア5%未満に落ち込み、海外市場での存在感を失った。
同社が発表した2022年の決算情報によると、純利益は前年比69%減の356億元にとどまり、減益は2011年12月期以来、11年ぶりだった。前期に事業売却益を計上して最高益となった反動や研究開発費を積み増したことが主な原因と思われるが、米国の制裁による主力スマートフォン事業の低迷の影響も大きかった。
2023年12月に発表された2023年の売上高は、7000億元を超える見通しだ。3年で4度にわたる米国による制裁に耐えて、同社の経営は「基本的に正常な状態に戻っている」(輪番会長の胡厚崑)ようだ。
世界をアッと言わせた7ナノ半導体搭載の5G対応最新機種「Mate 60 Pro」の人気によって端末事業が急速に回復している他、ICTインフラ事業、デジタル・エネルギー事業とクラウド事業も順調に成長し、スマートカー事業の競争力も大幅に向上しているようだ。
TikTok使用禁止法案が米下院で可決
グローバルモバイル市場データ分析会社センサータワーがまとめた2023年3月時点のレポートによると、米国のアプリショップでダウンロードされた人気アプリのトップ5のうち、1位から4位までを中国製アプリが占めた。
米中対立の中、決して良い経営環境とは言えない中で、世界展開する中国のデジタルサービスは、その優れた機能によって世界中で利用者を拡大している。とりわけ、コロナ禍をきっかけに、ショート動画を気軽に投稿できるバイトダンス(字節跳動)傘下TikTokは米国の利用者が急増し、2024年時点で1.7億人を突破した。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では、先行するフェイスブックやインスタグラムと競合するが、中国発のTikTokは短期間で利用者数を増やしている。そのTikTokをめぐっては、利用者データの安全確保を理由に米国の規制当局が一時期、国内での利用禁止、北米事業の米国企業への売却方針を打ち出した。
ところが、TikTokを手放したくない若者らの反発を受けて、バイデン政権は2021年6月、前政権によるTikTokの利用・提供を禁止する大統領令を撤回し、サービスは継続された。しかし、2024年11月の大統領選を控えて再び状況は一変し、同年3月、米連邦議会下院がTikTokを狙い撃つ「外国の敵対勢力が管理するアプリから米国人を保護する法律」を可決した。これをきっかけに、米国内での全面禁止の議論が再燃し、サービス継続の可否は不透明な状況となっている。
ChatGPTの利用を規制した中国政府
米オープンAI社が開発したChat(チャット)GPTの出現は、全世界に大きな衝撃を与えた。2022年11月のサービス開始から2カ月足らずで月間アクティブユーザーが1億人を突破した。
世界中でChatGPTとの会話に夢中になったが、中国も例外ではなかった。微博(ウェイボー)や微信(ウィーチャット)などのSNSにChatGPTと対話した内容をアップするユーザーが急増するなど、一時期、中国国内のSNSはChatGPTの話題一色となった。
ChatGPTは中国語でも使えるとはいえ、オープンAI社が中国国内向けに正式にサービスを提供していないため、国内のIPアドレス、携帯電話番号では登録できない。サービス開始当初、中国では仮想プライベートネットワーク(VPN)などを使って接続したり、微信上で米国のサーバーに接続してChatGPTを体験できる仲介サービスを経由したりして、あの手この手を駆使してアクセスを試みた。
しかし、この状況も長くは続かなかった。中国政府が規制に動いた。2023年2月下旬、政府はChatGPTへのアクセスサービスを提供しないよう国内のプラットフォーム事業者に指示した。これにより、少なくとも数十種類の仲介サービスが利用停止された。
オープンAI社も規制に乗り出した。中国と関連がありそうな有料アカウントを予告なく利用停止する措置を取った。背景には、中国側に研究される警戒感に加え、大量のアクセスによりシステムのリソースが圧迫される懸念があったとみられる。
ChatGPTは大規模言語モデル(LLM:Large Language Model)をベースとする生成AIの一種である。会話の自然さや性能の高さを含め、多くの点で従来の人工知能と比べて格段に高い能力を有している。
従来のAIはある程度のプログラミングスキルを必要とし、一部の人しかアクセスできなかった。それが、ChatGPTの登場によってプログラミングができない人でも、人と会話しているように、文章の生成・添削・校正・要約、翻訳、計算、作図、アイデアの提案、プログラミングといったサービスを受けられる時代が到来した。
マイクロソフトのビル・ゲイツは2023年3月21日付ブログ「AIの時代が始まった」という記事*1の中で、「AIは、携帯電話とインターネットと同じくらい革命的なものだ」と位置付けた。
社会実装能力とマネタイズ能力で追う中国テック企業
中国国内でChatGPTが利用できないことから、中国には同等の生成AIサービスを独自に開発する道しか残されていなかった。ただ、中国が開発した生成AIサービスの実力はまだChatGPTとは差があり、依然としてまだ追いつけていない。
2023年3月16日、百度会長の李彦宏がAIサービス「文心一言(ERNIE Bot*2)」を発表した。文心一言は、質問に文章で回答する他、文章による指示で動画や画像を作成する機能がある。
同年4月11日、アリババグループCEOの張勇(当時)は自社のAIモデル「通義千問(Tongyi Qianwen)」を発表した。その他、清華大学、バイトダンス、ファーウェイ、センスタイム(商湯科技)、出前アプリの美団の創業者によるベンチャー企業など、多くの企業がAI開発競争に相次いで参入した。
百度の李彦宏は2023年3月、ネットメディアの極客公園(Geekpark)のインタビューで、文心一言の実力はChatGPTと比べて2カ月ほど遅れていると説明し、簡単には追いつけないことを認めた*3。
「2カ月ほど前に社内レビューを行い、文心一言とChatGPTを比較したが、そのときはChatGPTに40ポイントほど差をつけられていた。1カ月後、ほぼ問題を解決したところで再度比較したところ、ChatGPTに追いついていないばかりか、その差が70ポイントに広がっていた」
理由は、ChatGPTのバージョンアップだった。文心一言が1カ月間に達成した性能向上は小さくはなかったが、ChatGPTにはバージョンアップによる能力の質的飛躍があった。
AIの開発は長年の訓練と試行錯誤の上で成り立ち、自己学習能力を身に付けたAIが自ら進化し続ける。後発者は、リソースや資金を投入するだけでは追いつくことができない。ただ、中国ならではの強みもある。それは、モバイル・インターネット時代で培った様々な応用シーンと結合したマネタイズ能力だ。
百度、アリババ、テンセントなどのメガテック企業は、AIを自社サービスに組み込む他、MaaS(Model as a Service)型サービスによって一般企業の革新的なAIサービス創出をサポートしている。
2023年10月時点で、テンセントは既に180以上の業務に自社の生成AIモデルを活用している。とりわけ、強みとなっている広告業務で画像生成、アイデア生成などに活用している。
同社の小売、教育、金融、ヘルスケア、メディア、運輸、政府などの顧客は、テンセント・クラウドを通じて、コンテンツ作成、データ分析、プログラミングのアシスタントなどで生成AIのサービスを受けられるだけでなく、自社データをテンセントの業界AI基盤モデルにインプットするだけで、自社専属のAIモデルを迅速に生成することが可能だ*4。
その他、生成AIを活用して業界の課題解決に注力する企業が増えている。ファーウェイの盤古モデルは、鉱山や自動車業界で省力化、効率化、スマート化に寄与している。音声認識AI大手の科大訊飛(iFLYTEK、アイフライテック)は、教育、車載音声アシスタント、業務効率化に繫(つな)がるロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)、医療、スマートシティなどで自社AIモデル「星火」を応用している。
百度の李彦宏は、「AI基盤モデルの性能そのものの競争だけにフォーカスするのは意味がない。いかに産業界に価値をもたらせるかが、AI発展のカギを握る」と語った。
中国のテック企業が、国内の膨大なデータと多様な応用シーンとの融合によって、独自のAIモデルを磨き上げることができるかどうかが、米国との開発競争のカギを握る
データで攻勢に出る中国の戦略
周知の通り、AIの技術力を左右する3要素は、アルゴリズム、コンピューティング能力、データである。ChatGPTのような2000億個のパラメータを持つ大規模言語モデルの学習には、開発者による大量のデータを使った訓練が必要だ。中国は「21世紀の石油」とも呼ばれるデータを戦略的な資源と位置付け、すでに膨大なデータ資源を有する優位な立場をさらに強化しようとしている。
IDCが発表した「V1 Global Big Data Spending Guide 2023」によると、中国のビッグデータ市場に対するIT投資額は、2022年に約170億ドル、2026年には2倍の364億9000万ドルに拡大する見込みだ。
中国のビッグデータ市場は今後もシェアを伸ばし続け、2024年にはアジア太平洋地域(中国と日本を除く)の合計を上回り、2026年には世界全体の8%に近づくと予想される。
また、中国CCIDコンサルティング社が発表する「中国データセキュリティ保護とガバナンスの市場調査レポート(2023年)」によると、中国のデータ量は2017年から2021年にかけて2.3ZB*5から6.6ZBに急増し、今後、さらに爆発的に増加し、2026年には世界第1位のデータ量を保有すると予想される。
2023年3月に国家データ局を設立し、データをデジタル経済発展の要とする国家戦略を推進している。具体的には、データ資源化、データ資産化、データ資本化を通じて、データ流通を促進することによって、その経済的・社会的価値の最大化を進めている。
全国的な不動産不況や地方政府の債務問題、さらには株価下落など中国が直面している課題は多く、中国経済の長期停滞、デフレ突入を予想する向きも多い。しかし、デジタル化に邁進(まいしん)する中国経済には将来に向けた明るい展望もある。
二分される世界、加速するイノベーション、日本の選択
米国の対中ハイテク制裁の影響で、中国のデジタル技術やデジタルサービスの利用に警戒感を持つ国がある一方、中国との関係を維持・深化する国も少なくない。世界はテクノロジーで二分されている。
一例を挙げよう。インターネットの接続性能評価サービス「Speedtest」を運営する米企業Ooklaが2023年12月に発表した「Speedtest Global Index」によると、携帯電話の通信速度(Mbps:1秒間に送受信可能なデータ量)でトップ3にランクされたのは、先進国を抑えていずれも中東諸国だった。
この意外な結果の背景には、ファーウェイによる安価で高性能な通信機器の導入がある。第1位となったアラブ首長国連邦の当局は、2019年10月7日付ロイター通信によると、その設備についてセキュリティ上の懸念を示す証拠は見当たらないとの見解を示した。
日本は世界55位、世界平均49.25Mbpsよりも遅く、47.33Mbpsにとどまっている。アラブ首長国連邦の通信速度は日本の6.4倍だ。二分された世界では、米中のどちら側につくかによって、得られるものが変わってくるという象徴的な出来事と言える。
クラウドやソフトウェアなどITサービスへの日本企業の支払いが膨らみ続けている。支払先は、アマゾンやグーグルなど米国企業が大半だ。2023年の日本の国際収支では、デジタル関連の赤字幅は5.5兆円に拡大した(日本経済新聞2024年2月9日付朝刊)。
海外のデジタル基盤の上でサービスを展開せざるを得ない「デジタル小作人化」を懸念する声もある。日本は、デジタル基盤を海外に依存する構造をどう改めていくのか。これから難しい選択を迫られそうだ。
米中それぞれが国家の運命を懸けた長期にわたるハイテク戦争は、既にスタートしている。米国の圧力を受けた中国は今後、先端技術分野で多くの制約が予想されるが、政府主導で自主開発と国産化にさらに力を入れていくだろう。
米国は技術覇権確保のために制裁という〝武器〞で先攻したが、ファーウェイが半導体分野での技術封鎖を部分的に突破したことを契機に、中国は徐々に「守り」から「攻め」に転じている。
2024年3月、北京で開かれた第14期全国人民代表大会第2回全体会議の政府活動報告で、李強(リー・チャン)首相は産業政策について、新興産業と未来産業の積極的な育成やデジタル経済の革新的発展を強調した。
具体的には、新たな成長産業としてバイオものづくり、民間宇宙産業、低空経済などを挙げ、「人工知能+(AIプラス)」行動を展開し、企業のイノベーション促進、雇用創出、国際競争での活躍を後押しする方針を示した。
低空経済とは耳慣れない言葉だが、1000メートル以下の低空域で人や物の輸送、その他の作業を行う飛行活動による産業を表している。既に中国ではドローンによる荷物の配送が商用化されているが、人を運ぶ「空飛ぶ車」(電動垂直離着陸機、eVTOL)の実用化も間近だ。2024年2月、5人乗りの空飛ぶ車による深圳市と珠海市間の100㎞以上の試験飛行が成功した。従来、フェリーで1時間、車で片道2時間半から3時間の移動が20分に短縮されるという。
中国では5G、AI、ドローン技術、電気自動車など様々な技術の発展と融合によって、新たな成長産業が生まれつつあるようだ。厳しい制裁を受けながらも、チャイナ・イノベーションはますます加速している(文中敬称略)。
*2 「ERNIE(文心)」とは、「Enhanced Representation Through Knowledge Integration」の中の文字を組み合わせた略語で、同社が2017年から進めている「All in AI」戦略の中核となるNLP(Natural Language Processing=自然言語処理)の深層学習モデルである。
*3 IT之家 https://www.ithome.com/0/682/368.htm
*4 テンセント「デジタル経済高品質発展報告」より引用。
*5 データ量を示す単位。1ゼタバイトは1021バイト(10の21乗倍)。1ゼタバイト(ZB)=10億テラバイト(TB)=1兆ギガバイト(GB)。
【目次】







