その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は白川方明さんの『 通貨に信用を刻印する セントラルバンカーの10の提言 』です。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】──本書の狙いと目的
私はこれまで単著を2冊刊行した。1冊目は京都大学に勤務していた頃に執筆し、2008年3月に刊行された『現代の金融政策 理論と実際』(日本経済新聞出版刊)であり、これは教科書という位置づけである。2冊目は、日本銀行総裁退任後5年半後に刊行した『中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社刊)である。これは必ずしも回顧録ではないが、そのような性格の強い書物として読まれたように思う。
2冊目を刊行した後、少なからぬ友人、知人から、「次は総裁時代の経験を踏まえて、以前に刊行した教科書の改訂を行ってはどうか」といった言葉を頂いた。次作の刊行を期待してくださる読者の言葉は嬉しかったが、具体的な行動を起こすことはなかった。書きたいと思ったことは既に書いていること、それに何よりも日本銀行を離れて既にかなりの日時が経っており、「中央銀行や金融の問題からはそろそろ卒業した方がよいのではないか」という思いがあったからである。
しかし、数年前から、新たに本を執筆することに挑戦してみようという気持ちが少しずつ湧いてきた。最大の理由は、何と言っても2008年3月の教科書刊行後の変化が非常に大きかったことである。以下のような変化を振り返るだけでもこのことは明らかだ。
第1に、グローバル金融危機、欧州債務危機、コロナ危機、その後の高インフレを経験した。ゼロ金利や量的緩和は以前は日本固有の出来事と思われていたが、グローバル金融危機後、ほとんどすべての主要国が同様の事態を経験するに至った。欧州債務危機は財政政策や政府の意味や役割を深く考えさせる出来事でもあった。高インフレは、世界中の多くの専門家がまさに低インフレを心配している時に突然起きた。
これらの出来事は、主流派マクロ経済学の知的枠組みやそれに依拠した金融政策運営の妥当性についても大きな疑問を投げかけるものであった。既存の知的枠組みや政策運営については『現代の金融政策』でも批判的に論じ見直しの必要性を訴えていたが、一連の出来事はその必要性をさらに高めるものであった。
第2に、所得や資産の格差が拡大し、国によって程度の違いはあるものの様々なレベルで社会の分断も強まった。これらは今や先進国の最も重要な経済・社会問題だと言っても過言ではない。こうした動きはそれ自体が経済の変化をもたらすと同時に、ソーシャル・メディア発達の影響も加わって、時として冷静な経済政策論議を困難にしている。政治、社会、経済の複雑な相互作用のつくりだす現象を見るにつけ、言葉の真の意味で政治経済学的な考察の重要性が高まっていると感じるが、『現代の金融政策』ではこれらの問題はほとんど扱われていない。さらに近年はESGやSDGsの動きに象徴されるように、サステナビリティの問題に対する関心が高まっており、そこで問われている社会のサステナビリティの問題をもっと深く考える必要があると感じるようになった。
第3に、高齢化と人口減少が経済、社会、政治に与える影響が深刻化していることである。日本の総人口がピークを迎えたのは2008年であるが、私自身について言えば人口動態の変化の持つ意味を本当に真剣に考え始めたのは総裁就任後である。自分の不明を恥じるばかりであるが、『現代の金融政策』ではこのような重要な問題が一切触れられていない。高齢化や人口減少の問題は、私が現在出席している国際会議でも今や頻繁に取り上げられるテーマとなっている。
第4に、リーマン破綻直後に中央銀行当座預金に対する付利が始まった。一見すると技術的な措置にすぎないように映るが、これはその後の金融政策の運営に深甚な影響をもたらし、パンドラの箱を開けるようなインパクトを持つ措置であった。付利制度は『現代の金融政策』刊行後に始まったものであり、当然扱われていない。
こうした大きな変化を経験することによって、重要ではあるが今までは気づくことのなかった様々な問題を認識するようになり、また従来は漠然としか意識していなかった問題をより大きな問題として認識するようになった。中央銀行や金融の問題をもっと深く本質にさかのぼって考える必要がある。私は総裁時代、中央銀行は学ぶ組織であり続けなければならないことを常々強調していたが、もし本当にそう思うならば、自分が以前に書いた『現代の金融政策』という教科書についても同じことが当てはまる。『中央銀行』では前述の変化もある程度は取り上げているが、その後の変化は大きい、さらに、「それではどうすべきか」という政策論や制度論には基本的には踏み込んでいない。
そうした思いから本書は誕生した。教科書と呼ぶかどうかは別にして、その問いに自分なりの答えを出そうとすると、ある程度体系的、包括的な説明が必要となる。そのため、扱うテーマの範囲も広がった。マクロ経済学や金融政策に関する通常の教科書で扱われる物価や景気循環、経済成長、為替レート等のテーマは本書でも当然扱うが、通貨の本質論や決済システム、金融規制・監督、財政の持続可能性、国際通貨制度、政治と中央銀行の関係、中央銀行という組織の運営、経済政策に関する世論形成をはじめ、関連するテーマを幅広く取り上げている。その分、標準的な教科書で取り上げられる経済理論に関する説明は少なくなっている。
経済理論や理論モデルは重要であるが、理論は各種の前提に依拠している。解明したい現象を深く理解するために単純化の前提を置くこと自体は妥当なことであるが、理論モデルに基づいて政策を提言する時に一番厄介なのは、引き出した結論が特定の前提にクリティカルに依存しているのに気づかないことである。その理論では捨象している事柄がクリティカルな作用をする時に、その事柄を無視した理論では意味のある政策的結論は得られない。適用すべき理論モデルの推論の仕方というより、適用すべき理論モデルの選択自体を誤ることは致命的である。この点では、私は歴史に学ぶ姿勢は大事だと思う。政治学者の故高坂正堯は「理論抜きには広い世界は理解できないが、歴史抜きの理論は危険であり、大体のところ害をなす」と述べているが、至言である※1。
政策や制度のあり方を考える際には、理論や歴史に加えて、私はさらに「実務」の重要性も指摘したい。理論家と様々な分野で仕事をする人を分ける大きな違いは、実務にさらされる程度である。実務は、政策や経営を実践する際に遭遇する様々な細かな事柄の集積である。実務は重要である。これは実務が回らなければ政策や経営を実践できないということだけでなく、技術的と映る実務のなかに問題の鍵が往々にして隠されているからである。
本書の執筆中、本書が最終的に意図していることは一言で言うと何なのかと少なからぬ友人に尋ねられた。「中央銀行論」「金融政策論」「金融論」といった性格づけは当たっていないとは思わないが、私の思いとは少し異なっている。私の思いに一番近いのは、歴史家のニアル・ファーガソンが述べた言葉である「通貨にいかにして信用を刻印するか」というテーマを肉づけすることを企図した書物という性格づけである。「通貨に信用を刻印する」という作業はもっぱら政府や中央銀行の仕事だと思ってはならない。もちろん、政府や中央銀行の責任は大きいが、本書で詳しく説明するように、結局は、その国、その社会の「総合力」が反映されるものだと思う。一言で言うと、我々自身が通貨の信用を欲するかどうかにかかっている。そうした「総合力」を高めるためにはどうすればよいのかという思いから、本書の終章では10の提言をまとめた。それに先立つ各章は提言のベースをつくるための各論であり、必要な理論、歴史、実務を説明することに充てられている。
できあがった本書は教科書かと問われれば、通常の意味での教科書にはなっていない。というのも、前述のように、典型的なマクロ経済学や金融政策の教科書では扱われないテーマにかなりの紙幅を割いているからである。各論点に必要な学術論文を十分にサーベイした上で、標準的な議論を詳細に説明することもしていない。また、そもそも標準的な議論が確立していない論点や通常の教科書では扱われていない論点も多く取り上げているだけでなく、自分自身の主観をかなり前面に押し出している。
中央銀行や金融政策については、中央銀行の政策当事者やスタッフ、経済学者の著した本や論文、講演のテキストは少なからず存在する。そうした著作物は貴重で私も多くのことを学んだが、中央銀行の現役のボードメンバーやスタッフによる著作物は時として自己防衛的なトーンが強く、中央銀行の能力の限界を認めたり、政治や政府、社会との関係で生じるデリケートな問題に触れることは少ないように感じる。そうした傾向は、自分自身の現役時代の経験を振り返ってみても、ある程度はやむを得ないことだと思う。
学者の著した本や論文についても同様のバイアスと無関係ではなく、主流派マクロ経済理論の発展やさらには現実の政策にも深く関わってきたという経緯もあってか、少数の例外を除くと、自らがコミットした既存の理論的な枠組みのなかで議論しようとする傾向が強いように感じる。もちろん、本書にも私自身の過去の職歴に由来するバイアスが当然潜り込んでいると思う。私が総裁時代に日本銀行が決定したことについても、本当に正しかったのかどうか今でも自問自答することは少なからずある。執筆にあたり私が意識したことは、自問自答を経て現在感じていることをできるだけ率直に書くように努めることであった。
どの分野でもそうであるが、「問題提起をいくら行っても、結局、世の中の議論は変わらない」という悲観論や諦観論は少なからず聞かれる。シニシズム(冷笑主義)すら聞かれる。特に近年はそうした傾向が強まっているように感じる。逆に、根拠なき楽観主義、ないし無責任な楽観主義とでも言うべき傾向も観察される。しかし、我々は決してそうであってはならないと思う。
ケインズは「遅かれ早かれ、よきにつけ悪しきにつけ危険になるのは、既得権益ではなく思想である」という有名な言葉を残しているが、私もケインズの観察に共感する。我々は現実の変化を踏まえ思想を常にアップデートしていく努力が必要である。むろん、問題は非常に複雑であり、簡単に正解は見つからないが、そのことを自覚した上で、思想を変化させ議論を積み重ね事態を改善することに取り組んでいく姿勢が大事だと信じている。
最後に本書の構成について案内をしたい。既に述べたように、本書は通貨に関係する論点を幅広く取り上げているが、それでも金融市場や決済システム、金融調節等のテーマについては、十分な紙幅を割くことはできなかった。これらのテーマについては別の機会に譲りたい。理論自体の詳細な説明も省いている。この点についてはいくつかの優れた本が刊行されているので、それらを参考にしていただきたい※2。理論の説明や様々なファクトの紹介にあたって通常であれば掲載される図表による説明も最小限にとどめている。必要と思われることについては、脚注等で関連文献を紹介しているので、適宜参照していただきたい。
様々なテーマをできるだけ普遍的に議論したいという思いから、時事的な問題への詳細な言及は控えたが、日本経済の将来を考える上で重要な論点は極力取り上げるようにした。その意味では、本書は「日本経済論」としての性格も部分的には備えている※3。当初の想定以上に大部な書物となったが、読者が「通貨に信用を刻印する」という問題に関心を持っていただけると幸いである。
※1 高坂(1995)参照。
※2 翁(2013a)、白塚(2023)参照。
※3 日本経済論としては河野(2025)が示唆に富む。
【目次】








