その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は日経ビジネス(編)の『 鈴木敏文 孤高 』です。
【はじめに】
2016年4月7日。東京・八重洲の会議室にはおよそ250人の報道陣が詰めかけていた。テレビ、新聞、雑誌……多様なメディアの記者が集まり、会場は異様な熱気に包まれていた。そして16時30分、会見が始まる時刻ぴったりに、当時セブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO(最高経営責任者)だった鈴木敏文氏が姿を現した。
フラッシュが一斉に鈴木氏に降りかかる。案内のスタッフに導かれた鈴木氏は、席の前に立ち、軽く頭を下げた。カメラのシャッター音が響き渡る中、ゆっくりと顔を上げ、報道陣を見回し、用意された席に座る。その表情からは何も読み取ることができなかった。
「どうも皆さん、お忙しいところ、こんなにたくさんの人にお集まりいただいて、今、そこを入ってきてびっくりしたわけでございます」
少し戸惑ったような、照れたような表情で、軽く咳払いをして言葉を続けようとする鈴木氏。浴びせるようなカメラのシャッター音が、鈴木氏の声をかき消し、会場の記者たちからは不満の声が上がった。
報道陣側は一触即発の空気が張り詰める半面、それと対峙する鈴木氏の表情から緊張は感じられない。ただ淡々と、マイクの前で説明を続ける。
なぜ、セブン&アイの会長兼CEOを退任すると決めたのか。セブン&アイ傘下、セブン-イレブン・ジャパンの社長交代問題で何が起こっていたのか。経営と資本の分離について。時に天を仰いで目を閉じ、時にほほえむ。
この会見には、鈴木氏と長く歩みを共にしてきたセブン&アイ幹部らも出席していた。会見途中、鈴木氏の言葉に涙する幹部もいた。だが当の本人は、終始淡々と説明を重ねるばかりで、その表情から「悔い」のようなものは伝わってこない。
そんな鈴木氏の姿勢は、退任会見からおよそ7週間後に開催されたセブン&アイの株主総会でも変わらなかった。
「鈴木でございます。私がグループに参画させていただいたのは、1963年でございました。当時の規模は売り上げで約40億円でして、店舗数は5店舗でした。その後、皆さま方の多くのご支援をいただきながら、会社は成長してまいりました。そして今日は、グループ全体の売り上げが10兆円を超す規模になりました」
「もう晩年でございますし、イトーヨーカ堂や西武(百貨店事業)については懸念もありました。しかしイトーヨーカ堂については、今年(2016年)に入って徐々にではございますが、良い方向に向かっていると確信しています」
「これからの大きな問題はオムニチャネル(ネット事業と店舗の融合戦略)です。オムニチャネルに対してどれだけ力を入れてくれるか。(中略)それがきちんとできれば、我々の会社は小売業として日本で一番、そして世界で何番目かに成長すると思います。株主の皆さまのご支援をいただくようにお願いをして挨拶に代えたいと思います」
セブン&アイの株主らが集った会場で、鈴木氏は総会の終わりにこう語り、振り返ることなく会場を去った。最後の言葉を株主らも静かに受けとめ、鈴木氏は経営の表舞台を後にした。
多くを語らずに去ることを美学としたのかもしれない。インタビューなどで見せるシャイな人柄と、静かな去り際は、確かに鈴木氏らしいものだった。
だが、グループの総売上高10兆円に達する巨大流通コングロマリットを、四半世紀も率いた戦後有数のカリスマ経営者の最後の言葉としては、退任会見で語られた内容も、株主総会の挨拶も、あまりにも淡泊だった。
日経ビジネス取材班は、鈴木氏の退任を巡って数々の記事を書いてきた。多くのメディアも同様に報道を重ね、新聞や雑誌には日々、刺激的な見出しが躍った。「物言う株主の暗躍」「創業家の反撃」「取締役会内部の分裂」「カリスマが求めた世襲」……。その大半が“お家騒動”に視点を当てた内容だった。
だが果たして、鈴木氏の退任は、そんな近視眼的な言葉で済ませてもよいものなのか。コンビニエンスストアという新しいインフラを戦後の日本に根付かせ、メーカーが支配していた流通業界の力関係を逆転させた立役者が、経営者・鈴木敏文氏である。
一人のサラリーマンはどのようにカリスマ経営者となり、巨大な流通コングロマリットを形成してきたのか。そしてどんな壁に直面し、経営の表舞台から去ることを決めたのか。
真相を探るには、2つの要素が欠かせない。1つは、鈴木氏本人の肉声である。日経ビジネスは鈴木氏の退任以降、延べ10時間に渡って本人への単独インタビューを重ねてきた。1章では、鈴木氏本人が自身の半生を振り返りながら、セブン&アイの拡大に込めた思いをひも解いた。
経営者・鈴木敏文氏を理解する上で、もう一つ欠かせない要素が歴史である。イトーヨーカ堂の創業者であり、セブン&アイ名誉会長でもある伊藤雅俊氏と鈴木氏の関係は実に50年以上に及ぶ。トーハンからヨーカ堂に転じた鈴木氏が、創業者である伊藤氏の信頼をどのように勝ち取り、幹部として台頭したのか。
日経ビジネスでは1970年代以降、鈴木氏と伊藤氏の取材を重ねてきた。歴史を振り返れば、鈴木氏と伊藤氏という2人の微妙かつ絶妙の関係がどのように誕生し、維持されてきたのか知ることができる。2章では、過去の記事を再収録し、鈴木氏と伊藤氏、両者の経営者としての「素顔」に迫った。
そして2000年代。カリスマ経営者としての地位を揺るぎないものにした鈴木氏は、セブン帝国を率い、どんな未来を描こうとしていたのか。3章では2000年代以降のセブン帝国の強さと、退任に至る「綻び」を収めた。
終章では、今回の退任に至るまでの“お家騒動”の裏で何が起きていたのか、その一部始終を書き下ろした。
「流通王」として日本の戦後経済史に名を刻んだ経営者・鈴木敏文氏。この一冊を読めば、その孤高の半生を知ることができる。
【目次】
はじめに
1章 鈴木敏文、半生を振り返る
1節 「辞めさせられたわけではない」
2節 「中内さんの下だったら、1年で辞めた」
3節 「お金がなかったから、強くなった」
4節 「業界のことなんて、何も知らない」
5節 「コンビニは終わっていない」
6節 「百貨店はもっと商品力あるかと思った」
7節 「米セブン買収、再建に自信あった」
8節 「やっぱりスーパーは米国の物まねだ」
9節 「ヨーカ堂は、やっぱり変わらなかった」
10節 「60歳を過ぎたら引退と思っていた」
2章 鈴木と伊藤、最強の2人
1節 伊藤雅俊の実像「夢追う大商売人」(1984年掲載)
2節 建前を本音で実践 イトーヨーカ堂の美学(1985年掲載)
3節 鈴木敏文の矜持「己を殺して自我を貫く」(1986年掲載)
4節 リーダーの研究 鈴木敏文「成功体験を捨てよ」(1995年掲載)
コラム 「伊藤さんと鈴木さんは“ニコイチ”」
3章 鉄壁のセブン帝国
1節 成功体験が常勝集団を苦しめる(2001年掲載)
2節 ミレニアム統合に込めた成長への執念(2006年掲載)
3節 鈴木帝国の覚悟「血の入れ替え」(2013年掲載)
4節 築き上げた「鉄の支配力」(2014年掲載)
コラム 「鈴木さんも僕も、革命者だ」
終章 舞台を降りたカリスマ
おわりに
