その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は戸部良一さん、寺本義也さん、野中郁次郎さん編著の 『国家戦略の本質 世界を変えたリーダーの知略』 です。

【文庫版まえがき】

 本書は、二〇一四年に刊行された『国家経営の本質』(日本経済新聞出版社)の文庫版である。『失敗の本質』『戦略の本質』に続く、いわば「本質シリーズ」の三冊目にあたる。その後、二〇一九年に『知略の本質』が上梓され、シリーズは一応の完結を見た。それぞれ共同執筆者には異同があるが、このシリーズには一貫した問題意識が流れている。それは、戦略なるものの本質を、組織論の見地から明らかにする、ということである。今回、文庫版を刊行するにあたり、書名を『国家戦略の本質』と改めたのは、この問題意識をより鮮明に表すべきだと考えたからにほかならない。

 『失敗の本質』では、ノモンハン事件、ミッドウェー海戦、ガダルカナルの戦い、インパール作戦、レイテ作戦、沖縄決戦を取り上げ、組織の環境適応と自己革新という観点から、日本軍はなぜ作戦に失敗し、どうして勝てなかったのか、を究明しようとした。そこから浮かび上がってきたのは、日本軍にはそもそも戦略が欠けていたのではないか、ということであった。国力に大差がある敵国との戦争であっても、その戦争の局面によっては、もっと巧みで賢い戦い方があったのではないか。戦争の敗色が濃厚になっても、少なくとも一時的には逆転を成し遂げることができたのではないか。

 こうした問題意識を引き継いで、次作の『戦略の本質』では、日本軍が成し遂げることができなかった逆転のケースを、日本以外の国々の戦いから選び出し、そこから戦略なるものの本質を導出しようとした。取り上げたのは、毛沢東の反包囲討伐戦、バトル・オブ・ブリテン、スターリングラードの戦い、朝鮮戦争、第四次中東戦争、ベトナム戦争、の六つの事例である。いずれの事例でも、当初劣勢であった側がそれをはね返し、最終的に勝利を収めている。前作が失敗の研究であるとすれば、これは逆の、成功の研究でもあった。

 こうした研究に対しては、多くの読者がおのおのの組織における自分自身の体験から、著者たちが予想した以上の深い理解と共感を寄せてくれた。しかし、厳しい批判もあった。なかでも、きちんと受け止めなければならなかったのは、われわれの研究が対象としているのは個々の「作戦」あるいは「戦い」であって、国家レベルの戦争指導、国家戦略(大戦略)を扱ってはいない、という批判であった。国家戦略を扱わずして、戦略なるものの本質がとらえられるだろうか、という指摘であった。

 こうした批判に応えようとしたのが、本書なのである。本書は、個々の戦いを対象とせず、一九八〇年代の主要列国の国家経営のあり方を扱っている。言い換えれば、日本、中国、アメリカ、イギリス、西ドイツ、ソ連という六ヵ国の、安全保障を核とした国家戦略の運用と展開を研究対象としたのが本書である。前二作では、戦争そのもの、あるいは戦争中の作戦を扱うことによって、戦略の何たるかを明らかにしようとしたが、本書では戦時だけでなく平時にも通じる国家次元の戦略の意味を問うた。

 戦略現象は、軍事に関わる場面で最も鮮明に表れるが、だからといって、軍事に関わる状況が戦時に限定されているわけではない。平時でも、軍事を含む安全保障を対象とする場合には、戦略が必要不可欠となる。さらに、直接軍事に関わらない状況でも、さまざまな場面で戦略現象は見られる。その点に、本書はあらためて着目したのである。

 本書のもうひとつの特徴は、国家の指導者に焦点を当てたことにある。一九八〇年代の代表的な国家経営者として本書は、中曽根康弘、鄧小平、ロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャー、ヘルムート・コール、ミハイル・ゴルバチョフの六人を取り上げた。ただし、指導者に焦点を当てたことには伏線があった。前作の『戦略の本質』で、すでに毛沢東、チャーチル、スターリン、サダト、マッカーサーといったリーダーの役割に注目していたからである。つまり、すぐれた戦略はすぐれたリーダーシップと分かちがたく結びついている、ということがひとつの命題として提示されており、本書はそこを出発点としていたと言えよう。

 本書で取り上げた六人が国家経営者として大戦略を担った一九八〇年代は、政治や経済の面での大きな転換期であった。主要列国のリーダーは、それぞれの文化や歴史に由来する固有の諸問題に直面したが、それらの問題には、世界史の転換に関わるとも言うべき各国に共通する部分も含まれていた。本書が六つの事例の通時性と共時性を重視したのは、このためである。

 ところで、歴史の転換というのは、その転換期に生きている人間にはなかなか感知されないものである。本書の執筆者にとって、『失敗の本質』や『戦略の本質』で扱った事例はその大半が前世代の出来事だったが、本書が対象としている一九八〇年代は自分たちが実際に生き、生活していた時代であった。だからといって、実はその当時から、時代の転換に気が付いていたというわけではない。転換期から二〇年以上を経過して、ようやく転換の大きさやその歴史的な意味に気が付き、これに真正面から向き合って研究・考察しなければならないと考えたというのが正直なところである。

 一九八〇年代の転換期から約一世代の時間が経って、現在もまた新たな転換期に入りつつあるように感じられる。今回は、軍事が宇宙空間やサイバー空間にも広がり、AIに象徴される先端科学技術が政治・経済・社会の多方面にわたる歴史的転換を促している。はたして一世代前の転換から導出した戦略の本質が、現在の転換にも当てはまるものだろうか。われわれとしては、自分たちが提示した命題が戦略の「本質」である以上、それはどこでも、いつの時代にも当てはまるはずだと考えている。

 本書が提示したのは、こうしたら勝てる、こうしたら利益を上げることができる、というような戦略の処方箋ではない。いったい戦略とは何なのか、それを賢く実践するために、その実践者にいかなる資質が必要であり、彼らがどのような役割を演じなければならないのか、を本書は論じている。

 本書が取り上げた六人の指導者のうち、鄧小平(一九〇四〜一九九七)、レーガン(一九一一〜二〇〇四)、サッチャー(一九二五〜二〇一三)、コール(一九三〇〜二〇一七)はすでに亡く、中曽根(一九一八〜二〇一九)も昨年逝去した。生存しているのはゴルバチョフ(一九三一〜)だけである。二一世紀の最初の転換期である現在、主要諸国の国家指導者はこの六人のリーダーに匹敵する資質を持ち、すぐれた戦略を賢く実践しているだろうか。それとも、これから彼らに代わって新たなリーダーが歴史の表舞台に登場してくるのだろうか。本書は、この点についても考えるきっかけを示唆するはずである。

二〇二〇年二月
戸部 良一

【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示