その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は久保田 瞬さん、石村 尚也さんの 『メタバース未来戦略 現実と仮想世界が融け合うビジネスの羅針盤』 です。


【はじめに】

メタバース――人々の夢想が現実になる「もう一つの世界」

 2030年。あなたが専用のグラスをかけると、そこには「現実とは違う世界」が広がっている。あなたは、その世界の中で一日のうちの大半の時間を過ごす。そこでは現実でできること――、つまり、日用品の買い物や人と会って仕事の打ち合わせをする、工場の新しい試作品のデモンストレーション、ゲームセンターで遊ぶ、役所での面倒な手続きなどの他に、現実では不可能なさまざまなこともできる。

 例えば、服の試着をするとき。あなたは自分の全身をスキャンして作った3Dモデルに服を着せられるだけではなく、その服の色や刺しゅうの位置、形状を一瞬で変更し、自分に似合うデザインを探すこともできる。また、現実にはあり得ないくらい大きなスクリーンで映画を見ることも可能だし、自分たちの住む世界がどうなっているのか子供が知りたいと言えば、一緒に“宇宙”まで行って地球を眺めることもできる。

 その世界であなたは、男性でいても女性でいてもいい。どんな姿でも選べる。それどころか、人間でなくても構わない。あなたの「分身」は恐竜かもしれないし、民話に出てくる妖怪のような姿をしているかもしれない。そして何より、あなたはその分身に強く「自分自身」を感じる――。

 このような世界は、今や絵空事やSFの世界の話ではなくなっている。いや、正確に言えば、このような世界を描いたもののはじめは『スノウ・クラッシュ』(早川書房刊)というSF小説だったが、今を生きる人々の手によって著者のニール・スティーブンスンが夢想した世界は現実のものになろうとしている。

 この世界の名前は「メタバース」。1992年に書かれた『スノウ・クラッシュ』の中では、「コンピューターの作り出した宇宙であり、ゴーグルに描かれた画像とイヤホンに送り込まれた音声によって出現する(中略)想像上の世界」と紹介されている。

 2021年公開のアニメーション映画『竜とそばかすの姫』、あるいは09年の『サマーウォーズ』は細田守監督の代表作だ。これらの中でも、メタバースと言っていい仮想世界が存在する。サマーウォーズでは、人々は皆、現実世界の他に「OZ(オズ)」と呼ばれる仮想空間で生活している。OZの中で人々は、自分の分身、つまりアバターを使い、日常のコミュニケーションやショッピング、スポーツ、公共料金の支払いまで完結できる。一つのOZという世界に10億人以上が接続する大ネットワークが形成されている。

 他にも1989年に原作漫画が公開、95年からアニメ化された『攻殻機動隊』シリーズや、99年公開の映画『マトリックス』、09年に原作の小説が発売された『ソードアート・オンライン』など、仮想空間を題材の一つにしたフィクション作品は枚挙にいとまがない。簡単に言ってしまえば、このような仮想空間を最新の科学技術の力で実現してしまおうというのが、メタバースのコンセプトである。

ビジネスとしてのメタバースの可能性

 2022年の現在、世界中で多くの人々、多くの企業がメタバース構築に向けて急速に歩みを進めている。21年10月には旧フェイスブックが社名をMeta Platforms(メタプラットフォームズ)に変更したことでメタバースが改めて注目を浴び、中国では21年のネット用語トップ10に選出されたほどだ。日本でも、多くの企業、クリエーター、ビジネスパーソンがメタバースに注目し始めている。

 本書では、「メタバースは、今なぜ注目されているのか」「メタバースは成功するのか」「どのようなビジネスが展開されていくのか」「クリエーターエコノミーはどう発展していくのか」など、今後のメタバースをめぐるビジネスを語るうえで欠かせない要素になる点について詳しく解説を加えていきたい。

 メタバースについては、すでに多くの関連本が出版されているが、本書は短期・中期・長期でのビジネスの成功を目指し、メタバースの構造理解からビジネス実践例、将来展望まで含め、ビジネスの視点で書かれた書籍だ。

 著者2人のうち、久保田瞬は14年からVR(仮想現実)/AR(拡張現実)分野に関心を持ち、情報を追い続けてきた。15年には現在も業界最大のVR/AR専門ニュースサイトである「Mogura VR※1(モグラVR)」を立ち上げ、情報発信を行ってきており、Mogura代表取締役として各大手企業へのメタバース関連のコンサルティングも含めた経験と実績を持つ。

 石村尚也は、同じく14年から久保田との情報交換を行ってきており、16年からは日本政策投資銀行の産業調査部でデジタル分野や日米スタートアップの環境比較調査などに携わったほか、いくつかのVR/AR企業への投資にも関与した。21年には、共著で「AR/VRを巡るプラットフォーム競争における日本企業の挑戦※2」と題し、VR/ARやメタバースについて論じるリポートを執筆した。現在は、DBJキャピタルでアナリスト業務およびスタートアップへの投資業務を行っている。

 著者の2人に共通するのは、中学校、高校の同級生であり、とあるMMORPG(Massively Multiplayer Online Role Playing Game:多人数同時参加型オンラインRPG)にはまった“戦友”であることだ。大学時代も含めると、2人合わせて総プレー時間は2万時間を超える。

 後述するように、MMORPGは経済活動が存在する点やユーザーコミュニティーの重要性などにおいてメタバースと類似した点を多く持っている。我々がMMORPGで得た多くの経験は、現在のメタバースを理解するうえで大いに役立っていると考えている。本書ではMMORPGについても触れつつ、メタバースの系譜をたどっていきたい。また、企業サイドがビジネスをするうえで最も知りたいと感じているであろう、「そもそもメタバースで何をしたらいいのか」という点についても議論を深めていきたい。

 具体的には、まず第1章では「結局、メタバースとは何なのか?」をひもとく。定義・概念の話から世間でのメタバースにまつわる誤解、メタバースとMMORPGとの類似点などについて紹介する。第2章では、メタバースに取り組む代表的な企業としてMetaの歩みを取り上げつつ、他のテックジャイアントがどのようにそれに対抗・追随しているのか、現在のトレンドをけん引する注目プレーヤーの戦略、また巨大化するクリエーターエコノミーについても取り上げていく。

 第3章では、「3次元のインターネット」とも呼ばれるメタバースがどのように進化していくのか、またメタバースのビジネス上の構成要素についても「4つのレベル進化と7つの業界構造」という視点から紹介する。第4章は、「業界別メタバースのビジネスチャンス」と題して、業界ごとの事例紹介に加え、メタバースにおける進化段階別のビジネス実行に向けた注意すべきポイントについて論じる。

 第5章は、たった3つのステップで分かる「メタバースの始め方」だ。メタバースへの取り組みを検討している企業に向け、現状の代表的なプラットフォームの紹介と、それを活用するときの留意点について述べる。最後に、第6章「メタバースの未来に向けて」では、メタバースの未来に向けた課題や新たな取り組み、日本企業が担う役割などについて議論していく。

 そして、本書ではさまざまな角度からメタバースについての見解を紹介し、理解を深めてもらうために、各界の有識者へのインタビューを掲載している。メタバース構築に向けた議論がさらに活発になることを期待したい。

※1 Mogura VR( https://www.moguravr.com/
※2 「AR/VR を巡るプラットフォーム競争における日本企業の挑戦」( https://www.dbj.jp/topics/investigate/2021/html/20211129_203602.html

「何かをする」ではなく、未来に向けた思考実験を

 企業がメタバースに関わるといったときに、多くの企業担当者がまず思い浮かべるのは「メタバースで何かをする」ことだろう。メタバースがどういうものなのか情報を集め、既存のプラットフォームを比較し、何をやるか企画を考え、実施する。もしかしたら、事前の段階で事業計画や収益化の想定もすることになるかもしれない。そして、直属の上司にはじまって関係のある複数の部署、経営陣といった順で社内を説得していかなければならない……。

 これら一連の流れはメタバースに限らず、DX(デジタルトランスフォーメーション)の実践やAI(人工知能)活用など、あらゆるテーマで散々繰り返されてきたことだろう。では、メタバースは同じやり方で通用するのだろうか。正直、成功率は低い。

メタバースについて講演するMetaのマーク・ザッカーバーグCEO(出所:Meta Platforms公開動画より)
メタバースについて講演するMetaのマーク・ザッカーバーグCEO(出所:Meta Platforms公開動画より)
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Googleトレンドで「メタバース」を確認すると、21年10月26日を境にして一気に話題が広がっている
Googleトレンドで「メタバース」を確認すると、21年10月26日を境にして一気に話題が広がっている
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 そもそも、なぜ日本でここまでメタバースがトレンドとなったのかを思い返してみたい。日本でメタバースという言葉がまことしやかに語られるようになり、目にするようになったのは、21年10月26日のことだ。この日の未明(米国時間25 日朝)、フェイスブックCEO(最高経営責任者)のマーク・ザッカーバーグがメタバース実現に向けたビジョンをさまざまな趣向を凝らした動画を交えながら1時間半も語り、最後に社名をMetaへ変更することを大々的に発表した。この瞬間からメタバースに対する期待が高まり、さまざまな人がメタバースを語る、狂騒曲とも言える状況が始まった。

 メタバースはザッカーバーグにとって桃源郷だ。SNSとしてスタートし、アップルやグーグルのプラットフォーム手数料による“支配”を受けながらも独自の経済圏を構築してきた。その先にザッカーバーグが見るのは、ハードウエアからOS、プラットフォームすべてを押さえられる新しい分野に乗り出すことだ。

 人と人をつなぐコミュニケーションをミッションに据えるザッカーバーグにとって、VRはコミュニケーションを文字通り別次元に引き上げられる道具だった。14年、ザッカーバーグは当時商用化すらしていなかったVRヘッドセット「Oculus Rift(オキュラスリフト)」を開発していたオキュラス社を20億ドル(約2230億円)で買収した。ザッカーバーグは、VRにおけるコミュニケーションを「Toybox※3(トイボックス)」というプロトタイプデモで体験し、あまりに感動したという話が報じられた。トイボックスは、オキュラスリフト向けハンドコントローラー「Oculus Touch(オキュラスタッチ)」を使い、離れた場所にいる2人のプレーヤーがあたかも隣にいるかのような感覚で遊べるVR空間で、確かに秀逸な出来だった。彼のメタバースを目指すという思いはこの体験から始まったのだろう。

 その後、VRやAR、それらによって実現する「次世代コンピューティング」という言葉などを使いながら複数のVRヘッドセットを展開。ついに2020年には優れた体験をもたらす一体型VRヘッドセット「Meta Quest 2(メタクエスト2)」をわずか299ドル(税込み3万7180円)で発売した。全世界の累計出荷台数が1000万台を突破したといわれるまで広がったところで、ザッカーバーグは「メタバース」という言葉にたどり着いた。

 21年だけで100億ドル(約1兆1400億円)もの投資を行うことを公言し、急ピッチで事業を進めているが、メタバースの実現には今後5~10年か、それ以上かかるという。今回のトレンドの転機となったMetaですら、現時点でメタバースは長期的な投資領域だと考えているのだ。そのための莫大な投資を続ける覚悟を示している。

 つまり、歴史的なゲームチェンジが起こせると考えたプレーヤーたちは、「仕込み」に入ったのである。Metaのように新たなプラットフォームづくりやメタバースを支える仕組みの開発に動き始めたり、有望なスタートアップに投資したり買収したりすることで、メタバースをめぐるバリューチェーンの深掘りを進めている。また、新たな世界であるメタバースで自社のビジネスをさらに拡大できるときが将来やってくるのではないかと備えに動いている。

 仕込みの目線で見ると、実はMetaのメタバース参入は早いとも言えない。Roblox(ロブロックス)やEpic Games(エピックゲームズ)など、ゲーム業界・テック業界では2010年代から静かにメタバースのトレンドが現れ始めていた。Metaはそのトレンドを決定付けた役割を担ったとも言える。スタートアップと老舗のミュージックレーベルが提携してジャスティン・ビーバーのバーチャルライブが行われたり、スポーツブランドがメタバース上にワールドを作ったりし始めたのも、この1~2年のことだ。社会全体で壮大な実験が行われている最中なのだ。

 この仕込みの時期に企業がメタバースに関わろうと考えたとき、「メタバースで何かをする」は間違いではないが、メタバースで短期的にビジネスを成功させるのはあまりに難しいだろう。今のメタバースプラットフォームと呼ばれるサービスでは、先駆的なクリエーターや一般ユーザーが自由に別世界を楽しんでいる段階で、ビジネス活用はこれから本格化するテーマだ。

 来るべくメタバース時代に向けて、「どんな産業変化が起こり得るのか」、その中で「将来、自社は何をするべきか」と思考実験を繰り返しながら、中長期の視点で腰を据えたチャレンジを始めてほしい。今からでも遅くない。本書がその一助となれば幸いだ。

※3 「Toybox Demo for Oculus Touch」( https://www.youtube.com/watch?v=iFEMiyGMa58

2022年6月吉日 筆者一同


【目次】

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