その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は松浦晋也さんの 『母さん、ごめん。2 ―50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』 です。

【はじめに】

あなたの知らない「グループホーム」の世界

 前著 『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』 (日経BP刊、 集英社文庫 に収録)で私は、母の認知症発症からグループホーム入居までの2年半について書いた。

 簡単に、前著の概略を書いておこう。私は理工系大学卒の、主に航空宇宙を専門とするフリーランスのライターだ。結婚歴なしの独身で長男。神奈川県にある実家で母と同居していた。東京でITインフラエンジニアをしているこれまた独身の弟と、既婚子持ち共働きの妹がいる。妹はドイツ在住だ。
 私が五十代前半、母が80歳になった2014年7月、母が「預金通帳が見つからない」と言い出したことがきっかけで、認知症(アルツハイマー病)を患ったことが判明した。そこから母を自宅介護する日々が始まる。私は様々な失敗をしつつ、公的な制度を利用して自宅で母を介護し続けた。が、アルツハイマー病は徐々に進行し、それにつれて介護の負荷も増していく。自宅介護2年半の末、精神的に追い詰められた私が暴力沙汰を起こしたことがきっかけとなり、17年1月に母を認知症老人を介護する「グループホーム」という施設に入居させた。
 本書はその続きで、グループホーム入居後の5年間についての記録だ。

 ところで、グループホームという施設について、どの程度ご存じだろう。
 あなたは、今どこに住んでいるだろうか。大都市か、それとも大都市周辺のベッドタウンか、地方の中核市か、こぢんまりとした街か、それとも文字通りの過疎地か―どこであれ、自宅から一番近くの街の、一番の繁華街に行き、そこから自宅まで移動してみよう。移動手段は問わない。都市部なら徒歩になるだろうし、過疎地なら自動車になるはずだ。
 あなたはその道すがら、かなりの確率で認知症の高齢者たちが住むグループホームのすぐそばを通過している。
 「いや、目に入らなかった」と思う方は、GoogleマップなりBingマップなりのインターネットの地図ページを開いて「自分の住む市町村名」と「認知症」「グループホーム」というキーワードで検索してみよう。思っていた以上に多くの認知症老人向けのグループホームが見つかるだろう。おそらく「ええっ、こんなところにあるの」と思うぐらい身近に立地しているはずだ。
 私がこのことに気が付いたのは5年前、認知症が進行した母を入居させる施設を探してあちこち見学して回っている時だった。見学先のグループホームのひとつが、自分の家のすぐ近くにあったのだ。それこそ毎日前を通っているところにあったのに、見学を申し込むまではグループホームであると気が付かなかった。
 そこは住宅街の真ん中のグループホームだった。外観は立地に合わせたのか、普通の賃貸アパート風だ。しかし気をつけて見ると、玄関にはがっちりとした手すりと共に緩やかなスロープが設置されており、敷地の入り口にはボディ側面にホームの名前を書き込んだ、車椅子で利用可能な福祉車両が駐車している。それどころか、玄関にはさりげなくグループホームであることを示す小ぶりな看板も出ていた。
 ほんのすこしでも注意力を働かせていれば気付いていたものを、私は「よくあるアパートだろう」と見過ごしていたのだった。それも、自宅で認知症の母の介護をしており、介護関係者と会話する機会がずいぶんとあったにも関わらず、だ。

 実際、人間というものは、自分に直接関係ない事物は見ていても見えてはいないものだ。それはもう、呆れるぐらい見えていない。
 私は、母が認知症を発症し、お昼だけ母を預かってくれるデイサービスを利用するようになって初めて、街をかなりの数のデイサービスの送迎車両が走り回っていることに気が付いた。それまでは見ていても見えてはいなかったのだ。
 しかも日々母の介護で七転八倒の毎日を送っていたにも関わらず、母と同じく認知症を発症したお年寄りが暮らすグループホームは、近所にあっても見えていなかったのである。
 いよいよせっぱ詰まって、母を施設に入居させるか、という段になってやっと、近所のグループホームが自分にも見えるようになったのだ。
 まるで魔法のようだった。私には、それまでおとぎばなしに出てくる「見えなくなる頭巾」を被っていたホームが、さっと頭巾を脱いだかのように思われた。
 だから、身近に施設に入居した認知症の親族のいない方は、グループホームと言われても「何、それ?」と思うだろう。ごく曖昧な老人ホームの印象しか持ち合わせていなくても、それは当たり前だ。
 目の前にある。目の前にいる。しかし、多くの人の日常生活にとって、それは透明な存在であらためて意識することはない―それがグループホームであり、そこで介護を受けて過ごす母のような認知症を患う方々であり、そこで働くスタッフの方々の現状なのだろう。

 母もまた認知症を発症する前は、「歳をとってもホームなんてところ入りたくない」というのが口癖だった。「老人ばっか集められて、チイパッパとお遊戯とかやらされるなんて、おお嫌だ」と言っていた。常々「最後まで頑張って生きるから、あなたたち、死ぬときだけは手伝って頂戴」と、我々子どもたちに主張していた。自分で意志的に自分の人生を締めくくる意欲満々だった。
 我々もまた、根拠もないのに、きっとそうなるのであろうと思っていた。
 しかし認知症を発症すると、意志の源である脳の機能が落ちていく。症状は決して止まることなく進行し、本人が意志を貫くことはできなくなっていく。
 徐々に、しかし確実に、家庭において家族の手で介護することが困難になる。そうなれば特別養護老人ホームやグループホームのような、施設に入居させてプロの介護職による介護に委ねるしかない。
 私はそこではじめて、「認知症老人が人生最後の日々を過ごす社会的機能を持つ施設」としてのグループホームに向き合うことになった。それまで視界にも入っていなかった社会施設が、海面に姿をあらわす潜水艦のように自分の目の前に浮上してきた。

 本書出版の時点で、寝たきりになった母は、グループホームのスタッフの皆さんの介護を受けて命をつないでいる。
 私はと言えば、この5年でさらなる介護を体験した。それは「老人介護施設に預けたからといって、そこで介護は終わらない」「そこからは介護施設と協力しての新たな介護が始まる」と要約することができる。
 本書では、「母を入居させた施設と協力した介護の実際」を可能な限り、自分の体験に即してまとめてみた。

 老親介護が大きな社会問題となっている今でも、多くの人にとって介護は「見ていても見えていない」のだと思う。しかし親と縁が薄い人はいても、親がいないという人は存在しない。今は見えていなくても、突如として否応なしに「見えてしまう」ときが来るかもしれない。
 そのとき、この本を読んだあなたが、あわてることなく「ああ、知っている」と思えることを、願っている。


【目次】

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