その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は平沼光さんの 『資源争奪の世界史 スパイス、石油、サーキュラーエコノミー』 です。

【はじめに Introduction】

エネルギー転換という変化の時代

 「石油の一滴は血の一滴に値する」

 これは、第一次世界大戦中の1917年にフランスの首相ジョルジュ・クレマンソーが石油の供給を求めてアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンに宛てた電文の中で語られた言葉である。この言葉からわかるように、石油は世界大戦の戦況を左右するほど重要な資源であった。

 資源としての石油の重要性は、日本が対米戦争を始めるきっかけとなったことからもわかる。ABCD包囲網により、輸入の多くを依存していた英米系の石油会社からの石油供給を断たれた日本は、石油を求めて南下し第二次世界大戦へと向かって行った。

 第二次世界大戦後も、モータリゼーションの浸透などにより石油は経済的、戦略的資源として重要な役割を担った。

 そのため、産油国の中東諸国で紛争が起こるたび石油は紛争のカードとされ供給不安定化が起こり、世界経済に大きな混乱をもたらすなど、石油は争っても手に入れなければならない欠かすことのできない資源として不動の地位を築いてきた。

 しかし、ここに来てその地位を揺るがす事態を迎えている。世界的な気候変動問題に対処するため、世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2度未満に保つことを目標としたパリ協定が2016年11月に発効されたことにより、世界は石油、石炭をはじめとする化石燃料依存から脱却し、再生可能エネルギーの普及拡大を推進するエネルギー転換という変化の時代を迎えたのだ。

コロナ禍が資源エネルギーへ及ぼす影響

 世界がエネルギー転換へと動いているなか、資源エネルギーの動向に影響を及ぼすこれまでにない事態が起きている。

 2020年3月11日、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス(COVID―19)のパンデミック(世界的流行)を宣言。感染拡大を防ぐため世界各国ではロックダウン(都市封鎖)が行われ、人の移動や経済活動が制限されるという事態に陥ったのだ。

 2020年4月14日に国際通貨基金(IMF)が公表した世界経済見通しでは、新型コロナウイルスのパンデミックにより世界経済は1930年代の世界大恐慌以来の最悪の景気後退に陥るとの見解も示され、世界経済はこれまで経験したことのない停滞を強いられた。経済の停滞はエネルギーの需要縮小をもたらし、原油価格も急落した。

 2000年4月20日には、ニューヨーク市場において国際的な原油取引の指標であるWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)の5月物の先物価格が1バレルあたり前日比約56ドル下落し、マイナス37.63ドルという史上初の〝マイナス価格〞を記録した。

 コロナ禍以前より、石油市場は産油国による市場獲得争いから供給過剰に陥っており、アメリカをはじめとして各地の石油貯蔵基地は満杯状況だったところへ、コロナ禍で需要が急激に落ち込んだことでさらに原油がダブつき、原油の生産者やトレーダーが買い手にお金を払って原油を引き取ってもらう状況、すなわち〝マイナス価格〞という異常事態が起きたのだ。

 2020年の第1四半期(1〜3月)のエネルギー需要を見ても、全体で前年同期比▲3.8%減少したことが国際エネルギー機関(IEA)から報告されている。

 エネルギー別では、石炭が▲8%、天然ガス:▲3%、石油:▲5%、原子力:▲3%と、化石燃料と原子力は軒並み前年同期比マイナスとなっている。

 また、IEAによる2020年のエネルギー需要予測でも、2019年と比べて全体で▲6%の需要減が見込まれており、エネルギー別では、石炭が▲8%、天然ガス:▲5%、石油:▲9%、原子力:▲2.5%となっており、第1四半期と同様に通年でも化石燃料と原子力が前年比マイナスとされている。

 一方、再生可能エネルギーの2020年第1四半期の需要は、化石燃料と原子力が軒並み前年同月比マイナスとなっているのに対し、1.5%の増加となっている。

 IEAの2020年の需要見通しでも1%の需要増加が見込まれており、再生可能エネルギーはコロナ禍において最もレジリエンス(回復力)のあるエネルギーとされている。

 なぜコロナ禍という状況においても再生可能エネルギーは需要を伸ばし、レジリエンスの高いエネルギーとなっているのかは改めて詳説するが、かつては「石油の一滴は血の一滴」と言われた石油がマイナス価格をつけるほど、その価値は大きく揺らぎ、資源としての転換期を迎えている。

資源エネルギーの現在、過去、未来

 振り返ってみると、我々人類はこれまでにもいくつもの資源の移り変わりを経験している。石器時代の人類は石を資源として用い、石斧や黒曜石を砕いた鏃くわなどをつくりだし、狩りや漁を行い生活を成り立たせていた。

 弥生時代には、鉄を資源として農工具や武具などの鉄器をつくりだし、社会を発展させている。鉄器の誕生はこれまでの石器と比べて格段の生産性を生み出し、資源は石から鉄へと移っていった。

 同時期には銅や錫すずを資源とした青銅製の銅剣、銅矛といった青銅器も作られるようになり、鉄や青銅をより多く手に入れることが富と権力を得るために欠かせないものとなっていった。スパイスも富を得るために争奪戦が繰りひろげられた。

 蒸気機関などの動力が実用化される前は、人間も労働力という資源として奴隷という形で売買されていた。

 近代では、第一次産業革命において蒸気機関のエネルギー源となった石炭が軽工業を発展させた。石炭の産地であったイギリスがその舞台となった。

 第二次産業革命では石炭よりも利便性の高い石油が登場し、石炭を利用した蒸気機関から石油をエネルギー源とする内燃機関へと動力の革新が起きたことで重工業を発展させている。前述のように石油は戦略資源となっていった。

 そして現代、石油が資源としての転換期を迎えているように、資源やエネルギーは固定化されたものではなく、時代とともに移り変わってきた。

 その移り変わりのなかで、資源を手に入れた国や地域はその優位性を誇り、持たざる国はなんとか資源を手に入れようと奔走し、そのせめぎあいの中で時には武力をともなう争奪を繰り広げてきた。

 本書はそうした資源エネルギーの移り変わりと争奪戦を過去から現代にわたり紐解くとともに、未来に向かって資源エネルギーがどのように移り変わるかを考察するものである。

 日本人の多くは、〝資源〞と聞いた時に、石油、石炭、天然ガスなどの地中に埋蔵された化石燃料を思い浮かべるのではないだろうか。しかし、そもそも〝資源〞に明確な定義はない。

 資源とは何かについて、例えば文部科学省では、「人間が社会活動を維持向上させる源泉として、働きかける対象となりうる事物」と定義しており非常に漠とした捉え方をしている。

 人間が働きかける対象となる事物が資源であるとすれば、未来の資源を見通すにあたっては、「化石燃料が資源」という日本人のステレオタイプ的な思考を排し、これまで誰が、何に対して、どのように働きかけて資源を生み出したのか、そして、次は誰が、何を資源とするため働きかけるかという視点は欠かせない。

 筆者がプロジェクトリーダーを務める公益財団法人東京財団政策研究所の資源エネルギープロジェクトでは、そうした視点を持って次世代の資源エネルギーの可能性を考察してきた。本書はその成果の一端をまとめるものである。なお、食料、水などは対象としていないことを申し添えておきたい。

 本書の執筆においては、国内外にわたり様々な方々にご協力をいただいた。ここであらためて感謝を申し上げたい。そして、 『原発とレアアース』 (共著、日経プレミアシリーズ)、 『2040年のエネルギー覇権』 (日本経済新聞出版)に続き、本書を執筆する機会を与えてくださった日経BP日本経済新聞出版本部の堀口祐介氏には、心から感謝を申し上げたい。

 2021年3月 平沼光

■参考文献
Global Energy Review 2020 The impacts of the Covid-19 crisis on global energy demand and CO2 emissions,IEA,April 2020
文部科学省科学技術・学術審議会資源調査分科会(第35回)配布資料9 平成25年4月5日

【目次】

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