その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は水嶋玲以仁さん、天白由都さん、深瀬正人さんの『 2030年の営業 営業の知×AIで生き残る 』です。

【はじめに】――なぜ、「2030年の営業」を考えるのか

2030年に訪れる危機

 営業やマーケティングをはじめとした“顧客に接する仕事”は素晴らしいものです。外資系IT企業で長年トップセールスの座にある筆者の知人は、営業という仕事をこう表現しました。

 「お客様が、もともとは欲しいとも思っていなかったモノの魅力に気がついて、ぜひお金を払いたいというほどまで心が動いて、そしてその金額以上の価値を感じ続けて、果てには感謝をしてくれるなんて、すごいことじゃない?」

 彼女は複雑なテクノロジー製品を取り扱う営業ですが、他の製品を扱う営業でも、苦労して積み上げた数字に誇りを感じたり、商品を手渡したときの顧客の笑顔に胸が熱くなったり、さまざまな形で“自分の仕事の意味”を直接肌で感じられる瞬間があるはずです。分業化が進み、社会が複雑化したいま、多くの仕事が「社会にもたらす価値」を見失いがちになっている中で、営業という仕事は、顧客に直接価値を届ける数少ない“実感を伴う仕事”であり、本来は特権的といってよいほど尊い手応えのある仕事であるはずなのです。

 しかしながら、現実の営業現場では、その本質的な素晴らしさとは裏腹に、多くの営業パーソンが苦悩とプレッシャーの中で業務を“こなして”いるのが実態です。数字を背負う精神的な負担は大きく、若年層を中心に「営業はやりたくない仕事」と見なされつつあります。採用も定着も進まず、人手不足は深刻化の一途です。
 その背景には、営業という仕事が成果と密接に結びついているがために、失敗や停滞が個人の責任として強く跳ね返ってくるという構造的な問題があります。この問題は「手応え」という素晴らしさと表裏一体であり、営業の仕事とは切り離せないことが現場の悩みをより深くしています。
 そして、これらの問題は今後さらに深刻化することが予想されます。2030年には、日本の人口の約3分の1が高齢者となり、これまで営業を支えてきた世代が大量に退職を迎えます。組織に蓄積されてきた“営業のノウハウ”はごっそりと失われ、若手は育ちにくい。そうした状況は、経営に対して致命的ともいえる課題をもたらします。キャッシュを生む営業が弱体化することは、やがて未来への投資を減速させ、長期的には新しい価値が提供できなくなり、企業として社会に求められなくなる、そんな事態へと発展する危険すら孕(はら)んでいるのです。

 そんな状況に対して、AIを導入して空白を埋める、という議論も多く見られるようになってきました。営業を“自動化”し、“省人化”することが、あたかも次代の解決策のように語られ始めています。AIという概念は決して新しいものではありません。AIはかねて「一定のインプットに対して、一定のアウトプットを返す」存在、つまり業務の一部を自動で処理する自動化ツールとして期待を集めてきました。
 しかし近年、AIは急速に「自律化」へと進みつつあります。自律化とは、あらかじめ定められた手順に従うのではなく、自ら目的に照らして最適な処理を考え、実行する能力を指します。この変化によって、曖昧な問いを具体化したり、繊細な機微をくみ取ったコミュニケーションを行ったりといった、人間にしかできないと考えられてきた領域にまで、AIが踏み込めるのではないかという期待が高まっています。
 営業という仕事も、もはや「ヒトにしか務まらない聖域」ではなく、むしろ人手不足などの背景から、積極的にAI化を進めるべき領域とすら見なされつつあるのです。

 けれども、本当にそれでいいのでしょうか?

 我々は、営業という仕事をAIに委ね切ってしまう未来に、違和感を抱いています。そしてこの違和感は、単に我々が未来から見て「前時代的」だから生じているわけでもないと考えます。営業が「顧客に価値を手渡す」仕事である以上“ヒトらしさ”が生む価値とは切っても切り離せないはずなのです。
 こうした“ヒトらしさ”を持たないAIに営業の仕事を代替させていけば、すぐに「再現性のある成果」が生まれるかもしれません。しかしそれは、“再現しかできない組織”になってしまうということでもあります。つまり、あるタイミングから先、発揮できる価値は再生産を繰り返すだけになり、未来の顧客に新たな意味を届ける力を失ってしまうかもしれないのです。
 私たちが本書で提案したい“2030年の営業”とは、そうした「縮小均衡」に入る未来とは異なる道を描くことです。

もはや営業だけでは、問題は解決できない

 では、そのような“2030年の営業”を描き、導く役割を誰が担えるのでしょうか。我々グローバル・インサイトのメンバーは、コンサルティングやアドバイザリー活動を通じてBtoBからBtoC、日本を代表する大企業からベンチャー企業まで、さまざまな営業組織の支援を行う過程で、次のような現場の声にたびたび出合ってきました。

 「成果を特定の個人に依存しており、仕組みに残らない」
 「現場のすれ違いが、そのままお客様の違和感につながっている」
 「何が正しい営業なのか、誰も確信を持てないまま手を動かし疲弊している」

 しかし、個々の現場を精査しても、そこに問題の“原因”はほとんどありませんでした。営業担当者たちは真剣で、勉強熱心で、忙しく数字を追う合間を縫って時間を捻出し、現状をどうにかするためにあらゆることを試みていました。
 それでもなお問題が解決されないのは、営業の問題が、実は「営業現場だけでは解決できない種類の問題」だからではないか。むしろそれは、経営というレイヤーにある課題として引き受けられるべきなのではないか─そんな仮説が、私たちの中に生まれてきたのです。
 では、経営は何を引き受けるべきなのか?
 それは、営業という仕事に眠っている「知」を、組織の資産として扱うことです。属人的に見えるあの営業の判断の中にこそ、組織の戦略性や顧客理解が凝縮されている。そうした知を、ただの個人技として放置するのではなく、経営の意思と組織の構造の中に回収していくこと。それが、営業を強くし、会社を持続可能にしていくために不可欠なのではないかと、私たちは考えます。

本書のアプローチ

 なぜ営業は時として組織の中で孤立し、敬遠されるような存在になってしまうのか。
 なぜ、経営はこうした営業の状況を諦めて放置してしまいがちなのか。
 どうやったら、組織に学びの記憶や成功の仕組みを定着させることができるのか。

 この本は、そうした問題意識を出発点として、「営業の知とは何か」「それをどうすれば経営資源と位置づけられるのか」「AIという画期的な技術を営業とどう接続できるのか」について描いていくものです。
 いわゆる営業本やコンサル本とは異なり、この本には「こうすれば売れる」「必勝法」といった他人の営業ノウハウや、「営業にAIを導入するための10ステップ」といった即効性のありそうなフレームワークは含まれていません。
 代わりに、「営業の知」「組織としてのヒトらしさ」をキーワードに、「どうやってその会社らしさを活かしながら、営業における学びを持続的に組織の記憶として蓄積できるのか?」ということを、順を追って検討する形をとっています。
 ひとつめのキーワードである「営業の知」とは、顧客との対話や試行錯誤を通じて現場に蓄積される、個別具体でありながら本質的な判断の知恵です。この知を看過せず、経営資源として扱うことこそが、属人化の限界を超え、営業組織を持続可能なかたちで再生していく第一歩となります。
 もうひとつのキーワードである「組織としてのヒトらしさ」とは、判断やふるまいの中に一貫してにじみ出る、その組織特有の気風や“人間らしさ”を指します。そしてこのヒトらしさは、一貫した「思考の癖」という背景となり、ある組織でどのような「営業の知」が育ち、どのように意味づけられ、組織に定着していくかを決定づける土壌です。
 AIの進化によって再現性のある業務は加速度的に代替されていきますが、「営業の知」と「ヒトらしさ」が織りなす組織固有の判断や価値創出は、依然としてAIには模倣できない領域です。だからこそいま、これらを改めて言語化し、戦略的に位置づけていくことが、AI時代における営業の未来を構想する鍵となるのです。

 第1章「いま、営業組織で起きていること」では、営業という職種に特有の構造的な課題を整理しながら、「うまくいっていない理由」が現場の中ではなく、構造そのものにあることを明らかにします。
 第2章「『営業の知』とは何か」では、属人性の中に宿る“知”をどのように見出し、言語化し、再利用可能なかたちに整えるかを、「4つの力」への構造分解と百貨店業界の比較を通じて探ります。
 第3章「『営業の知』を手にするということ」では、営業の知の背景にある「組織としてのヒトらしさ」こそが、企業にとって競争優位性を獲得するための重要な経営資源であること、そしてその獲得や活用にはAIを含めた現代的手段が不可欠であることを論じます。
 第4章「どのようにして『営業の知』を手に入れられるか」では、三井住友カード、ソフトバンクグループ、NECという3社の事例を通じて、実際に「営業の知」を組織で活かしていく具体的な方法と成功要因を明らかにします。
 第5章「2030年の営業、2030年の経営」では、AIが営業組織に変化を要請する中で、「ヒトが担うべき役割」を再定義し、営業の未来像と「優秀な人材を価値創造に向かわせる」ために経営がなすべき仕事について提案します。

 本書の中盤では、3社の取り組みを当事者のインタビュー形式で紹介しています。これは単なる事例紹介ではありません。経営者自身が「営業の知」を捉え直し、それをAIと組織に接続することで未来を構想しようとしている、“生きた問い”の連続です。日本的なメンバーシップ型雇用という土壌の中で、知がどう根を張り、どう変化していくのか─その過程に、読者の皆さんにもご自身の組織を重ねていただければと思います。

 我々執筆陣は、いずれも営業・マーケティングの実務者であり、支援者です。悩める一当事者であるゆえに、経営に携わる読者の目から見て「これはさすがに営業贔屓だ」と思われてしまう一節もあろうかと思います。もしそうであるとしたならば、我々の心の奥底にある「営業という仕事はもっと贔屓されるべきだ」という思いがにじんでしまっているのでしょう。それは単なる現場称賛ではなく、「価値の最前線で、何が起きているか」に経営が向き合わなければ、未来は切り拓けないと信じているからです。

 2030年の営業。このタイトルに読者の皆さんはどのような姿を重ねているでしょうか。遠いようですぐそこにある、2030年という未来に向けて、選択はすでに始まっています。悩んだまま立ちすくむのではなく、この本とともに次の姿を探っていただけること、そしてその姿に少しでもこの本が変化をもたらすことができることを願っています。

【目次】

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