その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はピエール=イヴ・ドンゼさんの『 ロレックス、ヴィトン、ポルシェ…成功するブランドが大切にしている「ヘリテージ」とは何か 』です。

【はじめに】

 日本企業は、自社の製品やサービスの付加価値をこれまで以上に大幅に高めなければならない状況に直面している。
 長らく日本の「ものづくり」の哲学と結びつけられてきた「安くていいモノ」というコンセプトは、少なくとも三つの理由から通用しなくなってしまった。
 第一の理由はインフレである。バブル崩壊以来、日本は30年近くにわたりデフレを経験してきたが、2022年からインフレ期に入り、今日に至るまで物価上昇率が3%前後で推移している。人材確保の難しさによる賃金の引き上げ、エネルギー価格の高騰などにより、生産コストは大幅に上昇した。コスト上昇を相殺するためには、商品やサービスの販売価格を引き上げることが不可欠となっている。
 第二に、新たな常態となりつつある円安がある。一見すると、輸出を後押しし日本へのインバウンド観光を刺激するという有益な面もあると思われるが、こうした利点はその悪影響によって大部分が帳消しにされている。円安は輸入インフレと生産コストの上昇を助長し、日本の家計の購買力を大きく引き下げてしまった。
 最後に、企業経営を超えた要因として、日本の社会構造の変化がある。円安とインフレにより実質賃金が継続的に低下し、特に中産階級の購買力に悪影響を与えている一方で、富裕層は金融市場の上昇を背景に資産を増やしている。これは消費の低迷だけでなく、政治的ポピュリズムまで助長しかねない問題を引き起こしている。

 「安くていいモノ」のコンセプトに支えられた事業モデルは、松下電器(現パナソニック)のラジオ、セイコーの腕時計、トヨタの自動車などを生み出し、世界市場を席捲した。ここから、どのようにして新しいモデルへと転換すればいいのだろうか。
 本書は、高付加価値経営の代表例である欧州のラグジュアリー企業を題材に、モデル転換の手がかりを探っていく。

高い付加価値を創出するために必要なもの

 ラグジュアリー産業は欧州経済の柱となっている。2026年3月の時点でフランスにおける時価総額の上位3社はすべてラグジュアリー企業である(LVMH、エルメス、ロレアル)。他の欧州諸国においてもラグジュアリー企業の存在感は極めて大きい。イタリアのフェラーリ、プラダ、モンクレール、スイスのリシュモン、ドイツのBMWやメルセデス・ベンツ、スペインのプイグといった企業は、いずれも業界をリードしている。ラグジュアリーはニッチな事業ではなく、現代の欧州における経済的価値の源泉なのである。
 さらに、ラグジュアリーブランドの多くは古く長い歴史を持つものの、それらを所有する企業は新しいビジネスモデルを採用している。1970年代から80年代にかけて、欧州の製造業は日本および他のアジア諸国のライバル企業に対して競争力を失った。これは深刻な危機を招き、例えばフランスやドイツではアパレル産業の崩壊につながり、スイスでは時計産業がほぼ消滅しかけた。コスト競争が持続不可能となったため、欧州企業は価値の創造方法を再構築せざるを得なくなった。その結果、技術的な卓越性だけでなく、ナラティブ(物語)や体験を中核とする戦略が生まれた。
 顧客は、機能性や価格だけで製品を購入するのではなく、プロダクトが体現する「意義」のために購入する。そのため、製品を「文化的資産」へと変容させる必要がある。それを可能とするのが、本書で論じる「ヘリテージ戦略」である。

 欧州のラグジュアリー企業と日本企業の営業利益率を比較すると、顕著な違いが見て取れる(表0・1)。収益性が極めて高いエルメスを除くと、ほとんどの欧州のラグジュアリー企業は24%から14%の範囲である。2023年以降、中国市場での消費の鈍化により収益性はわずかに低下しているものの、水準は依然として高い。一方で、欧州でもスウォッチグループのように大量生産への志向が強い企業は利益率が低い。
 日本企業では、ハードウェアとソフトウェアに文化資産の活用を組み合わせる任天堂の例を除けば、多くの大手製造業は営業利益率が15%を下回っている。ただし、欧州のラグジュアリー企業との格差は、効率性の問題というよりも価値創造に対するアプローチが異なるからだと解釈できる。

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なぜ日本企業にとって重要なのか

 欧州のラグジュアリー産業で培われたメカニズムは、ラグジュアリーだけに限定されるものではない。幅広い産業に適用できる普遍的な原則がここにはある。
 問題は、日本企業がラグジュアリーブランドになるかどうかではなく、欧州のラグジュアリー産業の根底にある原則をどう生かすかだ。「ラグジュアリー」は、特定のビジネスモデルというよりも、価値を形成し高めるためのアプローチとして理解されるべきである。製品やサービスを「意味の担い手」へと変容させ、首尾一貫したナラティブを構築し、その独自性を長期にわたり維持する。こうしたメカニズムは高級品に限定されるものではなく、様々な形で幅広い業界に応用することができる。
 ラグジュアリーのアプローチでは、ブランドストーリーの構築、無形資産(特にブランドの歴史)の管理、そして長期にわたるポジショニングの一貫性を重視する。また、コスト競争力や技術的な差別化に依存するのではなく、製品の「独自性」を強化することで価格決定力を保持する。さらに、デザインやコミュニケーション、流通を統合し、顧客とのあらゆる接点でその価値を伝えることが重要になる。
 こうした原則は、日本企業にすでに深く根付いているものと共鳴する。職人技へのこだわり、ディティールへの配慮、品質に対する長期的な取り組みは、ヘリテージ戦略を構築するための強固な基盤となる。つまり、日本企業に必要なのは、全く新しいモデルを採用することではなく、新しい視点で既存の強みを再解釈することにある。この意味でも、ラグジュアリーは単なるビジネスモデルではなく、価値創造の手法だといえる。

本書の構成と注意点

 ただし、落とし穴もある。従来のブランディングでも、顧客に自分たちのストーリーを伝えることは重要だと考えられてきた。そのストーリーは、往々にして創業からの「年代記」になりがちだ。歴史は不可欠なものだが、人々は年代記を読みたいわけではない。また、「ブランドのDNA(遺伝子)」にも注意しなければならない。経営者はブランドのDNAがどこかに存在し、それを見つけて提示することがブランディングだと誤解してしまう。しかし、それでは顧客を惹きつけるには不十分である。
 こうした落とし穴を回避するためには、本書の第1部(第1章および第2章)で解説する「ヘリテージとは何か」を理解する必要がある。ヘリテージとは、単なる歴史に裏打ちされた伝統ではなく、「発明された伝統」であり、その一貫性が何よりも重要になる。
 第2部(第3章から第8章)では、ロレックス、ルイ・ヴィトン、シャネル、ジョルジオ アルマーニ、エルメス、ポルシェなど、誰もが知るブランドを例にヘリテージ戦略が多様な形をとることを掘り下げていく。そして第3部(第9章および第10章)では、グッチやバレンシアガといったヘリテージの一貫性を欠いた例や、H&Mやアウディのようなラグジュアリー以外のヘリテージ戦略も紹介する。これらのケーススタディにより、日本企業にとってヘリテージ戦略を構築する道筋が見えてくるはずだ。

 日本企業は、「失われた30年」を経て自信を失っているようにも見える。だが、その品質や技術はいまだに一流である。それらを基盤としながら、どのようにして高い付加価値の創出を実現すればいいのかを、「ヘリテージ戦略」を軸に明らかにしていこう。


【目次】

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