その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はジュリアーノ・ベネンティ、ジュリオ・カサティ、シモーネ・モンタンジェロ(著)、森弘之(訳)の『 量子革命 量子コンピュータからネット、ハード、AIまで―すべてを変える新技術 』です。
【はじめに】
あらゆる革命は、一つの単純な問いから始まる。
「もし不可能が可能になるとしたら」
より高性能で高速なコンピュータを生み出そうとする競争により、半導体の微細化は驚くべき速さで進んできました。その結果、今日のコンピュータは、加算や乗算などの基本的な演算を、1秒間に百兆のさらに百万倍回も実行できるほどの性能を備えています。しかし、微細化を無限に続けることはできません。トランジスタはますます小さくなり、いまや原子の大きさに迫りつつあります。ここから先は量子力学の世界であり、そこでは物体はもはや古典物理の法則には従いません。現在の計算の仕組みのままでは、コンピュータは動作しなくなってしまうのです。
私たちは、乗り越えることのできない壁に直面しています。この壁を越えるためには、計算の戦略を根本から変える必要があります。すなわち、古典的な論理ではなく量子の論理に従って動く、新しいタイプのコンピュータ、量子コンピュータを作るのです。これは単なる技術の改良ではありません。コンピュータがどのような論理で計算するのか、そして情報をどのように処理し、伝えるのかという、計算の基本的な考え方そのものを変える、パラダイムの転換なのです。
本書の冒頭の二つの章で紹介するこの魅力的な可能性は、実は古典と量子のごく単純な違いに基づいています。古典的な情報の基本単位であるビットは、「0」か「1」のどちらかの状態しか取れません。一方、量子コンピュータの基本単位である量子ビット(キュービット)は、「0」と「1」のあらゆる組み合わせの状態を取ることができます。古典ビットを白か黒のどちらかにしかなれない物体だとすれば、量子ビットはあらゆる濃さの灰色になれる物体のようなものです。
量子コンピュータは、この驚くべき柔軟性によって、どれほど高性能な古典コンピュータであっても到底実現できないような可能性を持つことになります。未来の量子コンピュータは、現在の最も強力なコンピュータでも何百万年もかかる計算を、わずか数秒で実行できるかもしれません。これは遠い未来の話ではなく、私たちが近い将来に目にする可能性のある現実なのです。
コンピュータ、すなわち情報処理の世界で進行しているこの革命は、情報の伝達、つまり通信の世界にも力強く広がりつつあります。現在では、メッセージや写真、動画はすべて、電磁波に乗って地球上のある場所から別の場所へと届けられています。携帯電話同士の通信も、大陸をまたぐ通信も、その基本的な仕組みは同じです。こうした通信は、古典物理学の枠組みに基づいています。
しかし、遠くない未来、この仕組みが量子力学に従う存在である「光子」に置き換えられるかもしれません。光子は電磁波の最小単位であり、質量をもたず、光の速さで空間を伝わりながらエネルギーを運ぶ粒子です。この電磁波から光子へのパラダイム転換は、大きなメリットをもたらします。特に重要なのは、通信の途中でメッセージを盗み見たりコピーしたりすると、必ずそれが検出されてしまうという点です。つまり、情報伝達の仕組みを、安全性があらかじめ組み込まれた新しい基盤の上に作り直すことができるのです。
結果として、外交上の機密通信がこれまでにないほど厳重に守られるだけでなく、クレジットカードの利用といった日常的な取引でさえ、これまでにない高い安全性を実現できるようになります。この分野の進歩は非常に速く、量子プロトコルに基づいて大陸間の暗号通信が行える初の人工衛星は、2017年に中国によって打ち上げられました。第3章では、このように量子力学が通信のルールを書き換えていく様子を詳しく見ていきます。
本書の最後の二つの章では、量子コンピュータや量子通信のさらに先にある、驚くべき未来へと目を向けます。この新しい段階では、量子センサーと呼ばれる技術が登場し、これまで想像もできなかった可能性が開かれます。第4章では、この量子センサーの世界に踏み込みます。これらのデバイスは、活動中の火山が生み出すごくわずかなエネルギーの変動や、病気にかかった細胞が発するごく微細な信号までも感じ取ることができるほど高い感度を持つ装置です。
こうした技術は、すでに医療などの分野に変革をもたらし始めています。たとえば、現在の技術では見つけることができない段階で病気を検出できる可能性があります。応用範囲は広く、その潜在力は非常に大きいものです。私たちが世界を観測し、関わり、守る力は、今はまだ想像しかできない形でこれから大きく高められていくでしょう。
前世紀の1940年代から50年代にかけて最初のコンピュータが登場したとき、それらは巨大な金属製の装置であり、水素爆弾の開発のような大規模な用途にしか使えないものだと考えられていました。これほど身近な存在になるとは、ほとんど誰も想像していなかったのです。しかし現在では状況は一変し、ほとんどすべての人がコンピュータや携帯電話を持っています。これらの機器は、私たちをつなぎ、情報を与え、楽しませてくれます。インターネットというデジタルの海の深淵から、ソーシャルメディアの渦巻く潮流に至るまで、テクノロジーは私たちの生活に欠かせないものになっています。
そして今、量子コンピュータの初期の試作機が登場し、新しい計算の時代の幕開けを告げています。その実現までの道のりは、複雑で困難な課題に満ちていますが、世界中の有力大学から多国籍企業、機動力のあるスタートアップに至るまで、多くの研究と投資がこの革命を後押ししています。
この技術革新がどこへ向かい、私たちの日常生活にどのような影響を与えるのかを正確に予測することは難しいでしょう。しかし、気がついたときにはすでに大きな変化が起きている、ということは十分にあり得ます。未来はまだ白紙ですが、そこには量子技術による新しい変化が書き込まれ始めています。現在のコンピュータでは扱いきれないほどの膨大なデータが日々生み出されている分野は数多くあります。量子コンピュータは、そのようなデータを効率よく解析するための強力な道具となるかもしれません。さらに将来、量子通信ネットワークが整備されれば、それが発展して「量子インターネット」へとつながっていく可能性もあります。
量子コンピュータの発展は、今後ますます人工知能の発展と密接に結び付き、新たな飛躍の可能性を切り開いていくと考えられます。しかしその一方で、私たちの社会の価値観の基盤をなしている「自然」と「人工」の境界をめぐって、新たな倫理的な問題も浮上するでしょう。
私たちは、そのような発見や技術が持つ意味を、専門家だけでなく誰もが理解できる形で伝えることが科学者の責務であると考えています。本書を手に取っていただいた皆さんに向けて本書を執筆したのも、まさにその信念によるものです。
G.ベネンティ
イタリア・インスブリア大学理論物性物理学教授
G.カサティ
イタリア・インスブリア大学名誉教授・理論物理学者
S.モンタンジェロ
イタリア・パドヴァ大学理論物理学教授
日本語版に寄せて
量子コンピュータは、現在の最高性能のスーパーコンピュータでも解くのに数百万年かかる問題を、わずか数秒で解いてしまうかもしれません。これはSFではありません。量子技術によって実現しつつある新しい現実です。
この革命の中心にあるのは、世界をまったく新しい視点で捉える考え方です。そこでは、確実性は確率へと置き換わり、粒子同士は離れていても不思議なつながりを保ち続けます。かつては抽象的な理論にすぎないと思われていたこれらの概念は、今では強力な技術へと姿を変えつつあります。
本書では、量子物理学が研究室を飛び出し、現実社会でどのように活用され始めているのかを紹介します。計算の世界を一変させる可能性を秘めた量子コンピュータ、事実上解読不可能な安全性を実現すると期待される量子暗号、そして自然界のごくわずかな変化さえ検出できる超高感度センサーなど、量子技術は、私たちが「可能」と考える範囲そのものを書き換えようとしています。
私たちは今、新しいテクノロジーの時代の入り口に立っています。その前には大きな課題が待ち受けていますが、それと同じくらい大きな可能性も広がっています。
本書は、専門知識がなくても理解できるように、わかりやすく興味深い語り口で量子の世界を案内します。そして、その奇妙でありながら魅力に満ちた法則が、科学や技術、さらには私たちの日常生活をどのように変えようとしているのかを明らかにしていきます。
G.カサティ
【目次】





