その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は宮本善和さんの『 日本版ネイチャーポジティブの探求 英国最新の生物多様性ネットゲインの実践例に学ぶ 』です。「プロローグ」をお届けします。
【プロローグ】
わたしが生物多様性ネットゲインのサイトを巡る英国の旅をしたいと思ったのは、2枚の写真を見てからである。ある英国企業のウェブサイトにあるその写真には、草原が連なるイングランドの田園風景が、草木の生い茂る原野や池沼、湿地へと変わっていくビフォー・アフター(Before and After)の姿が映っていた。衝撃であった(資料1)。多くの日本人が美しいと感じ、憧れてきたイングランドの牧歌的な田園風景が、多様な生き物が生息・生育する野性的な自然に還っているのである。目を疑った。
世界各国で自然の損失を食い止め、再興するネイチャーポジティブという国際合意に向けて様々な取り組みが進んでいる。そのような中、英国ではネイチャーポジティブの実現に向け、生物多様性が劣化した集約農業の農地などを民間企業が自然再生し、高まった生物多様性をユニットとして販売し、土地所有者にも収益をもたらすビジネスが盛んになっている。これは、英国のイングランドで2024年に始まった「生物多様性ネットゲイン(BNG:Biodiversity Net Gain)」という制度によるもので、世界から注目されている。この制度では、住宅開発などの開発行為を行う場合、開発後には開発前よりも生物多様性を10%以上高める必要がある。開発地で生物多様性を高められない場合には、他の土地(オフサイト)の生物多様性ユニットを購入しなければならない。そのため、生物多様性が劣化した土地、中でも生産性が芳しくない農地などを対象に自然環境を再生するビジネスが成立してきている。
わたしは大学の研究者として、日本で増え続ける放棄農地を生物多様性が豊かな自然環境に再生する方法論の研究開発をしている。営農が困難で放棄された農地において、土壌が湿潤かもしくは乾燥しているか、どのような環境に隣接しているかなどの環境ポテンシャルを読み解き、草刈りや植樹などの人為的な働きかけがどの程度できるか、さらには、社会的条件として考慮すべき事項は何かを考え合わせることで、10種類のハビタットタイプを選択して自然再生ができる手法を開発している。そして、その社会実装にも取り組んでいる。そのような中、イングランドでは、生産性が低い農地を自然に還す取り組みをビジネスと絡めて先駆けて実践しているという。2025年の初秋、わたしは羽田空港を後に、研究室の学生2人を連れて英国へ飛んだ。英国の生物多様性ネットゲインによる自然再生の現場を巡る探求の旅のために(資料2)。
現地で調査した7つのサイトはそれぞれ特徴的で、驚きの連続であった。宅地を開発しながらも生物多様性を高める住宅開発、大型ドローンが生み出す野花が咲き乱れる草原、絶滅したビーバーが造り出す池沼と湿地とアグロフォレストリー、かつての泥炭地の再湿潤化が生み出すカーボンクレジット、窒素やリンなどの栄養塩を低減する草原管理、小さな自然工法の組み合わせによる自然洪水管理など、様々である。日本との社会的背景や自然環境の違いなどを差し引いても、日本のネイチャーポジティブやグリーンインフラを考えるうえでとても示唆に富んでいた。
本書は、ネイチャーポジティブとは何かという問いかけから始め、英国の生物多様性ネットゲインについて解説するとともにその現状を記している。そして、2025年9月末~10月初旬の英国での現地調査で訪ねた7つのサイトを写真とともに紹介し、その旅で得た多くの学びから、日本でのネイチャーポジティブについて思考している。さらに、日本のネイチャーポジティブのキードライバーとなり得ると考えている放棄農地の自然再生の手法についても解説している。
昨今、ネイチャーポジティブへの関心の高まりとともに、ネイチャーポジティブに関する図書は多く出版されている。例えば、土木研究所の中村圭吾氏の「建設ネイチャーポジティブ これからの土木・建築ビジネスの必須教養」や、東北大学の藤田香氏の「ESGとTNFD時代のイチから分かる生物多様性・ネイチャーポジティブ経営」などは好著であろう。しかし、英国の生物多様性ネットゲインによって自然再生が実装されている様々な現場を調査して紹介した図書は類がない。また、英国の調査で得た数々の学びを手掛かりとして、開発やインフラ建設で失われてきた日本国土の自然環境を再生するため、マーケットをつくりながらネイチャーポジティブを加速する具体的な処方箋を提案した図書は本書の他にはないと思う。日本のネイチャーポジティブの取り組みについて活発な議論の導火線となれば幸いである。
さらに付け加えると、近年増え続ける放棄農地の環境ポテンシャルと社会的条件などを考慮して、自然再生する技術的アプローチを体系的に説いたのも本書が初めてである。日本の食料自給の現状を考えると、持続的な営農が望ましいことは論を待たないが、営農できなくなったのであればその農地を見放すのではなく、良い状態の自然環境に再生して、潜在的な多面的機能を様々に発現させた上で、感謝の念をもって山野に還すべきではないかと考える。放棄農地の自然再生は、実は全国各地で見られるのだが、まるでタブー視されるように、その技術の体系化に誰も正面から取り組んだことはなかった。英国の事例に見るように、それは農業経営にとってもポジティブな行為であり、日本のネイチャーポジティブのキードライバーとなり、地方創生や環境学習に貢献し、洪水緩和や栄養塩の低減などのグリーンインフラとしても有効に機能する。タイプによっては脱炭素にもつながる。放棄農地に光を当てて、日本のネイチャーポジティブにつなげていきたい。
本書は、自然再生の研究に取り組む研究者、環境保全や国土保全、農林業の実務に取り組む行政機関や建設コンサルタント、ネイチャーポジティブに取り組む民間企業の関係者などに参考となる内容を盛り込んでいるが、一般の読者にも読んでもらえるよう、探求の旅の紀行文を交えて、技術的な内容も平易な言葉で分かりやすく書いたつもりである。ぜひ、ネイチャーポジティブを巡る探求の旅、そして日本のネイチャーポジティブに向けた思考の旅をお楽しみいただきたい。
2026年 夏
宮本 善和
【目次】





