その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はブルース・シュナイアー(著)、高橋聡(訳)の『 ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか 』です。

【はじめに】

よく言うじゃないか、水は坂をのぼらないって。これまでも、これからもそうさ
でもそこに大金をつぎ込むと自然法則にだって穴があくんだ。水も坂をのぼるようになる

――「水は坂をのぼらない1」、ジム・フィッティング(セッション・アメリカーナ)


 アンクル・ミルトン・インダストリーズという会社が、1956年からアリの飼育キットを販売している。2枚の透明なプラスチック板を3センチほどの間隔で立てて、両脇をふさぎ、上面は開閉できるようにする。そこにできた幅の狭い空間に砂を入れ、アリを放つ。そうすると、アリがトンネルを掘るところを観察できる。

 キットにアリは含まれていない。店頭に置いてあるあいだアリを生かしておくのは難しいだろうし、ひょっとすると昆虫とおもちゃについて、子どもの安全に関する規制があるのかもしれない。かわりに、キットに入っているカードに住所を書いて送ると、試験管に入ったアリが送られてくる。

 このカードを見たとき、たいていの人は、企業が試験管入りのアリを送ってくるという事実に驚く。私が初めて同じカードを見たときに考えたのは、こういうことだった。「だったら、この会社から、誰にでも生きたアリを送りつけられるじゃないか」

ハックとはいったい何か?

 セキュリティ技術者というのは、普通の人とは違う目で世界を見ようとするものだ。ある制度やしくみ(システム)を見たとき、普通の人はそれがどう機能するかに注目する。セキュリティ技術者は、どうすればシステムの機能を頓挫させられるかに頭を絞る。そこから、本来とは違うシステムの動作を引き出し、できないはずのことを実行させる。そうした動作を利用して、なんらかの利を得ようとするのである。

 これが、ハックだ。システムの目的や意図を損ねる、それでいてシステムで許容される行為である。アンクル・ミルトンのシステムを使って、欲しがってもいない誰かに試験管入りのアリを送りつけるようなことだ。

 私は、ハーバード・ケネディ・スクールでサイバーセキュリティ政策を教えており、第1回の授業の終わりには、次の授業でテストがあるといきなり予告することにしている。円周率の最初の100桁を空(そら)で書くというテストだ2。学生には、こう告げる。「不規則な100桁の数字を二日間で暗記するなんて現実的でないことは承知しています。ですから、ぜひカンニングしてください。ただし、見つからないように」

 二日後、教室は騒然とする。新しいカンニングの手口など思いつかない学生が大半だ。紙片に数字を書き込んで、どこかに隠し持つ。あるいは、100桁を読み上げる自分の声を録音しておき、耳に入れたワイヤレスイヤホンをどうにかして隠そうとする。だが、なかには独創性を発揮する学生もいる。ある学生は、目に見えない特殊なインクを使って答えを書き、それが見えるメガネをかけていた。数字を中国語で書いた学生もいる。私には読めないからだ。また、100桁をビーズの色で符号化し、ネックレスにして首にかけてきた学生もいる。別の学生は、最初と最後の数桁だけ暗記して、残りは適当な数字を書いてきた。私の採点が甘いことを期待したのだろう。私が気に入ったのは、数年前にあったハックだ。たしか、ジャンという学生だったと思うが、ただ数字を順番に書き連ねていくだけだった。ところが、それがとてもゆっくりなのだ。提出したのも最後だった。私はその様子をじっと観察していたが、何をやっているのか見当もつかなかった。まわりの学生も、注目していたと思う。「まさか、暗算で無限級数を求めているのか?」とも考えたが、そうではなかった。プログラムを組んだスマートフォンをポケットに入れておき、バイブレーションのパターンで数字をモールス信号にしていたのだ。

 この授業では、なにも不正行為を推奨しているわけではない。正真正銘の不正行為があったらハーバードでは退学ものだ、と学生には繰り返し伝えている。私が教えたいのは、サイバーセキュリティをめぐる社会政策を進めようとするなら、不正をはたらく人の考え方を身につけろということだ。ハッキング思考を養うべきなのである。

権力者はハックを使って富と力を増やす

 本書で語るのは、ハッキングの話だ。ただし、映画やドラマ、報道記事で描かれる姿とはかけ離れている。コンピューターのハッキング方法や、コンピューターハッカーから身を守る対策を教えるわけでもない。本書に登場するのは、特定の世界に根強く残っているもの、本質的な人間性に関わっているもの、コンピューターの発明よりはるか昔から存在するものだ。金と権力の絡んでくる話である。

 子どもは根っからのハッカーだ。ルールも、その趣旨も十分には理解していないから、本能のようにハッキングする(人工知能も同じだ。第7部で取り上げる)。だが、その点では金持ちも変わらない。子どもや人工知能と違って、ルールや事情は理解している。にもかかわらず、子どもと同じように、金持ちの多くはルールが自分たちにも当てはまるということを受け入れない。あるいは、少なくとも自分たちの利益のほうが優先されると、当たり前に思っている。その結果、金持ちはいつの世にもシステムをハッキングするのである。

 私が語るハッキングとは、暇に飽かしたティーンエイジャーや敵対国の政府がコンピューターシステムに対して行うことではないし、道徳心に欠けた学生が勉強イヤさにすることでもない。権力から遠い人々による反体制の行動でもない。それよりもハッカーが目をつけそうなのは、ヘッジファンドを狙い、金融規制の抜け穴を見つけて、システムから少しでも多くの利益を引き出そうとすることだ。ハッカーは企業のオフィスにいるかもしれないし、公職に就いているかもしれない。政治的なロビイストの仕事でもハッキングは欠かせない。ソーシャルメディアのシステムが私たちをひき付けるときにも、ハッキングは使われる。

 私が語るハッキングは、裕福な権力者がする行為、既得の権力を強化する行為だ。

 ピーター・ティールの例をあげよう。1997年の法律でロスIRAという個人退職勘定が成立した。対象としては中流の投資家が想定されており、収入水準にも、投資できる金額にも制限がある。ところが、億万長者のピーター・ティールはそこにハックを見いだした3。ペイパルの創業者のひとりだったので、2000ドルを投じて、同社の170万株を1株あたり0.001ドルという格安の価格で購入することでロスIRAの投資制限を回避し、株価が50億ドルになったとき、その全額にまったく税金がかからなかったのである。

 強大な企業の私利私欲からも、富裕層の貪欲さからも、政府は私たちを守ってくれない。そう感じることが多い理由の手がかりはハッキングにある。国家権力を前に私たちが無力感を抱く理由も一部は同じだ。ハッキングは、裕福な権力者が規則を出し抜いて富と権力を増やす手段になる。権力者は斬新なハックを見いだそうとし、ハックからずっと利益を得られるよう努める。重要な点はここだ。裕福な権力者は、ハッキングに長(た)けているわけではない。ハッキングしても、罪を問われることが少ないだけだ。それどころか、権力者のハックが、社会のしくみのなかで当たり前になることも多い。そうなったものを修正するには、制度を変えなければならないが、それは難しい。制度を支えている指導者こそが、不正によって私たちを不利に追いやる当の本人だからである。

社会はハッキングを通じて発展する

 システムはすべてハッキングできる。今まさにハッキングされているシステムも多く、しかも事態はどんどん悪くなっている。ハッキングを抑える術(すべ)を習得しなければ、私たちの経済、政治、社会システムは崩れはじめる。システムが当初の目的を十全に果たせなくなり、システムに対する信義と信頼が失われていくからである。すでにそうなりかかっている。ピーター・ティールが資本利得税の10億ドルを支払わないまま無事でいられると聞いて、どうお考えだろうか。

 一方、これも紹介していくが、ハッキングは有害なものばかりではない。正しく使いこなせば、ハッキングを通じてシステムは進化し、良くなっていく。そうやって社会は発展する。もう少し具体的にいうと、そうやって人は、それまでのシステムを完全に破壊することなく社会を前進させていくのである。ハッキングは、世の中を良くする力になりうる。大切なのは、良いハックを後押ししつつ、同時に悪いハックに歯止めをかける方法を理解することであり、両者の違いを知ることだ。

 ハッキングは、現代社会で人工知能(AI)と自律システムの導入が加速していくと、いよいよ破壊的な変化をもたらすだろう。AIも自律システムもコンピューターシステムであり、そうなるとあらゆるコンピューターシステムと同じようにハッキングされるのは必然だ。AIシステムはすでに融資、雇用、仮釈放に関する決定を下しており、社会システムに影響をもたらしている。ということは、AIに関わるハックはいずれ経済と政治のシステムにも影響を及ぼす。それだけではなく、現代のAIがすべて機械学習のプロセスによって支えられている以上、そのプロセスからやがてコンピューターがハッキングを実行するようにもなるだろう。

AI時代こそ「ハッキング思考」が必要だ

 そこから推し量っていうと、AIが新しいハックを発見するのも遠いことではない。そうなれば、あらとあらゆる変化が起こる。これまで、ハッキングはわけても人間的な試みだった。ハッカーは人間であり、ハックにも人間ならではの限界があった。その限界が取り払われようとしているのだ。AIは、コンピューターだけではなく政府を、市場を、そして私たちの思考をハッキングしはじめる。人間のハッカーがたじたじとなるスピードとスキルでシステムをハッキングするだろう。本書は、AIのハッカーを念頭に置いて読み進めてほしい。本書の最後を飾るのも、その話になる。

 本書が重要な理由は、まさにここにある。ハックを認識し、それに備える方法を理解する必要があるとすれば、今がまさにそのときだ。そして、そこでセキュリティ技術が役に立つ。

 以前、どこでだったかは残念ながら失念した4が、数学リテラシーについてこんな言葉を聞いたことがある。「数学で世の中の問題が解決できるわけではない。ただ、万人が数学をもう少しだけ知ってくれれば、世の中の問題を解決しやすくなるということだ」。セキュリティについて考えることも、同じだと思う。セキュリティのマインドセットで、あるいはハッキング思考で世の中の問題が解決できるわけではない。万人がセキュリティをもう少しだけ知ってくれれば、世の中の問題を解決しやすくなるということだ。

 では、始めよう。

【原注】
1 Massimo Materni (1 May 2012), “Water never runs uphill / Session Americana,” YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=0Pe9XdFr_Eo

2 このテストは私の発明ではない。Gregory Conti and James Caroland (Jul-Aug 2011), “Embracing the Kobayashi Maru: Why you should teach your students to cheat,” IEEE Security & Privacy 9, https://www.computer.org/csdl/magazine/sp/2011/04/msp2011040048/13rRUwbs1Z3

3 Justin Elliott, Patricia Callahan, and James Bandler (24 Jun 2021), “Lord of the Roths: How tech mogul Peter Thiel turned a retirement account for the middle class into a $5 billion tax-free piggy bank,” ProPublica, https://www.propublica.org/article/lord-of-the-roths-how-tech-mogul-peter-thiel-turned-a-retirement-account-for-the-middle-class-into-a-5-billion-dollar-tax-free-piggy-bank

4 ご存じの方がいたら、メールで教えてほしい。

【目次】

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