その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はエドワード・フィッシュマン(著)、三木俊哉(訳)の『 チョークポイント アメリカが仕掛ける世界経済戦争の内幕 』。「日本語版序文」と「はじめに」をお届けします。
【日本語版序文】ようこそ、経済戦争の時代へ
2025年4月2日水曜日の午後、ドナルド・トランプはホワイトハウス・ローズガーデンの演壇に上がった。政権関係者のほか、安全ヘルメットと建設用ベストを身につけた屈強な男たちが彼の話を待ち受けている。「アメリカ国民の皆さん、今日は『解放の日』です」とトランプは言った。「米国の歴史上最も重要な日だと私は思う。これは我々の経済的独立宣言なのです」
次いでトランプは、不公正な貿易慣行に関する不満を並べ立てた。米国産コメに対する日本の700%の関税、米国産乳製品に対するカナダの300%の関税、米国製自動車に対する各国の高い参入障壁……。20分後、商務長官のハワード・ラトニックが、こうした不公平を正すための新たな関税率を記した大きなボードをトランプに手渡した。オーストラリアに10%、カンボジアに49%、そしてその他数十カ国に対する2桁の数字が並んでいた。輸入品に対する米国の関税率は、平均2%強から20%以上へと一気に跳ね上がる。この100年で最高の水準だ。2期目の大統領就任からわずか10週間で、トランプは世界に対して貿易戦争を宣言した。
トランプにとっては、待ち望んだ瞬間だった。
40年ほど前、目立ちたがりの不動産デベロッパーだったトランプは、ニューヨーク・タイムズ紙に全面広告を出し、「日本をはじめとする国々は米国を利用している」と訴えた。米国による安全保障にただ乗りしながら、自国通貨を操作し、補助金に支えられた輸出品を米国市場にあふれさせているとして、彼は同盟国を批判した。その結果、米国の貿易赤字は膨らみ、経済は低迷しているという。「日本などの支払能力がある国々に代償を払わせ、米国の多額の赤字を終わらせる時です」と広告は訴えた。「偉大な我々の国が、これ以上笑いものにされるのを許してはなりません」
その後、政治の世界で4年間の試練を経て、一時は刑務所行きの可能性さえあったトランプは、再びホワイトハウスに戻った今、自分の正しさがようやく認められたと感じていた。再び強い権限を手に入れ、長年思い描いてきた展望通りに世界経済をつくり直すチャンスが訪れた。そしてその手段こそ、彼が「辞書の中で最も美しい言葉」と呼ぶ関税だった。
「経済戦争の時代」はトランプが始めたのではない。本書は、この20年間、米国の歴代大統領たちが国益を守るため、ますます経済的武器に依存するようになってきた過程を描いている。だが、トランプはこの傾向を加速させたうえ、そこに新たな側面も加えた。時代が移り変わる時、明確な転換点があることはまれだ。新しい世界が形づくられても、旧世界はなおも残り続ける。本書では、1990年代に全盛だったグローバル化が徐々に勢いを失い、制裁、関税、輸出規制が大国の競争の手段になっていく過程を追っている。だが、もしそれまでの変化が過渡期だったとしたら、トランプの2期目は旧時代に終止符を打ち、新しい時代を確定させる転換点となる。
トランプの与える影響が大きいのは、彼が歴代大統領とは3つの重要な点で決定的に異なっているからだ。
第一に、彼が用いる関税は、米国の金融と技術における優位性ではなく、貿易における米国市場の地位を利用している。米国が発動する制裁の力の源泉はドルの普遍性にある。外国為替取引の9割、中央銀行の外貨準備の6割をドルが占める。米国の輸出規制は半導体などの重要技術の優位性を拠りどころにしている。例えば半導体分野では、米企業がグローバル・バリューチェーンの4割近くを占める。一方、関税は輸入品に課される税金だ。米国は世界最大の輸入国だが、世界の輸入総額に占める割合は13%にすぎず、世界のGDPにおけるシェア25%を大きく下回る。したがって関税に大きく依存するということは、比較的弱い武器に賭けていることになる。
第二に、トランプは敵対国だけでなく、日本やカナダ、EUなどの同盟国にも経済的武器を向けている。実際、「解放の日」に発表された関税は、世界のほぼすべての国を対象とし、完全免除のロシアよりも日本(24%)や韓国(25%)、EU(20%)のほうが高い関税を課された。中でも、トランプ2期目序盤に145%もの関税を課された中国を除けば、カナダほど厳しく扱われた国はない。カナダは複数回にわたって関税の標的となり、トランプから「51番目の州」になれとまで言われた。
そして第三に、トランプは経済戦争の目標そのものを再定義している。これまでの大統領は制裁、関税、輸出規制を一時的な圧力と位置付けていた。イランに圧力を加えて核開発の停止を迫ったり、ロシアにウクライナの主権を尊重させたりするためだ。だがトランプはそれを、世界経済の構造を恒久的につくり変えるための手段にした。こうした変化は、1期目に中国の通信大手ファーウェイに広範囲の輸出規制を課した時に始まっていた。この措置はもともと、同社による通信インフラの世界的独占を防ぐために計画されたもので、同社の行動や中国の政策を変えるのが狙いではなかった。これらの措置は、当初から恒久的なものとして設計された。
2期目の現在でも、トランプが行動変容を促すために経済戦争を用いることもある。例えば、中国とメキシコに違法ドラッグ「フェンタニル」の取り締まりを求める場合などだ。だがより頻繁に見られるのは、経済構造の変革を促そうとする姿勢だ。「解放の日」にローズガーデンに集まった安全ヘルメットの男たちを見れば分かるだろう。トランプの関税は、競争環境を国内製造業に有利に導くためのものなのだ。そして、生産拠点の国内回帰の約束を果たすためには、企業の投資判断やサプライチェーンに関する意思決定に影響を及ぼさなければならない。つまり、関税が恒久的と思われなければならない。確かにトランプはディールメーカーを自任しており、政策の方針も一貫していないことが多い。だが、鉄鋼から半導体、医薬品などの戦略的分野に関する通商調査の急増は、多くの関税が長期的に存続することを示唆している。
経済戦争に対するトランプのアプローチにはこれら3つの特徴があるため、大統領2期目は世界経済と世界秩序に大きな混乱をもたらす恐れがある。
米国が優位に立てる金融や技術ではなく、貿易という相対的に弱い分野で他国と争っている以上、米国は劣勢に追い込まれる可能性がある。中国は世界でも傑出した貿易大国で、およそ3分の2の国にとって最大の貿易相手だ。米国か中国のどちらかとの貿易を選ばなければならないとしたら、多くの国は中国を選ぶだろう。業界によっては、中国からしか手に入らない原料や製品が少なからずあり、中国との取引をやめればインフレと物資不足が深刻化する。米国市場へのアクセスを維持しようとすれば、それだけの代償を払わなければならない。巨大な米国市場を失うのは多くの国にとって痛手だが、それでも、バッテリーから医薬品まであらゆる品目の価格が高騰し、供給不足に陥るよりはましだろう。
また、敵味方問わず関税を課すことで、経済パートナーとしての米国の信頼は損なわれ、過度の対米依存を見直す動きが加速している。「解放の日」から1週間で、ドル、米国債、米株価指数はそろって急落した。これは、米国資産の全面的な売りと、ドルの安全資産としての信認低下を示す珍しいトリプル安だった。ユーロなどドルに次ぐ基軸通貨が値上がりしており、今後、ドルの支配を脅かす可能性もある。この傾向がずっと続くかどうかはまだ分からない。だが、確かなのはトランプが、相対的に弱い貿易力という武器を振りかざすことで、米国の本当の支柱である金融の力を危険にさらしていることだ。そして彼自身、それに気付いていないように見える。「ドルが基軸通貨でなくなることは、戦争に負けることに等しい」と、トランプは選挙演説で述べた。もし、米国に対する信頼が回復しなければ、技術分野でも同じような動きが広がり、各国は米テック企業への依存を避けるため、深圳(しんせん)などからの調達を増やす動きが加速するかもしれない。
トランプの2期目に株式相場は、「解放の日」の後に大きく下げ、6週間後の「米中休戦」後に回復するなど、乱高下が続いている。だが、金融市場はトランプの決意を過小評価しているかもしれない。関税が仮に変動するとしても、トランプの思い描く世界は1980年代から変わっていない。そして80代になろうとする男が、その信念を捨て去ることはまずない。
今起きようとしているのは一時的な混乱ではなく、構造的な再編だ。新しい世界経済秩序は、1944年のブレトンウッズの時のようにホテルの会議室に集まった官僚たちによって設計されたものではなく、場当たり的に形づくられている。新たな関税、制裁、輸出規制の一つひとつが、その新しい秩序の土台の一部として積み上がる。青写真はない。設計者もいない。あるのは、効果が未知の経済的武器を振りかざすひと握りの大国だけであり、彼らはしばしばその影響を見誤る。
世界経済の分断は既に始まっている。かつて既存の秩序を守るために利用された経済戦争は、今や新たな秩序をつくる大きな力となっている。
ようこそ、経済戦争の時代へ。
2025年5月
エドワード・フィッシュマン
【はじめに】戦わずして勝つ
世界には単に地理的な要因から、歴史のページに繰り返し登場する場所がある。ボスポラス海峡もそんな場所のひとつだ。イスタンブールの中心部を横切り、欧州とアジアの境界を画すこの狭い海峡は、資源豊かな黒海から地中海の各港、その先のさまざまな海へとつながる水路であり、各種の文明が交易し、覇権を求めてせめぎ合う場所、さまざまな帝国が興亡を繰り広げる要衝である。
古代ギリシャの有力な都市国家アテネ(古名アテナイ)は、紀元前5世紀の全盛期には、ボスポラス海峡を自由に航行することで食料を手に入れていた。ウクライナの肥沃な土壌で収穫された穀物やクリミア産の魚の干物を積んだ船は、各所の前哨基地や強力なアテネ海軍に守られながら、ボスポラス海峡を通ってアテネへ至る。この事実はアテネの最大のライバルであるスパルタにも分かっていた。27年間続いたペロポネソス戦争は、スパルタ海軍がアイゴスポタモイの海戦でアテネ艦隊を破り、ボスポラス海峡を支配下に収めた時に終わりを迎えた。食料供給を断たれたアテネはいわば兵糧攻めにされたのだ。ボスポラス海峡はアテネのライフラインだったが、同時にアテネの終焉を看取った場所でもあった。
約700年後、この海峡の周辺に、ローマ皇帝コンスタンティヌスは自身の名を冠した都市コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を建設した。その地は欧州で最も大きく豊かな都市となり(ハギア・ソフィア大聖堂のドームがその威容を誇った)、1000年以上にわたって東ローマ帝国の首都として栄えた。だが15世紀にオスマン帝国の攻撃を受け、長期間包囲された後、ついに陥落し、ローマ帝国の火を完全に消し去ることとなった。オスマン帝国はボスポラス海峡を抱くこの都市を新しい首都とし、その後何世紀もの間繁栄した。彼らもやはり、クリミア戦争から第1次世界大戦まで、ボスポラスを狙う大国をはねのけるために懸命に戦った。
この海峡でたびたび歴史がつくられてきたのは偶然ではない。ボスポラスは典型的なチョークポイント、すなわち国際貿易にとって極めて重要な航路であり、ここを制すれば莫大な力を得ることができる。またこの海峡を封鎖すれば、敵を屈服させることができる。
2022年12月5日、数百マイル先でロシアの対ウクライナ戦争が激しさを増す中、ボスポラス海峡の入り口で不穏な光景が広がった。見渡す限りの巨大石油タンカーの列(全長300m近いものもある)が続き、渋滞ができていたのだ。このニュースはすぐに世界に広がった。ボスポラスは世界で最も交通量が多い航路のひとつで、エネルギーや食品の貿易に欠かせない大動脈だ。そこが少しの間でも閉じれば、世界経済はカオスに陥る。
何がこの渋滞の原因だったのか?
敵対勢力の砲艦や戦艦のせいでも事故によるものでもなかった。ボスポラスは急カーブや激しい潮流のため、通航が難しい水路のひとつで、事故のリスクは常にある。しかし、この日の海上渋滞の原因は、午前零時1分に発効したばかりの米国と友好同盟国による新しい規制だった。
これにより、米国と欧州の企業は1バレル60ドルを超える価格で販売されたロシア産原油に関わる輸送、保険、金融サービスが提供できなくなった。この政策は「価格上限制(プライスキャップ)」と呼ばれ、ロシアの石油収入を減らし、ウクライナでの戦争遂行能力に打撃を与える狙いがあった。西側の保険・金融サービスを使わずに原油を海上輸送するのはほぼ不可能だったため、この規制は大きな効果を発揮した。ロシア産原油は一般に欧州のタンカー、英国の保険、米ドル決済に依存し、特に海上保険に関しては95%以上を欧米の保険会社が独占していた。西側諸国はこの支配力を利用して、ロシアへの石油収入の流入をせき止めようとしていた。
トルコは価格上限制を公式には支持していなかったが、ボスポラス海峡の通航を監視する当局はその影響を強く認識していた。つまり、この規制に違反したタンカーは保険を失う可能性が高く、原油流出などの大事故が起これば、トルコ政府が損害や被害のリスクを負うことになる。こうした懸念からトルコ当局は通航の条件として、各タンカーに対し保険が有効であることを証明する追加書類の提出を要求するようになり、それが渋滞の原因になった。ワシントンの米財務省のウェブサイトで発表されたたった数段落の規制の文言が、8000キロ以上離れた海上交通の要衝で大渋滞を引き起こしていたのだ。
これは、プーチンのウクライナ侵攻を受けて、西側諸国がロシア経済を締め上げるための新たな一手だった。ロシアに対する経済制裁は価格上限制のように、欧米の名もなき官僚たちが書き上げた規制文書だったが、その影響はすさまじかった。貿易や資金の流れが変わり、世界経済の構造が再編された。大国間の関係が変化し、新しい国際秩序の青写真が描かれた。
ロシアへの経済攻撃は、米国の外交政策が極めて進化したことを示している。喫緊の安全保障の課題に対応するため、米国は軍事力よりも経済兵器、中でも経済制裁に頼るようになった。経済兵器は何百年も前から存在しているが、この20年で洗練度と威力は飛躍的に高まった。半世紀に及ぶグローバル化や新自由主義的な改革で深く結びついた世界経済において、米国政府が下す経済的措置は、驚くほどのスピードで世界中に強烈な影響を与えることができる。
これこそが経済戦争だ。これが今、米国が地政学的な戦いに臨む際の最も重要な手段なのだ。イランの核開発の阻止からロシアの帝国主義への対抗、中国の世界覇権への野望に対する牽制に至るまで、米国は武器庫にある経済兵器を駆使して目的を果たそうとしてきた。
その過程で世界経済は戦場と化した。用いられる武器は経済制裁や輸出規制、投資制限の形を取る。司令官は大将ではなく、法律家、外交官、経済学者で、前線に立つ兵士は志願した勇敢な男女ではなく、利益最大化を目指しながらもワシントンの命令に従わざるを得ないと悟る企業経営者たちだ。そして、こうした戦いにおける米国の強さは、莫大な国防予算ではなく、国際金融や先端技術分野における圧倒的優位性だ。
これは新しいタイプの戦争だ。しかし経済戦争そのものは、はるか昔からある。ノーベル賞を受賞した経済学者で核戦略家のトーマス・シェリングは、1958年に経済戦争を「他国に損害を与える、または与えると脅す経済的手段」と定義している。シェリングが指摘したように、経済戦争と通常戦争の違いはその手段にある。つまり、敵国の銀行に制裁を加えるのは経済戦争で、その銀行を爆撃するのは通常戦争だ。銀行の機能を止めるという目的は同じでも、その達成手段が違う。政策立案者が経済戦争に強く惹かれる主な理由はここにある。戦術が非暴力的だからだ。現在の経済戦争が今までと違うのは、世界経済の相互依存度が非常に高いため影響力が格段に上がっており、その余波が制御不能な点だ。
2008年の米大統領選でどちらの候補を支持するかと問われ、連邦準備理事会(FRB)議長をやめてまもないアラン・グリーンスパンは、当時支配的だった経済観をうまくまとめて見せた。「国家安全保障を除けば、誰が次の大統領になっても大して違いはありません。世界は市場原理で動いているのだから」。冷戦後の新自由主義的秩序は多国籍企業によって、多国籍企業のために築かれた。歴史を牛耳る大物は多国籍企業のCEOだった。ワシントンや北京など世界の首都で働く政府高官たちは、単なる傍観者レベルの存在だった。
こうした評価を下していたのはグリーンスパンだけではない。米国の銀行家ウォルター・リストンは1988年にこう書いている。「急拡大している国際金融の新システムを築いたのは、政治家でも、経済学者でも中央銀行でも財務大臣でもない。ハイレベルの国際会議で練られた枠組みから生まれたわけでもない」。それを築いたのは「通信やコンピューターにより地球規模の相互接続を促進した人々」と、「その新しい世界的電子インフラを使って直ちに取引を進めた銀行家」だという。リストンは1960年代後半から1980年代半ばまでシティバンクを率いた、当時最も有力な銀行家だ。彼は財務長官のポストを二度断っている。ウォール街屈指のCEOである彼は、それを上回る経済的・政治的な特権をすべて手にしていたからだ。
ソ連崩壊から1年後の1992年に刊行されたThe Twilight of Sovereignty(主権のたそがれ)の中でリストンは、金融と情報技術という2つの力が歴史の舵を握るようになると、国家・政府は存在感を失っていくだろうと予測した。多国籍企業は世界中にサプライチェーンを張りめぐらせ、政治に対する産業界の優位性をさらに確かなものにする。「時間とともにこうした連携が進むと、政治家がグローバル経済を後戻りさせ、国家を規制する力を取り戻すのはますます難しくなる」とリストンは述べた。彼が描いていた過程や仕組みは今でいう「グローバリゼーション」と呼ぶものだ。
グローバル化した経済はまるで自律機械のように、伝統的な国家機関の手が届かないところで機能していたが、決して分散化していたわけではない。グリーンスパンら新自由主義改革派がつくったシステムは、米ドルを中心に据えていた。第2次世界大戦後の米国の貿易支配力が衰え始めてから長い時間がたった後も、石油の購入から資本投資までのあらゆる面でその役割は大きくなり続けた。一方、リストンをはじめとするCEOたちは、銀行や企業が世界中で資金を光速で移動できる中央集権型の金融ネットワークを築いた。リストンをはじめ金融インフラを築き、ルールを設定しようとした経営者たちの動機はシンプルだった。一種の「通行料」を徴収し、巨額の利益を得るためだった。
だが、これらのシステムを構築し相互に接続するうちに、グリーンスパンやリストンなどの「グローバリゼーション推進派」は別のものも生み出してしまった。それはチョークポイントだ。そして、このチョークポイントが政治利用に適していることが次第に明らかになっていった。
かつての大国はボスポラス海峡のような地理的チョークポイントを支配することで台頭し、存続した。国際経済における米国の力は、それとは異なるチョークポイントに依拠している。そのひとつが、国際貿易と国際金融の基軸通貨である米ドルだ。その他にも、世界中の資金移動を担う主要銀行や決済ネットワーク、さらに、デジタル経済の中核をなす先端半導体をはじめとする数多くの重要技術を支える知的財産と技術ノウハウなどもそれに該当する。米国はこうしたチョークポイントを押さえることで、新しい強力な経済戦争の先駆者となった。その結果、市場の力が支配しているとされる世界で、国家という権力が劇的に復活した。
2001年9月11日の同時多発テロ後の数年、大学生だった私はひとつの矛盾について考えていた。米国は世界最強の国なのに、その力を世界の安全保障問題の解決に活かせていない。この矛盾を如実に示したのが、アフガニスタンやイランでの戦争だ。これらの戦争では米国も相手国も莫大な資金を使い、たくさんの血を流したが、得られた成果はないに等しい。もっといいやり方があるはずだと私は感じていた。
「最上の戦術は、百戦百勝することではなく、戦わずして敵を屈服させることだ」と孫子は言う。私は仕事に就いて以来、どうすれば経済力によってこの目標に近づけるかを考え続けてきた。国務省では、ロシアのクリミア併合(2014年)を受けての対ロ制裁や、2015年の歴史的な核合意につながったイランに対する経済的圧力の設計・交渉に携わった。国務長官や統合参謀本部議長、財務省の制裁責任者に助言もしてきた。また、経済戦争に関する執筆活動のほか、企業には制裁環境への対応法を助言し、コロンビア大学では大学院生にこのテーマで講義した。こうした経験を通じて、私は本書で紹介する歴史の何ページかに直接参加し、登場する主役たちとともに働いてきた。
だが本書は、私自身の記憶に頼って書かれているわけではない。綿密な調査や分析、100人以上の関係者へのインタビューを通じて、重要な歴史の転換点を浮き彫りにし、その意義を解明し、経済戦争の舞台の内幕を明らかにする。その舞台とは例えば、窓のないホワイトハウスの作戦司令室(シチュエーションルーム)、金箔を施した欧州の外交ホール、ウォール街やロンドン・シティのきらびやかな銀行本部、クレムリンや中南海の広大な施設、世界に供給される石油の5分の1を運ぶタンカーがイランの軍艦のそばを不安げに通り抜けるホルムズ海峡などだ。本書は、登場人物たちが下す決断の瞬間を追っていく。過去の選択を公正かつ示唆に富んだ形で評価するには、後知恵を交えず、その時点の判断として再現するのが最も適切だ。そのため、本書は時系列順に構成されている。
パート1では、グローバル化を背景とした経済戦争に関する最も基本的な問い、「なぜ世界経済はこのように機能しているのか? どのようにして現状に至ったのか?」に答える。重点を置くのは現在のシステムをつくった、20世紀後半から21世紀初めにかけての人々と出来事だ。
パート2~5では、私が「経済戦争の時代」と呼ぶ2006年から現在までに起きた、4つの大きな出来事を詳しく見る。この時期に米国は、新しい強力かつ革新的な経済武器を開発し、まずイランに(パート2)使用し、続いてロシア(パート3)、中国(パート4)に展開した。そして2022年にはそれらを総動員し再びロシアに対して集中的に投入した(パート5)。本書の最後では、これらの出来事の後に残された「分断された世界経済」について考察する(パート6)。
経済の分断は想定外だった。実際、米国政府の中には、新しい経済武器を比較的軽い代償で利用できるという暗黙の了解があった。例えば、それが世界経済の構造をつくり替えるような事態になるとは思っていなかった。この前提は2010年代に次第に怪しくなり、2022年のロシアのウクライナ侵攻で完全に崩れ去った。
このロシア・ウクライナ戦争と、西側による大規模な経済的制裁は、歴史上の大きな分岐点だ。今後、経済兵器はますます広範かつ強力になるだろう。経済戦争はもはや特殊なことではなく、外交、安全保障、国際経済、国内政治、ビジネスなどあらゆる分野に浸透し、現代の国際秩序を形づくる基本構造の一部となっている。その結果、各国は経済安全保障の確保にしのぎを削り、地政学的地図が塗り替えられ、これまでのグローバル化は終わりを迎えることになる。米国の経済戦争を恐れ、そこから身を守ろうとする国もあれば、中国が独自の経済兵器を使う可能性のほうをもっと恐れる国も出てくるだろう。第3のグループ(スイング・ステート)は二股をかけようとし、一定の影響力を持つと同時に、大きなリスクにもさらされる。
米国はこうした未来に備えなければならない。その経済兵器は莫大なダメージを与えることが実証されているが、戦略目標を確実に達成できることが証明されたわけではない。成果にばらつきがある理由のひとつは、事前に計画を練らないまま危機に対応せざるを得ず、即興的に発動されてきたからだ。標的がキューバや北朝鮮のように孤立した小国であれば、即興的なやり方でも、世界経済への影響はほとんどなかった。だが、中国やロシアとの経済戦争は全く次元が異なる。米国の現在の経済兵器は強力だが、壊れないわけではない。無謀な使い方をすれば、永久に効力を失うか、予測不能な経済的・政治的反動が米国自身に跳ね返ってくるかもしれない。そのため、米国の経済戦争に関わってきたベテランの中には慎重な運用を訴える声も多い。例えば、元財務長官のジャック・ルーは「制裁を乱用すれば、世界経済のリーダーの地位を失いかねない」と言う。しかし、この強力な手段を捨て去ってしまったら、地政学的競争の中で米国は大きな後れをとるだろう。今後、経済戦争で勝利を収めるためには、経済力と戦略的な知恵を組み合わせることが不可欠だ。
紀元前405年にボスポラス海峡の交易を遮断するには、スパルタ海軍による華々しい勝利とかつて覇権を誇ったアテネ艦隊の壊滅が必要だった。だが2022年には、米国政府がオンラインで公開したひとつの規制だけで同じことが実現した。それは恐るべき力であり、そのわかりにくさが、一層非情な印象を与える。本書はその力の源泉や、それがどう機能し世界に何をもたらすのかを解き明かす。また、これまで米国が行ってきた選択を問い、どうすればさらに良い選択ができるかを考える書でもある。
【目次】




