その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は リチャード・P・ルメルト(著)、村井章子(訳)の『 良い戦略、悪い戦略 』。「序章」をお届けします。

【序章】

手強い敵

 一八〇五年のイギリスは、重大な危機に直面していた。ナポレオンがヨーロッパの大半を征服し、イギリス侵攻をもくろんでいたからである。しかし英仏海峡を横断するためには、イギリスから制海権を奪わなければならない。フランスとスペイン(当時ナポレオンの支配下にあった)は、ジブラルタル海峡にほど近いトラファルガー岬に三隻の艦船を結集。二七隻で編成されたイギリス海軍と対峙した。編隊を組む艦隊同士の海戦では、両軍が舷側を並べて艦砲射撃で敵艦にダメージを与えた後に接近戦に移行するのが当時の定石である。だがネルソン提督の考えた戦略は、ちがった。二列縦隊をつくり、フランス=スペイン連合艦隊にいきなり真横から突っ込ませたのである。当然ながら、先頭の船は非常な危険にさらされることになる。だが連合艦隊の砲手は練度が低く、その日の海はうねりが大きかった。彼らには突入してくる艦隊を正確に狙い打つ腕はない、と提督は読んだのである。果たせるかな、トラファルガー海戦はイギリス側の圧倒的勝利に終わり、フランス=スペイン連合艦隊は全艦船の三分の二に当たる二隻を失った。対するイギリス海軍は、ネルソン提督が戦死したけれども、艦船は一隻も失っていない。ネルソン提督は、今日にいたるまでイギリス海軍最大の英雄とされている。そしてイギリスの制海権は、その後一世紀半にわたって破られることはなかった。

 ネルソン提督にとって最大の難題は、敵が数で上回っていることだった。そこで、敵の艦隊を分断するために、先頭の船を死地に飛び込ませるリスクをとるという選択をした。敵が分断され統率を失えばこちらの思うつぼ、経験豊富な味方の艦長たちは混乱する戦況で優勢になるだろう、と判断したからである。良い戦略は必ずと言っていいほど、このように単純かつ明快である。パワーポイントを使って延々と説明する必要などまったくないし、「戦略マネジメント」ツールだとか、マトリクスやチャートといったものも無用だ。必要なのは目前の状況に潜む一つか二つの決定的な要素──すなわち、こちらの打つ手の効果が一気に高まるようなポイントをみきわめ、そこに狙いを絞り、手持ちのリソースと行動を集中すること、これに尽きる。

 戦略を野心やリーダーシップの表現とはきちがえたり、戦略とビジョンやプランニングを同一視したりする人が多いが、どれも正しくない。戦略策定の肝は、つねに同じである。直面する状況の中から死活的に重要な要素を見つける。そして、企業であればそこに経営資源、すなわちヒト、モノ、カネそして行動を集中させる方法を考えることである。

 リーダーは、まさにこの役割を果たさなければならない。企業経営から国家安全保障にいたるまで、さまざまな状況で求められているのは、前進を妨げる重大な障害物をみきわめて乗り越えるための首尾一貫した戦略である。ところが多くの人は、戦略を単なる謳い文句のように受けとることに慣れきってしまい、リーダーが声高にスローガンを掲げ、ひどく景気の良い目標をいくつも挙げて「これが戦略である」と言っても、すこしも驚かなくなってしまった。そうした例を四つほどここで紹介しよう。

  • ある会社のCEOは、他社のイベントをまねして「戦略決起集会」を開いた。世界各国からシニアマネジャー二〇〇名ほどがホテルの宴会場に結集し、その前で経営幹部が未来へのビジョンを発表するというスタイルである。そのビジョンとは、「この分野で最も尊敬され最も成功する企業になる」というものだった。このイベントのために制作された映像が流され、さまざまなシーンで使われている自社製品やサービスが次々に紹介される。続いては、CEOのスピーチである。感動的な音楽とともに、「戦略目標」が力強く掲げられた。曰く、グローバル・リーダーシップ、成長、株主リターンの向上……。その後に少人数のグループに分かれて討論が行われた。私はこのイベントに招待されたのだが、相も変わらずこのような「戦略」が策定されていることに少なからず落胆したものである。
  • 債券取引を得意とするリーマン・ブラザーズは、不動産担保証券(MBS)ブームの火付け役となり、おかげで二〇〇二~〇六年のウォール街は大いに活況を呈した。だが二〇〇六年になると、不吉な兆候が現れてくる。アメリカの住宅販売は二〇〇五年半ばに頭打ちとなり、住宅価格の上昇に歯止めがかかったのだ。連邦準備制度理事会(FRB)が小幅ながら金利を引き上げたことも、ローンの延滞や担保物件差し押さえの増加に拍車をかけた。このときリーマンのCEOであるリチャード・ファルドが打ち出した「戦略」は、「引き続きシェア拡大をめざす」というものである。そのために同業他社よりも成長ペースを加速するという。これを証券業界用語で言い換えれば、「リスク選好を強める」ことにほかならない。すなわち、競合他社が手を引いた案件にも手を出す、ということである。自己資本比率がわずか三%しかないうえ、借り入れの大半が超短期であることを考えれば、同社はむしろリスクの低減を図る必要があった。リスクをみきわめて回避策を講じるのが良い戦略であって、単に野望を掲げるだけでは戦略とは言えない。二〇〇八年にリーマン・ブラザーズは一五八年の歴史を閉じ、そのショックは世界の金融システムを大混乱に陥れた。悪い戦略は、リーマン・ブラザーズのみならずアメリカを、そして世界を悲劇に巻き込んだのである。
  • ジョージ・W・ブッシュ大統領は二〇〇三年に、アメリカ軍のイラク侵攻を許可した。侵攻作戦はすみやかに遂行され、連合軍の圧倒的勝利という形で正規軍同士の戦闘はあっけなく終結する。ブッシュ政権としては、その後は民主的な市民社会への移行が進むと期待していたのだが、そうは問屋がおろさなかった。イラクの治安は急速に悪化し、アメリカ軍は安全な基地を出て掃討作戦を展開せざるを得ない羽目に陥る。これはまさに、ベトナムで最悪の失敗を招いたやり方にほかならない。なるほど、掲げた目標は立派だった。自由、民主主義、復興、安全保障……。だがゲリラ活動や治安悪化に対処するための統合的な戦略は何もなかった。
     手詰まり状態に変化が起きたのは、二〇〇七年のことである。陸軍大将のデービッド・ペトレイアスがイラク駐留米軍の司令官に就任するとともに、五個師団が増派された。だが単なる兵力増員が功を奏したわけではなく、ペトレイアスに確たる戦略があったことが大きい。ペトレイアスは、市民の大多数が正規の政府を支持して初めて、治安悪化と戦うことが可能になると考えた。そして、大規模駐屯地を中心に索敵活動を行う前任者のやり方から、広い地域に展開して住民を守る「交番作戦」に切り替える。こうして地域住民との連携を強化すると、報復を恐れない勇敢な住民からゲリラ情報が寄せられるようになった。空虚な目的から真の問題解決へと戦略を切り替えた結果、治安回復という大きな成果が上がったのである。
  • 二〇〇六年一一月、私はWeb2.0ビジネスに関する会議に出席した。Web2.0とはウェブ・サービスへの新しいアプローチを意味するとされている(もっとも、そこで使われるテクノロジーにさして目新しいものはない。この言葉は要するに、グーグル、マイスペース、ユーチューブ、フェイスブックその他もろもろのウェブ・ベースの企業が使いたがる符牒のようなものだ)。昼食の時間になり、私は出席者七人とテーブルに着くことになった。誰かに職業を聞かれたので、私はカリフォルニア大学で戦略論を教えていること、コンサルタントとしても活動していることを簡単に説明した。
     すると、私の正面に座っていたウェブ・サービス企業のCEOが、やおらフォークを置いてきっぱりと言った。「勝つまで続ける。これが戦略だ」。私としてはまったく賛成できなかったが、しかし議論をするためにそこにいるわけではない。「たしかに、負けるより勝つほうがいい」と答え、さりげなく別の話題に移った。

 私はコンサルタントとして、個人的なアドバイザーとして、あるいは教師、あるいは研究者としてずっと戦略に関わってきた。そこで失敗や苦労を重ねながら学んだことを本書に詰め込んだつもりである。良い戦略は、目標やビジョンの実現以上のことを促す。良い戦略は、直面する難局から目をそらさず、それを乗り越えるためのアプローチを提示する。状況が困難であるほど、行動の調和と集中を図り、問題解決や競争優位へと導くのが良い戦略である。

 だが残念ながら、良い戦略はめったにない。しかも事態は悪くなっているようだ。「私には戦略がある」という政治家や経営者は増えているが、実際には彼らの「戦略」の多くは、失礼ながら「悪い戦略」である。悪い戦略は厄介な問題を見ないで済ませ、選択と集中を無視し、相反する要求や利害を力ずくでまとめようとする。悪い戦略は、目標、努力、ビジョン、価値観といった曖昧な言葉を使い、明確な方向を示さない。もちろん目標やビジョンは人生において大切なものではあるが、それだけでは戦略とは言えない。


 大勢の人が「戦略」と称するものと本物の良い戦略との乖離は、このところ拡がる一方である。一九六六年に私が企業戦略を勉強しはじめた頃には、この分野の本は三冊しかなく、論文など書かれてもいなかった。だがいまでは、書斎の本棚は戦略本ではち切れそうだし、論文や特集記事にも事欠かない。戦略に特化したコンサルティング会社も多数存在し、戦略で博士号をとった人も大勢いる。だがだからと言って、戦略とは何かが明確になったわけではない。むしろ逆に、空想的なビジョンからネクタイとシャツの合わせ方まで、それこそありとあらゆるものが戦略に盛り込まれたせいで、戦略はうすっぺらな安物に成り下がってしまった。さらに悪いことに、企業経営や教育や政権運営に携わっている多くの人にとって、「戦略」という言葉は何とでも相性の良い便利な口癖になってしまったらしい。マーケティングのことなら何でも「マーケティング戦略」、データ処理なら「IT戦略」である。買収をすれば「成長戦略」、値下げをすれば「ロープライス戦略」だ。

 しかも戦略を勝利や野心と結びつける傾向の強いことが、混乱に拍車をかけている。Web2.0会議で出会ったCEOの「勝つまで続ける」のが戦略だという発言は、まさにこの傾向を示すものと言えよう。興奮と熱狂とノリをこね合わせたような「戦略」が、悲しいかな次第に一般的になっている。これでは、戦略を立てるのに創造性も必要としなければ、リーダーの責任や資質も問われない。だが戦略は必ずしも勝つことだけが目的ではないし、野心や決意や英雄的なリーダーシップの表明でもなく、また革新的なアイデアの表現でもない。もし戦略がそのようなものだったら、実際の役には立たないだろう。野心は他人を負かしたいという欲望、決意は覚悟と気概、英雄的なリーダーシップは自己犠牲を促す力に過ぎない。戦略とはそのようなものではない。戦略とは、何か野心を抱いたとき、あるいは何か新しい変化に直面したときに、リーダーシップや決意をいつどこでどのように発揮すべきか、その道筋を定めることである。

 あまりに多くのことを意味する言葉は、ピントがぼける。何らかの概念に内容を与えようとするなら、はっきりと境界線を引き、それが何を意味し何を意味しないかを決めなければならない。戦略という言葉の意味を明確にするためには、まずはこの言葉をよく使うのが非常に高い地位にある人々だという点に注目するとよいだろう。たとえば産業界では、大半の買収や合併、高価な新しい施設・設備への投資、重要なサプライヤーやクライアントとの交渉、大きな組織の設計などはすべて「戦略的」とされる。だが戦略で重要なのは、意思決定を下す人の地位ではない。戦略とは、組織の存亡に関わるような重大な課題や困難に対して立てられるものであり、それらと無関係に立てられた目標とは異なる。戦略とは、そうした重大な課題に取り組むための分析や構想や行動指針の集合体と考えればよい。

 少なからぬ人が、戦略とは全方位を見据えた全体図であって、何か特定の具体的な行動とは別物だと考えている。だが戦略をそのように曖昧に幅広く定義すると、「戦略」と「実行」が断絶してしまう。断絶していいのだと言う人もいるかもしれないが、それでは戦略策定は空回りする車輪と変わらない。実際、「戦略」に関する不満はここに集中している。大勢の声を代表するかのように、ある経営者はこう言った。「わが社には高度な戦略策定プロセスが備わっている。だがいざ実行する段になると、必ず問題が続出する。設定した目標に届いたためしがないのだ」。ここまで読んできた読者なら、この不満の原因がどこにあるかもうおわかりだろう。良い戦略には、とるべき行動の指針がすでに含まれている。こまかい実行手順が示されているわけではないが、やるべきことが明確になっている。「いま何をすべきか」がはっきりと実現可能な形で示されていない戦略は、欠陥品と言わざるを得ない。

 「実行面に問題がある」と嘆く経営者は、たいていは戦略と目標設定を混同している。戦略を立てるつもりで業績目標を立てているケースは珍しくない。シェアや利益の拡大だの、大学合格率の上昇だの、美術館の来館者の増加だのといった目標だけを立てたら、願望と行動の間にギャップができるのは当然と言えよう。戦略とは、組織が前に進むにはどうしたらよいかを示すものである。戦略を立てるとは、組織にとって良いこと、好ましいことをどうやって実現するかを考えることである。もちろん、リーダーが目標を立て、それをどう実現するかは部下に任せる、という方法はあり得る。だがこれは、戦略ではない。そうやって組織運営をしている経営者は、戦略は立てずに単に目標設定をしているのである。


 本書の目的は、良い戦略と悪い戦略の驚くべきちがいを示し、良い戦略を立てる手助けをすることにある。

 良い戦略には、しっかりした論理構造がある。私はこれを「カーネル(核)」と呼んでいる。戦略のカーネルは、診断、基本方針、行動の三つの要素で構成される。状況を診断して問題点を明らかにし、それにどう対処するかを基本方針として示す。これは道しるべのようなもので、方向は示すがこまかい道順は教えない。この基本方針の下で意思統一を図り、リソースを投入し、一貫した行動をとる。

 良い戦略の構造と基本的な内容を理解すれば、悪い戦略も容易に見分けがつくようになるだろう。悪い映画を見分けるのに映画監督である必要はないのと同じように、悪い戦略を見分けるのに経済や金融その他もろもろの専門知識は必要ない。たとえば、二〇〇八年の金融危機でアメリカ政府がとった「戦略」を検討してみよう。すると、基本的な要素が欠落していることにすぐ気づくはずだ。とくに良くないのは、危機の根本原因は何か、診断をしなかったことである。病気の原因がわからないままでは、的確な治療法を選択してそこにリソースや行動を集中することはできない。結局のところ政府が行ったのは、リソースを納税者から銀行に移転しただけだった。この程度の決断を下すのに、マクロ経済学の博士号などは必要あるまい。良い戦略とは何かをわきまえている人なら、はるかに良い決断が下せたはずである。

 悪い戦略とは、単に良い戦略の不在を意味するのではない。悪い戦略にも固有の論理があり、まちがった土台の上に壮大な誤りが構築される。悪い戦略策定では、困難な状況の分析が意図的に避けられている。これはおそらく、都合の悪いことは知りたくないという意識が働くからだろう。また、戦略策定を目標設定ととりちがえていると、問題解決に注意が向けられないので、悪い戦略を立てることになりやすい。さらに、四方八方に配慮する結果、困難な選択が先送りされるケースもある。だがあらゆることを勘案していたら、リソースや行動の集中投入はできなくなってしまう。

 悪い戦略が蔓延すると、誰もが影響を被る。目標やスローガンを花火のように打ち上げるだけの政府は、次第に問題解決能力を失っている。企業が打ち出す戦略プランなるものの多くは、希望的観測に過ぎない。また教育機関では、数値目標や基準は豊富にあっても、なぜ成績が振るわないのか、根本原因を把握して対処する姿勢に乏しい。こうした状況を打開するのに、カリスマ的なリーダーや美しいビジョンはいらない。必要なのは、良い戦略である。

【目次】

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