その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は矢作敏行さんの 『コマースの興亡史 商業倫理・流通革命・デジタル破壊』 です。本書は2022年度・第65回「日経・経済図書文化賞」(日本経済新聞社・日本経済研究センター共催)を受賞しました(2022年11月3日更新)。

【まえがき】

 流通・マーケティング研究に携わるようになってから、50年が過ぎた。日本の近代化が始まる明治維新から数えて150有余年のほぼ3分の1に相当する期間、関わってきたことになる。だとしたら、明治・大正から昭和・平成を経て、令和に至るコマースの近現代史をたどり、それぞれの時代の商業の特質を描き出すことができるのではないかと考えた。

 自ら経験してきた出来事を振り返ってみると、戦後復興経済と高度成長、大衆消費社会と流通革命期の到来、大型店紛争と出店規制、資本自由化と外資の進出、石油ショックと大型店冬の時代、市場の成熟化と小売業態の多様化、バブル経済の崩壊と総合量販店(総合スーパー)の破綻、商店街の衰退と中心市街地の活性化政策、少子・高齢化と市場縮減、eコマース(電子商取引)の台頭と店舗の大量閉鎖、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的流行)と需要消滅と、数え上げればきりがないほど時代は目まぐるしく変わった。

 それらの出来事のうち相当数について調査・研究を積み重ねてきたが、複雑な歴史の動態をつかみ取るためには、分析対象を絞り込み、適切な分析枠組みを設定する必要があった。そこで、まず生産と消費を結ぶ流通過程で最も消費者に近く、価値の最終提案者である小売商業を取り出し、そこから商業動態の全体を見渡すことにした。

 次に世界で最初に近代化した西欧社会の歴史を俯瞰(ふかん)し、近代社会、高度産業社会、デジタル社会と3つの歴史的分水嶺における小売商業の経営革新とは何かを特定することにした。

 西欧における商業近代化の最初の担い手は消費生活協同組合・百貨店であり、その時期に「正しい商い」を追求する商業倫理の基礎が構築された。次の高度産業社会ではチェーンストアが台頭し、大衆消費社会にふさわしい大量生産・大量販売体制をつくり出す流通革命が進行した。そして、いまデジタル社会では、eコマースがリアルな市場空間の時間的・地理的・情報的制約を取り払い、流通のデジタルディスラプション(デジタル化による創造的破壊)を引き起こしている。

 日本の近代化は明治維新以降、よくも悪くも西欧モデルに学び、キャッチアップ型発展を遂げてきた。西欧モデルを手掛かりに、日本における3つの歴史的分水嶺を振り返り、日本商業の近代化・産業化の特質を導き出した。

 経営史家であれば、分析に当たり、市場や政策動向などの外部環境と経営資源などの内部環境の関連性の中で経営主体の意思決定と行動を時間軸に沿って、バランスよく再現するのだろうが、本書の立場はそれとは異なり、小売商業者の経営革新行動に的を絞って分析した。端的に言えば、商業近代化・産業化の担い手論であり、歴史的分水嶺を方向付けた商人たちの経営革新行動を解き明かすことに主眼を置いた。

 歴史的な分水嶺を貫いていたのは、「正しい商い」を探求した商人たちの商業倫理のたしかさであった。18世紀産業革命の中心地スコットランドに生きた経済学の祖、アダム・スミスは、社会的分業を基礎にした市場経済を、「だれもがある程度商人になる商業社会」と呼んだ。そこを出発点にして、コマースの来し方行く末を問うことにした。

 相手に関心を払い、その立場や気持ちを思いやることのできる人間の情動的な同感能力が交換を促すというスミスの洞察は、日本商業の近代化・産業化を支えた倫理観に通底していた。日本の商人たちは毎日、反復する商売の中で顧客と向き合い、「正しい商い」とは何かを自問自答してきた。顧客の立場にたつという基本理念を、江戸商人は家訓・店則として定めて家業を発展・維持し、戦後繁盛店は基本理念・市場戦略として昇華させて流通革命の旗手となった。

 日本ではしっかりとした商業倫理が商業近代化の始まりにあり、それが戦後高度成長期の流通産業化のスプリングボード(飛躍のきっかけ)となって、質の高い商業サービスを提供するに至ったと推論した。

 ところが、デジタル社会へシフトすると、商人たちが基本としてきた対面形式による顧客との応答性が失われる機会が急増した。交換(exchange)はその場渡し(ex-)で、貨幣と商品を取り換える(change)ことではなくなり、ネットで注文し、物品は別途、届けられる商物分離方式に変わった。ましてコロナ禍で人々は、非接触型サービスを強く選好するようになった。商業における情動的・身体的な応答性の喪失ないしは希薄化は、とてつもなく大きな影響を商業に与える可能性があると直観した。

 そこで、基本に立ち返り顧客が進んで対価を支払う価値とは何か、また商業を支える倫理とは何かを、改めて問い直すことにした。

 「歴史に学ぶ」とは言うものの、「言うは易く、行うは難(かた)し」である。江戸中期から数えると、300年を超える時間軸の中で商業の近代化・産業化の担い手たちの精神と行動を素描したが、テーマが多岐にわたり、予想外の大部の書になってしまった。

 それでも学術研究者のみならず、一人でも多くの実務家や学生の方々にも目を通していただきたいと願い、推敲を重ね、研究仲間や調査先企業、出版社の協力を得て、何とか「商品化」することができた。「商品化」の売りは、一冊で数冊分の学びのできるコスパにある。

 なぜ日本の商業の近代化・産業化は円滑に進んだのか、なぜ流通革命の担い手は総合量販店から専門量販店へ替わったのか、なぜデジタルプラットフォーマーは「勝者総取り」を実現できたのか、そして今後、オンラインとオフラインを統合したオムニチャネル化はどのように進化するのか、少なくともそのような問題に対する答え、ないしはそこに至る思考回路を示すことに全力を注いだ。また勉強熱心な方のためには、経験価値の共創論と商業・情報倫理問題に関する理屈っぽい章も用意した。

 歴史の流れに沿って、最初から読み進んでいただけるとありがたい。

1つの道を歩んで50年 2021年初夏
矢作 敏行



【目次】

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