その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は熊谷亮丸さん監修、大和総研編著の『 この一冊でわかる世界経済の新常識2023 』です。

【はじめに】

 2022年は大きな歴史の転換点となる一年だった。

 2月にロシアがウクライナに侵攻したことを受け、世界経済や金融市場は大混乱に陥った。資源価格の高騰などを背景に、世界的にインフレ圧力が強まり、主要国の中央銀行は、近年では例を見ない急速かつ大幅な利上げに相次いで踏み切った。しかし、世界的な利上げの継続にもかかわらず、グローバルなインフレ圧力には、いまだ明確な歯止めがかかったとは言い難い。米連邦準備制度理事会(FRB)を中心とする各国中央銀行の金融政策のスタンスが、今後の世界経済の命運を握っていると言っても過言ではない状態だが、それ以外にも、民主主義と権威主義の対立先鋭化、膨らむ新興国の債務リスク、欧州のエネルギー危機、経済安全保障とサプライチェーンの動向、中国の「ゼロコロナ」政策の行方など、世界経済には不透明要因が山積している。

 国内に目を転じると、岸田政権は、看板政策である「新しい資本主義」の実現に取り組んでいる。

 2022年6月に岸田政権が閣議決定した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」では、「新しい資本主義」の実現に向けて、以下の4本柱に投資を重点化する方針が掲げられた。

 第一の柱は、「人への投資と分配」である。具体的には、①賃金引き上げの推進、②スキルアップを通じた労働移動の円滑化、③貯蓄から投資のための「資産所得倍増プラン」の策定、④子供・現役世代・高齢者まで幅広い世代の活躍を応援、⑤多様性の尊重と選択の柔軟性、⑥人的資本等の非財務情報の株式市場への開示強化と指針整備、といったポイントが強調されている。

 第二の柱は「科学技術・イノベーションへの重点的投資」である。ここでは、①量子技術、②AI実装、③バイオものづくり、④再生・細胞医療・遺伝子治療等、⑤大学教育改革、⑥2025年大阪・関西万博、などが挙げられている。

 第三の柱は「スタートアップの起業加速及びオープンイノベーションの推進」である。具体策としては、スタートアップ育成5カ年計画の策定や、オープンイノベーションの推進などを指摘している。

 第四の柱は「GX(グリーン・トランスフォーメーション)及びDX(デジタル・トランスフォーメーション)への投資」である。GXやDXへの取り組みが、今後、世界各国の成長戦略の核となることは、疑う余地がなかろう。

 「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」では、上記の4本柱以外にも、地方の活性化に資する「デジタル田園都市国家構想の推進」なども強調されている。同構想を推進すべく、岸田政権はデジタル田園都市国家構想実現会議とデジタル臨時行政調査会を立ち上げた。

 また、経済安全保障の推進も、「新しい資本主義」の中核となる政策だ。この分野では、①供給網の強化、②基幹インフラの安全性確保、③先端的技術の官民協力、④特許出願の非公開化、などに関する議論が進められている。

 前述の政策メニューと一部重複する部分もあるが、今後「新しい資本主義」を実現する上で、筆者が特に注力してほしいと考える政策は、以下の5点である。

 第一に、継続的な賃上げを実現するためには、労働生産性を引き上げることが喫緊の課題だ。

 そのためには、①デジタル化や組織のフラット化などを進めて、企業や政府の業務効率を改善、②企業の新陳代謝を促すことで、供給過多から企業が値下げ競争に陥っている現状を是正、③「失業なき労働移動」を進めることで、経営者が好況期に社員の賃金を安心して引き上げられる環境を整備、④外国人高度人材の活用や女性のさらなる活躍を推進して、ダイバーシティ(多様性)を高め、イノベーション(技術革新)を起きやすくすること、⑤グリーン化、デジタル化、規制改革等を通じて、企業の成長期待を高めること、⑥コーポレート・ガバナンス(企業統治)を強化、⑦人的資本を中心とする無形資産投資を促進して、労働者の「エンプロイアビリティ(雇用されうる能力)」を高める、といった、わが国の労働生産性引き上げに向けた多面的な施策を同時並行的に講じる必要がある。

 第二に、わが国の成長戦略の柱として、GXとDXを不退転の決意で推進すべきだ。

 GXに関しては、経済と環境の好循環実現に向けたカーボンプライシング(炭素税、排出量取引など)の導入に加えて、鉄鋼会社、自動車部品会社などの円滑なトランジション(移行)をサポートすることなども重要だ。

 また、DXについては、日本企業の勝機は、デジタルやAIのような「ソフト」で「バーチャル」な世界だけで勝負せずに、これらを「ハード」で「リアル」な製造業や建設業と融合させる点にあるので、こうした分野への支援策も強化してほしい。

 第三に、第二のポイントなどとも密接に関係するが、成長戦略の「一丁目一番地」である規制改革には、引き続きしっかりと取り組むべきだ。特に、医療・教育分野のデジタル化や、エネルギー分野の規制改革などが極めて重要である。

 第四に、「全世代型社会保障改革」こそが「新しい資本主義」における公的な分配戦略の柱となる。

 わが国では急速な高齢化の進行に伴い、医療・介護の費用が増加し、これを支える現役世代の保険料の負担が非常に重くなっている。その結果、賃上げを行っても保険料の増加で相殺されて、可処分所得が伸びず、消費に回らない。

 今後は「人生100年時代」なので、負担能力のある高齢者には支え手に回っていただき、医療提供体制の改革や社会保障給付の効率化などを通じて、現役世代の負担増を抑える一方で、勤労者皆保険の実現や少子化対策の強化などに取り組むことが肝要だ。

 また、終身雇用社会から転職社会への移行を見据えた、セーフティーネットの再編も最重要課題のひとつである。

 ここで中核をなすのは、スウェーデンなどで普及している「アクティベーションプログラム(職業訓練・コーチング・就業体験などの就労移行支援プログラム)」の拡充・多様化を柱とする、積極的労働市場政策の推進だろう。加えて、①同一労働同一賃金の原則の厳格な適用、②生活困窮者対策の充実、③働き方改革の継続、④フリーランスのための所得補償制度の創設、⑤リカレント教育の深掘り、⑥兼業・副業の促進、⑦働き方やライフコースに中立的な税制改正の実施なども課題となる。生活困窮者などへのきめ細かいプッシュ型支援の拡充には、デジタル化の推進、マイナンバーの普及が必要だ。将来的には、企業ではなく、弱い立場の個人により一層焦点を当てて、産業と企業の新陳代謝や、「失業なき労働移動」を前提としつつ、個人の命とくらしを守るというインクルーシブ(包摂的)な政策を実現すべきだ。

 第五に、実効性のある「資産所得倍増プラン」を策定することが肝要である。そもそも「新しい資本主義」は「成長か? 分配か?」という不毛な二元論を超えて、両者を一体的・同時並行的に推進することを目指しているため、ひとつの政策が成長戦略であると同時に分配戦略であるケースも多い。「資産所得倍増プラン」はこの典型例であり、成長と分配の好循環の要となるという意味で、岸田政権の最重要政策のひとつだと言っても過言ではなかろう。22年9月に岸田総理はニューヨーク証券取引所で行った講演において、時限措置のあるNISA(少額投資非課税制度)について「恒久化が必須だ」と明言されたが、NISAの恒久化などを柱とする具体的な資産所得倍増プランの工程表を提示することが喫緊の課題となる。

 グローバル経済が歴史的な転換点を迎える中、今後、岸田政権は「新しい資本主義」を実現し、日本経済を再生させることができるのだろうか?

 これからわが国が進むべき方向性を検討する上では、グローバルな視点が不可欠だ。私たちの日常生活には「世界経済」に関するニュースがあふれている。毎日、テレビを見たり新聞を読んだりしていると、世界経済に関する様々なニュースが目に入ってくるが、容易には、その背景などを理解できないことが多いのではないだろうか。

本書の狙いと構成

 「日本経済に関するニュースを見ているだけでも、変化が激しくて先を読むことが難しいのに、世界経済の動きともなると、複雑な要素が絡み合っていて現状を理解するだけでも大変……」

 こうした読者の皆様の切実な悩みにお応えする目的で企画された、『この一冊でわかる 世界経済』シリーズも、おかげさまで今年8年目を迎えた。

 本書では、大和総研の選りすぐりのエコノミストたちが、世界経済を理解する上で必要な基礎知識を、やさしく、わかりやすく解説する。そして、これらの基礎知識を踏まえて、先行きの世界経済の展望を多面的に考察する。この一冊さえ読めば、世界経済に関する基礎知識を習得すると同時に、世界経済の展望が簡単に頭に入る構成になっている。

 本書の構成、および、各章の概要は以下の通りである。

 「第1章 2023年『世界経済の8大注目ポイント』はこれだ!」では、世界経済の先行きを占う上で注目しておくべきポイントを8つ挙げ、それぞれについて検討する。具体的には、①歴史的な高インフレ、②世界的な金融引き締め、③膨らむ新興国の債務リスク、④欧州のエネルギー危機、⑤深刻化する食料危機、⑥民主主義と権威主義の対立先鋭化、⑦経済安全保障とサプライチェーン、⑧中国「ゼロコロナ」政策の行方、である。

 「第2章 米国経済 好調な雇用と個人消費がインフレに耐えられるか」では、米国経済は引き続き、堅調な雇用環境が屋台骨である個人消費を下支えすると指摘する。ただし、高インフレが家計の実質的な消費余力を押し下げる、インフレ対策としてのFRBの金融引き締めが長期化する、そして、金融引き締めに伴う株価のボラティリティが逆資産効果を生じさせる、といった下振れリスクは山積している。また、バイデン政権は支持率が低迷する中、23年以降の議会運営が一層複雑化することで政策実現もままならず、政治的停滞が顕著化する恐れがある。

 「第3章 欧州経済 回復見込みから一転、『プーチン禍』で課題山積」では、経済の正常化が着実に進み、コロナ感染抑制のコントロールに自信を持とうとした矢先、ロシアのウクライナ侵攻によって成長戦略が狂った欧州を概観する。脱炭素よりも脱ロシアを優先する欧州では、生活必需品であるエネルギーや食料品などの供給問題や価格高騰が国民生活を直撃する。景気減速感が強まる中、ECBは成長維持よりも、インフレ抑制のための利上げと同時に市場分断化阻止の対応も迫られている。

 「第4章 中国経済 『ゼロコロナ』政策への固執と不動産不況」では、「ゼロコロナ」政策への固執こそが中国経済の最大の下押し要因であること、そして同政策が経済的合理性を無視した「政治」によるものであることを指摘する。共産党大会後に「政治」から「経済」重視への方針転換がなされるかが焦点だ。さらに、同章の最後では「中国版総量規制」を契機とする不動産不況に関連して、中国の不動産市場の問題点や総量規制導入の影響、現状と長期的な展望などについてまとめている。

 「第5章 新興国経済 先進国の政策に翻弄されながら、コロナ禍からの再建に挑む」では、23年も米国を中心とする先進国経済の動向が、新興国経済を左右することを指摘する。金融政策の自律性が乏しい新興国では、米国で利上げが続く限り、資本流出に身構えなければならない。さらに、先進国の景気後退が進めば、成長の原資である先進国からの投資も呼び込みにくくなる。逆風が吹き荒れる中、各国は財政を中心にコロナ禍からの本格的な再建に取り組むことになる。

 「第6章 日本経済① 世界景気の悪化で不透明感強まる経済の先行き」では、米欧に後れを取っていた日本でも経済活動の正常化が進むことなどにより、景気の回復基調が継続する見通しであることなどを示す。日本経済は、①サービス消費、②インバウンド消費、③自動車生産、の回復余地が大きく、これら3つの「伸びしろ」が景気を下支えする形で、23年度の実質GDPは厳しい外部環境の中でも2%近いプラス成長が見込まれる。一方、景気の下振れ要因としては、米国の深刻な景気後退入りや欧州でのエネルギー供給不足、中国での厳しいロックダウンの再実施などが挙げられる。

 「第7章 日本経済② インフレの先行きと金融政策正常化に向けた課題」では、およそ30年ぶりの伸び率を記録した今回のインフレの特徴や物価見通しなどを示すとともに、日本銀行の約10年間の成果を整理する。今回は資源高や円安を主因とした持続性の低い「コストプッシュインフレ」であり、23年度にかけてインフレ率は低下していく見込みである。他方、現在の金融政策の枠組みである「イールドカーブ・コントロール」は比較的大きな効果をもたらしたとみられるが、2%の物価安定目標の達成はいまだに見通せない。仮に目標を達成したとしても、金融政策の正常化に向けた多くの課題が待ち受けている。

 「第8章 ESG投資 ロシアのウクライナ侵攻がESG投資に与えた影響」では、ロシアのウクライナ侵攻を受け、機関投資家のESG投資の評価基準に生じた変化を概観する。具体的には、戦争や紛争に伴う人権侵害に関しては投資判断に組み込む動きが加速する一方、従来ネガティブに捉えてきた化石燃料や兵器(防衛産業)に対しては一部の機関投資家の間で容認する動きもみられる。機関投資家がESG投資を行う目的(経済的リターンの獲得か、環境や社会に対するポジティブなインパクトか)が問われている。

 本書は、ビジネスパーソンの方々が通勤時間などにも気軽に読める、面白くてためになる本を目指している。世界経済に関心があるすべての読者の皆様のお役に少しでも立てれば、望外の幸せである。

 本書の出版に当たり、平素より懇切なご指導を賜っている、大和証券グループ本社の日比野隆司会長、中田誠司代表執行役社長、大和総研の中川雅久代表取締役社長、中曽宏理事長にも、謝辞をお伝えしたい。

 なお、本書の内容や見解はあくまで個人的なものであり、筆者たちが所属する組織とは関係ない。

 もし記述に誤りなどがあれば、その責めは筆者たち個人が負うべきものである。

  2022年10月

熊谷亮丸(大和総研 副理事長 兼 専務取締役 リサーチ本部長)

【目次】

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