その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はジン・クーユー(著)、梶谷懐(監訳)、西川美樹(訳)の『 新中国経済大全 資本主義と社会主義を超えて 』。「日本語版への序文」をお届けします。

【日本語版への序文】

 中国経済の台頭は経済の奇跡とみなされている。戦後の日本と似ている点もいくらかあるが、人類の歴史上、中国ほど速いスピードで、かつ長期にわたって成長した国はほかにない。とはいえ、国民一人当たりで見てみると、日本は1950年から90年にかけて、一人当たりGDPが52倍という驚くべき成長を遂げたのに対し、中国も1978年に改革開放政策が始まってからの40年間で、一人当たりGDPが50倍も成長した。どちらも当初は名目所得が200ドル以下の国であったことを思えば、これは驚くべき快挙である。そしてどちらも経済発展を成功させた世界の模範例となったが、両国の手法と政治システムは、根本的に異なっている。

 中国で日本製品が垂涎の的だった1980年代当時のことを、私もよく覚えている。日本製のカラーテレビや洗濯機、炊飯器を手に入れることは、中国の人々にしてみれば夢のような話だった。こうした製品は高品質と信頼性を象徴するもので、これらを揃えることはステータスの証(あかし)になった。政府の政策決定者も、自国が見習うべきモデルとして、日本の経験に一斉に飛びついた。そしてその成功談から苦労話まで、日本の叡智たるものをつぶさに調べあげた。

 一見すると中国と日本は、どちらも貯蓄率が高く、通貨を切り下げて輸出と投資の拡大を図るという、開発戦略上の共通点を持つ。またどちらも経常黒字を長期にわたって維持したがために、赤字に転落した先進諸国の怒りを買った。そして、どちらも自国が輸出するハイテク製品によって競争相手が駆逐されると、西側経済を不安に陥れた。なかでも顕著な例は、半導体産業だ。もともとマイクロチップはアメリカで発明されたものだが、1980年代には半導体産業の重要分野で、直ちに日本がアメリカを追い抜いた。

 日本が当時経験したことは、中国が今日まさに経験していることと酷似しており、そこからわかるのは、世界第1位の経済大国が、世界第2位の経済国によって仕掛けられた競争をつねに冷静に受け止めるわけではないということだ。忘れられがちなことではあるが、1980年代のアメリカは、日本製品を温かく迎えたわけではなかった。当時、日本企業は輸出規制、関税、輸入割当て、市場参入規制、反ダンピング措置に直面したが、それとよく似たものを、今日では中国企業が経験している。当時は貿易摩擦によって緊張が高まり、苛烈な競争が繰り広げられたが、それでも日本とアメリカは、国際協力の精神のもと、そしておそらくは両国が同盟国であることから、報復よりも交渉の道を選んだ。

 日本は自動車と家電品の輸出自主規制に同意し、1985年にプラザ合意に署名し、その結果、ドルに対する自国通貨の価値が上がった。それでも日本は、今日の中国企業には決して望めないようなかたちで、アメリカ市場への参入を許された。ホンダと日産はアメリカに工場を建設し、アメリカ人労働者を雇い、アメリカの顧客に商品を直接販売した。この対外直接投資(FDI)のモデルによって衝突は回避され、貿易摩擦による緊張は緩和された。一方の中国企業は、現在メキシコとベトナムで工場建設を進めており、これらの国を経由して自国製品をアメリカに出荷しようと考えている。そのため、貿易ルートはより遠距離で、よりコストのかかるものになっている。

 中国と日本には、輝かしい奇跡からさまざまな試練まで、多くの共通点が見受けられる。とはいえ、いまや中国経済の先行きは、バラ色には見えなくなっている。成長はかなり減速し、ごく短期間で不動産市場が大幅に調整され、中国の政府・企業・家計を合わせた債務残高の対GDP比も日本とほぼ同程度になっている。中国企業は、拡大を続ける大規模な国内市場や活力ある起業家精神の恩恵にもはやあずかれず、国内の厳しい競争や総需要の急激な落ち込みに晒されながら、グローバル企業になるために奮闘している。高齢化する経済、銀行に過度に依存する金融システム、目もくらむような絶頂期を迎えたのちに崩壊した不動産部門など、いまや中国は1990年代初期の日本とあまりに似た様相を呈している。

 ここにきて中国は、日本の「失われた10年」をたどりつつあると言われている。だが、両国の経済には共通の症状が見られても、その根本原因は必ずしも同じではない。両国の経済機構は基本的に異なっていて、この点については本書を読めばおわかりいただけることと思う。とどのつまり、中国のモデルは「政治的経済」と呼べるものだ。活力溢れる起業家や新世代の消費者から、企業家としての国家に至るまで、そこに参加する多彩なプレイヤーは、この国の経済を決定するだけでなく、その経済にとって欠かせない存在だ。市場メカニズムと国家による調整、すなわち産業界と政府とのこの共生関係は、経済の持てる力を強化すると同時に、これを破壊する恐れもある。要するに、美徳と悪徳は同じコインの表裏にすぎないのだ。

 中国モデルは、この40年間で、いかにも的を射たものであることが証明された。中国は世界経済において他国と最もつながり合う存在になり、世界の製造業生産の4分の1以上を担っている。人工知能や量子コンピューティングから電気自動車に至るまで、中国は新時代の多くの最先端テクノロジーで世界のリーダーになっている。それでも、これは一般の見方には反しているが、仮に国家が強力な役割を果たさなかったならば、これほどの急成長は望めなかっただろう。数年足らずで中国は、電気自動車用充電スタンド、データセンター、5Gインフラ、次世代電力網(スマートグリッド)などの新たなインフラ設備を展開するようになった。そして大規模なイノベーション投資を行い、技術革新を進めるべく企業に補助金を出し、消費者が新たなテクノロジーを利用できるように取り計らった。

 最も重要な政策には、地方レベルで生まれたものもあった。地方政府は、有望な起業家のあらゆる要求を満たすための「ワンストップ・ショップ」〔1カ所で必要な買い物を完了できる場所〕になった。政治の中央集権化と経済の分権化がこのようにセットになっていることこそ、中国経済の決定的な特徴である。そして、このモデルがとりわけ首尾よく機能するのは、民間部門から公的部門、中央政府から地方政府、産業界から金融システムに至るまで、すべてのインセンティブが一致したときだ。この挙国体制こそ、中国が自国の戦略的目標を達成するために採用しているシステムであり、その目標がオリンピックで最大数の金メダルを獲得することだろうが、わずか10年ほどで最大かつ最も斬新な太陽光発電や電気自動車の産業を築くことだろうが、その点に変わりはない。

 中国は数々の経済的成功を遂げた一方で、嫌というほどの試練も経験してきた。中国の開発モデルにはそもそも深刻な不備がある。それは、ときに無駄が多く、非効率的で、力ずくで実行されることだ。そして今日見られる問題のなかには、以前から蓄積されてきたものもある。地方政府は国のGDPを増やすべく資金調達の必要に迫られるが、成長と投資の目標を達成する手っ取り早い方法は、不動産開発を行うことだ。そして差別的な金融制度によって需要よりも供給が優遇され、結果として過剰な生産能力が生じる。このモデルは迅速な規模拡大には優れていても、個人消費を伸ばすために必要な柔軟性や機敏性に欠けている。かくして法外な負債、資源の不適切な配分、内需の伸び悩みといった問題が、中国の輝かしい経済成長に暗い影を落としている。

 それでも、こうしたコストに見合うものは得られたに違いない。何しろ10億人近い国民が30年ほどで貧困から脱出できたのだから。また中国は10年もかからずに、従来の自動車産業で世界的な競争力を持たないうちから、太陽光発電と電気自動車の両分野で、世界のリーダーになった。2010年代のはじめに中国は「模倣屋」の評判を脱ぎ捨て、同年代の終わりには傑出したイノベーターになっていた。非の打ち所のない完璧なモデルなど存在しないし、どんな手法にも費用(コスト)と便益(ベネフィット)の両方が伴うものだ。

 中国モデルにとっての最大の試練は、その目的が変化したときに訪れる。過去40年にわたり経済成長と発展だけに一点集中していた目標が、ここにきて国家の安全保障、技術的な独立性、「共同富裕」、さらに政略といった広範な目標に置き換わった。またインセンティブも変化し、大きな賭けをして大きな利益を得ることよりも、慎重に行動して安定を維持することが奨励されるようになった。1980年代に大胆な改革を率先して実行した地方政府や国家機関の起業家精神は、損失を嫌う慎重な行動に取って代わった。実際、中国という国はいまだかつてないほど複雑化し、広範な開発目標や社会経済的目標を達成する必要に迫られている。さらに地政学的な変動が続く状況下で、自国の広範な戦術や、世界における足場を見直す必要も生じている。

 だが、それは際どいバランスを保つことでもある。これまでに政治と経済、成長と拡大する格差、グローバリゼーションの便益とそれに対する不満とのあいだに折り合いをつけられた国は世界に見当たらない。これは今日の中国にとって重要な道徳意識でもあり、中国はその大義のための答えを必死に探し求めている。もちろん中国が、より包摂的で、より平等な資本主義という、もう一つの道に進みたいと考えたとしても無理はない。あるいはシステムを支配し、金融部門の混乱を抑制したいと考えたとしても、やはりそれも理解できる。とはいえ、成長を抑制するか、あるいは最も生産的な者の労働意欲や最も資源を持つ者の投資意欲を削ぐリスクを冒すことなく、こうした目標を達成する簡単な公式など存在しない。昨今、中国が成長と社会政治的目標とのあいだで揺らいでいることは、この国に便益よりも、一層不安定な状況をもたらす恐れがある。それは経済史が教えてくれる貴重な教訓だ。

 これまでさまざまな偉業を成し遂げてはきたが、中国経済の未来が楽観的なものではなさそうだとの予感は拭(ぬぐ)えない。とはいえ、人口動態や負債水準、あるいは輸出主導型モデルなどの直接的な原因が問題になっているわけでもない。本書で詳しく説明するように、これらは克服できる問題だ。それよりも、完璧でなくとも著しい経済的成功を遂げた国の多くが往々にしてつまずくのは、成長重視の政策を放棄することが原因だと私は考える。つまり、それは政治が経済を牽引すること――その逆ではなく――を許すということだ。

 未来に目を向け、中国の新たな戦略を探るにつれて、この国が自国の抱えるジレンマをいかに解決していくかという問題に興味が湧いてくるはずだ。自国が切望する科学的発見やイノベーションの達成に必要ならば、中国はごく一部の人間が過度に裕福になることを黙認せざるをえないかもしれない。あるいは国民がもっと広く豊かになるための代償として、資本主義社会の不公平かつ不安定な要素をいくらか取り入れるといった可能性も考えられる。ただし、社会主義を掲げる国からすれば、それは同時に不快感を伴う選択になるかもしれない。だが、市場経済の不備を過剰に修正することは、修正が中途半端な場合と同じくらい危険を伴うものである。

 中国経済はいまも途方もない力を秘めている。そもそも中国と、1990年代初頭に長期の経済低迷が始まった日本は、きわめて異なる立場にある。中国の一人当たりの実質所得は、現在もアメリカのわずか5分の1だが、日本の実質所得はすでに1990年代にはアメリカの3分の2近くまで達していた。中国の全要素生産性はいまもアメリカの40%にすぎないが、当時の日本はすでに80%に達していた。中国では数億人の労働者が現在も農村部に住んでいるが、1億人を超える出稼ぎ労働者に社会福祉や保護がもっと行き渡れば、年間数千億ドルの追加消費が期待できるだろう。また農村部では、かなりの人口がいまだに十分な教育を受けられず、不完全雇用の状態にある。中国のサービス部門はGDP比がわずか50%で、労働人口の47%しか雇用していないが、日本では当時すでにサービス部門がこの国の経済の65%を占めていた。

 中国にはいまも開発のチャンスが手付かずのまま残っている。農村部の土地の権利、国内の移動、金融部門の改革のほかにも、開拓できる余地はまだ多くある。政治的な束縛が少なくなるなかで、迅速にギアを切り替え、自国の方針・目的・政策を変更できる中国の力を過小評価してはならない。とはいえ、その力は恵みにもなれば、マイナスに働くこともある。

 東京大会からちょうど3年後にパリで開催された2024年の夏季オリンピックが幕を閉じたとき、これまで自国の選手に手の届かなかった種目も含めて、中国があれほど多くのメダルを獲得したことに、私も感嘆を覚えた。オリンピックの試合に向けて中国が投じた戦略モデルも、その精神も、資源も、電気自動車や電池やソーラーパネルの開発にこの国が投じたものとさほど違いはない。こうした例からわかるのは、インセンティブが一致し、資源が入手でき、そして何より強い熱望や無我の興奮を国民が広く共有したときにこそ、中国の経済モデルが最大限の力を発揮するということだ。この国が苦境に陥ったときもそれは同じだろう。結局、私たちに必要なのは、中国という国を歴史に照らし、おそらくこの数年ではなく、10年ないし数十年の範囲で振り返ってみることだ。

 本書が示すパラダイムや要因は、今後も中国経済を導くものであるに違いない。本書が、この謎と魅力に満ちた国の経済に興味や好奇心を持ち、偏見を排して向き合い、その真の姿を理解したいと願う方々の一助となることを願っている。

2024年10月
ジン・クーユー


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示