その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小田健さんの『 ロシアゲートの闇 現代米国の情報戦を読み解く 』です。

【はじめに】

 米国では二〇一六年から二〇二三年にかけて通称“ロシアゲート”なる一大政治劇が展開された。二〇一六年大統領選挙において共和党のドナルド・トランプ候補がロシアのウラジーミル・プーチン政権と共謀し、民主党のヒラリー・クリントン候補を落選させるため、あれこれ工作したという疑いが、その核心だ。共謀が真実であれば、トランプ大統領は多くの国民、さらには出身党の共和党の議員からも見放され、任期半ばで弾劾されるか、辞任に追い込まれただろう。

 米国司法省、司法省傘下の連邦捜査局(FBI)、司法長官が任命した特別検察官二人、中央情報局(CIA)などの情報機関、議会、さらにメディアが膨大な時間と資源を費やしてその疑惑の解明をめざした。

 公的機関による捜査・調査の結果は主に六つの公式報告にまとめられ、公表されている。米国情報機関コミュニティ(情報機関コミュニティとは情報機関の総体を指す)報告、下院情報委員会報告、ロバート・モラー特別検察官報告、マイケル・ホロウィッツ司法省監察総監報告、上院情報委員会最終報告、そしてジョン・ダーラム特別検察官報告だ。合わせると実に膨大な報告で、内容も微に入り細を穿つが、いずれも共謀の証拠を見出すことができなかった。メディアも同様だった。

 どのような裁判でも有罪を立証できなければ、被告は無実だ。

 ロシアゲートという言葉は、一九七四年にリチャード・ニクソン大統領が辞任するまでに発展したウォーターゲート事件をなぞっている。だが、ロシアゲートはウォーターゲートにはならなかった。空騒ぎに終わった。

 トランプ嫌いの人からは、そうした結論はトランプの主張と同じではないかとの批判が出るかもしれない。だが、トランプを好きであるか嫌いであるかに関係なく、客観的にそうであるのだから、そう言わざるを得ない。いかにトランプ嫌いであっても、証拠を示さず「あいつらはやった」と言うことは流言飛語に過ぎない。

 なお、トランプは二〇二三年に四件の刑事裁判の被告となり、この原稿の執筆時点では、うち一件について有罪判決を受け量刑言い渡しを待っているが、これらの裁判はロシアとの共謀疑惑とは直接関係がない。

 モラー特別検察官が二〇一九年三月に共謀の証拠なしと結論を出した後は、メディアはさすがに、ロシアゲートという言葉を使わなくなった。今では「二〇一六年米大統領選挙へのロシアの介入事件」などといった表現が一般的だ。

 トランプは選挙戦の最中も大統領就任後もロシアとの共謀を強く否定したばかりでなく、逆にクリントン陣営とFBIが共謀してトランプ候補・大統領に打撃を与えようとしたとの疑惑を提示し、反撃した。FBIがスパイをトランプ陣営に送り込んでいたとの「スパイゲート」の展開も示唆した。しかし、こちらも結局、不発に終わった。スパイゲートへの捜査機関、メディア、議会での注目度はロシアゲートに比べ圧倒的に少なかった。スパイゲートはクリントン陣営や捜査当局が攻撃対象だったせいかもしれない。

 ロシアゲートを総括するにあたって特に二人の人物が果たした役割に注目すべきだと考える。マルタ人教授のジョウゼフ・ミフスード、そして英国の情報機関MI6のロシア担当だった英国人クリストファー・スティールだ。

 ロシア人と接触していたミフスードは、本人は否定しているが、ロシアがクリントン候補に不都合なeメールを大量に入手し、それをインターネットで漏洩することでトランプ候補を支援するとの情報をトランプ陣営幹部に伝えた。この情報がFBIに伝わり、FBIが共謀の可能性を追及する捜査に着手した。

 スティールは、クリントン陣営からトランプ候補のいわばあら探しをする調査を引き受け、ロシアとトランプ陣営が共謀してクリントン候補を蹴落とそうとしたとの報告をまとめた。米国の捜査当局がこの報告に注目、捜査に力を入れた。

 ミフスードがロシアゲート捜査の引き金を引き、スティールが捜査に勢いを付けた。二人の間に接点はなく、それぞれ個別に動いていたと思われるが、二人はロシアゲート捜査を推し進めた車の両輪だった。

 一連のドタバタ劇によって米国政治、社会の様々な問題点が浮かび上がった。反トランプ勢力とトランプ支持者の対立、我田引水があからさまに横行する党派政治、慎重を期したつもりが杜撰で政治的偏向を疑わせた捜査、首都ワシントンDCを舞台にした情報工作員の暗躍、そして時に真実から遠ざかり、意図的ではないにせよ党派政治に関与した有力紙を含めたメディアの報道だ。

 一方で、そうした潮流に疑問を抱く人たちが官民それぞれにいて、検証作業が行われたことも指摘しなければならない。米国社会の奥深さを感じさせてくれる。

 ロシアゲートをめぐる顛末は今では過去の話となってしまった感があるが、特に米国の現代政治におけるすさまじい情報戦についてのケース・スタディとして有効であると考える。

 出版にあたっては、日経BPの堀口祐介氏と渡辺一氏に細部にまで目配りしていただいた。感謝を申し上げたい。

二〇二四年十月  小田 健


【目次】

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