その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は芹澤連さんの『 戦略ごっこ―マーケティング以前の問題 エビデンス思考で見極める「事業成長の分岐点」 』。「はじめに」の後編です。(>>はじめに「前編」から読む)
【はじめに(後編)】
知っている=「何を知らないのか」を知らない
孔子の論語に、「学而不思則罔、思而不学則殆(学びて思わざれば則ち罔くらし、思ひて学ばざれば則ち殆(あやふ)し)」という言葉があります。ビジネスやマーケティングの文脈に向けて筆者なりに書き下すと、理論やフレームワークを覚えるだけで、自分で考えることをしなければ実践力は身につかない。しかし、自分の知っている知識や経験の範囲内であれこれ思案するだけでは、独りよがりで近視眼的なマーケティングになってしまう、という感じでしょうか。前半については方々でよく指摘されていますが、本書の力点は後半部分にあります。
世の中には「知ってるつもり」になっていることがたくさんあります。筆者も、本書を執筆するための先行研究の中で、いかにマーケティングを知った気になっていたか、幾度となくたたきのめされました。さて、「知っているつもり」とは「知らないことを知らない」とも言い換えられます。これに関して、作家・橘玲氏の著書『バカと無知』(新潮社)の中で、子どもの認知能力に関する次のようなくだりが出てきます。
「53-37」を16ではなく24と答える子どもがいる。これは「大きい数から小さい数を引く」という規則に、それぞれの桁で従っているのだ。このケースでは、子どもは誤ったルールで「正しく」問題を解いている。計算の前提が間違っていることに気づかなければ、繰り下がりのある引き算はすべて不正解になるが、「57-34」のような引き算は正解できるから、なぜうまくできないのかを知ることは難しいのかもしれない。
(橘玲著『バカと無知』p.50-51より)
これは、正解にたどり着くために「何を知らないのかを知らない」ことによって起こる問題です。この子どもは、「大きな数から小さな数を引く」というルール自体は理解しています。しかし、繰り下がりを考慮して、という前提が抜けているわけです。
先生: 「引き算するときは、大きな数から小さな数を引きなさい(繰り下がりを考慮して)」
子ども:「引き算するときは、大きな数から小さな数を引けばいいんだな」
恐らく先生は、繰り下がりのある引き算を授業で教えているのだと思います。もしくは教科書に書いてあるのでしょう。しかし、それを理解していないせいで、もしくは忘れてしまい、「自分が知っている範囲内」で問題を解いた結果、間違った答えにたどり着いたわけです。マーケティングでもこれと似たようなことがよく起こります。カテゴリーによって理論に向き不向きがある、大きなブランドと小さなブランドでは真逆の取り組みが必要になる、成長フェーズによってゴールの優先順位が異なるといった場合分けや使い分けが必要なのに、一緒くたに扱われているきらいがあります。
例えば、消費財のようなプレファレンス(選好)の異質性が低い「レパートリー市場」と、金融サービスのようなプレファレンスの異質性が高い「サブスクリプション市場」ではロイヤルティの捉え方が大きく異なります(Sharp, Wright, & Goodhardt, 2002)。また、ブランドの規模によって、浸透率とロイヤルティが成長に及ぼす影響は変わってきます(田中, 2008)。さらにカテゴリーやブランドの成長段階によって、長期的なブランド構築と短期的な購買喚起への最適な予算配分は大きく異なります(Binet & Field, 2018)。
こうした規則性に逆らってマーケティングをしても大した効果は得られないわけですが、先の算数の例と1つ大きく異なるのは、マーケティングの場合、こうした規則や場合分けの大半が教科書にも書かれていません。また上司や先輩も教えてくれません。そもそも、そんな規則や前提条件があること自体が知られていないからです。まず、そこに気づくことがスタート地点です。
ソクラテスの弁明
いわゆるソクラテスの「無知の知」の問題ですね。ところで東京大学大学院人文社会系研究科の納富信留教授によると、無知の知の本質は「知る/思う」の区別にあるそうです。『ソクラテスの弁明』(光文社古典新訳文庫)の解説パートに、次のようにあります。
私たちの日常では、なんとなくそう思ったり、それなりの確信があったりする時にも、「知っている」という認定をすることがある。しかし、厳密に言えば、「知る」とは、明確な根拠をもって真理を把握しているあり方を指し、「知っている者」は、その内容や原因を体系的に説明できなければならない。(省略)答えが誤っている場合ばかりでなく、その根拠をきちんと把握していない状態も、「知る」にはあたらないのである。それは、たんに「思う」という状態に過ぎない。
(納富信留『ソクラテスの弁明』より)
ちゃんとした根拠を説明できないなら、いくらもっともらしいことを言っても結局は「個人の感想」の域を出ないということです。この「知る/思う」の区別はマーケターにとっても重要です。例えばマーケティングではよく「打ち手の効果」が議論になります。特にプロモーション後の売上があまりリフトしなかったときなどは、「本当に効果があったのか」と紛糾しがちです。しかし、実は効果が低いことが問題なのではなく、「エビデンス的に効果がない打ち手に効果があると思い込んで、あれこれ議論していること」のほうが本質的なイシューだった、ということがよくあります。
ここは特に大事なところなので、いくつか具体例を挙げます。例えば、「既存顧客に対するファンマーケやロイヤルティ施策を頑張っているのに、リピートが伸びない」「インサイトを読み違えたかもしれない」と悩んでいるマーケターがいるとします。この人の最大の問題点はインサイトの読み違いではありません。浸透率を増やさずにロイヤルティだけを伸ばせると思っていることです(第2章)。また別のマーケターは、「差別化ポイントがなかなか理解されない」「この前の広告で、機能ベネフィットがちゃんと伝わらなかったのかもしれない」と悩んでいます。この人の問題はメッセージの解像度やクリエイティブの質ではありません。消費者は差別化ポイントを認識した上で自分に合うブランドを選んでいるに違いない、という前提でマーケティングを考えていることです(第4章)。
同様に、購買ファネルの歩留まりで悩んでいる人は、歩留まりが問題なのではなく、ファネルに沿って購買行動が起こると思い込んでいることが問題なのであり(第8章)、ROIが低いことで悩んでいる人は、ROIが低いことが問題なのではなく、ROIを高めていけば事業が成長すると思い込んでいることが問題なのです(第10章)。要するに、エビデンスに照らし合わせると、本人が問題だと思っていることは本質的なイシューではなく、筋違いなところで悩んでいるわけです。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。割と勘違いされている方が多いのですが、マーケティングにはサイエンスの側面もあるので、そもそも「自分の好きなように組み立ててうまくいく」わけではないのです。例えば、飛行機はなぜ飛ぶのでしょうか。翼の上と下で圧力が違うからですね。航空力学にのっとった翼の形状により、揚力が重力を上回るから鉄の塊が浮かぶわけです。要は物理学です。別に物理学を知らなくても「かっこいい飛行機の絵」は描けます。しかし、もしそんな素人が設計した飛行機があったとして、乗りたいですか。同様に、建築士の免許がなくても「今までにないデザインの家」は描けます。しかし、見た目はすてきでも、地震や台風が来たらどうなるでしょうか。家族が安心して暮らせるでしょうか。
マーケティングも同じことです。市場や消費者行動には「こうするとこうなる」、逆に「そうしたくてもそうはならない」という原理原則が存在します。戦略や戦術はそれらにのっとって初めて成立するのです。ですから、あなたの考える「こうしたらこうなるんじゃないか、こういうアプローチをしてみよう」という意見の前に、エビデンスに基づいて、現実の市場がどう動くのか、ブランドはどう成長するのか、購買行動にはどのような規則性があるのかといった事実を知っておくことが大切になってくるわけです。
誤解のないようにつけ加えると、エビデンスが全てだと言いたいわけではありません。物理学だけでいい家が建つわけではなく、デザインセンスや大工さんの長年の経験も必要でしょう。しかし、柱や骨組みがしっかりしていなければ、やはり長く安心して暮らせる家にはなりません。同様に、エビデンスもマーケティングを成功させるための重要な柱の1つであるはずなのに、あまり理解されていません。ですからそこを是正していきませんか、というのが筆者からの提案です。
ダブルジョパディ(DJ)の法則
しかし、大半の「マーケティングの教科書」や「市販のビジネス本」は理論や事例、あるいは著者の成功体験が中心で、エビデンスまでつまびらかにされている本は少ないと思います。また、そうした書籍では、本来「~だと思う」「自分の場合は~だった」と書くべきところを、「~だ」「~である」と、あたかも一般的に当てはまる話であるかのように書かれている傾向があります。これがマーケターの「思う/知る」の境界を曖昧にしている一因かと思います。
もう1つが専門知識や経験によるバイアスです。業界経験が長くなればなるほど、組織で上に行けば行くほど、自分は合理的で客観的な判断ができているという思い込みが強くなるのかもしれません。しかし科学ジャーナリストのデビッド・ロブソンは、専門家だからこそ陥る“知性のワナ”(インテリジェンス・トラップ)があると警鐘を鳴らしています(Robson, 2019)。例えば、ある実験によると、「自分には専門知識がある」という自覚が強まるほど主張が独断的になり、自らの考えに合わない意見に対して閉鎖的になる一方で、周囲は「でも、そう言うだけの実績もあるのだから」と信用しやすくなるそうです(Ottati et al., 2015)。このようにして、「声だけ大きいKKD(勘と経験と度胸)の人」が出来上がっていくのかもしれません。
ですがマーケティングの世界では、普段の業務で当たり前と思われているような“常識”でも、実際にデータをとってファクトチェックしてみると正反対の事実が浮かび上がってくることがあります。最たる例が「ダブルジョパディの法則」でしょう。
要するに、小さなブランドは売上を構成する顧客数(浸透率)と購入頻度(ロイヤルティ)の両方が少なくなる、売上が二重にペナルティを受けるということです。昔からさまざまなカテゴリーで確認されている現象で、近年も数多くの報告が上げられています(Sharp et al., 2024)。
ダブルジョパディの法則で特に大事になってくるのは、次の2点だと思います。
• 大きなブランドと小さなブランドの主な違いは顧客数であり、ロイヤルティの高さはそこまで変わらない(大きなブランドのほうがやや高くなる)
• 顧客数が増えればロイヤルティも高まるが、ロイヤルティを高めたからといって顧客数が増えるわけではない(むしろ、ロイヤルティだけを高めたりはできない)
南オーストラリア大学アレンバーグ・バス研究所(Ehrenberg-Bass Institute)でディレクターを務めるバイロン・シャープ教授の『How Brands Grow(邦題:ブランディングの科学/朝日新聞出版)』以前は、多くのマーケターが逆だと考えていました。つまり、小さなブランドは「数こそ少ないがロイヤルティの高いファンに支えられている、そうしたロイヤル顧客の満足度を高めていくことでいずれ顧客数も増え、企業は成長できる」というのがむしろ通説だったわけです。
しかし、「そうはならない、エビデンス的には向きが逆だ」というのがダブルジョパディの視点であり、同書が物議を醸した大きな理由だと思います。ちなみに同研究所のジェニー・ロマニウク教授によると、ロイヤルティを高めることが浸透率の増加につながることを示す明らかなエビデンスはまだないようです(Romaniuk, 2023)。実際、アレンバーグ・バス以外の研究者も異なるデータから同様の結論に達しており、“浸透率とロイヤルティは同時に動くため、浸透率は変わらずロイヤルティだけが高くなったりはしない”といわれています(Binet & Field, 2018,p.123)。
また、あまり知られていませんが、売上の中で連動するのは顧客数と購入頻度だけではありません。実は「顧客数」と「価格」もつながっています。例えば、顧客の多い大きなブランドほど価格弾力性は小さくなり、顧客の少ない小さなブランドほど価格弾力性は大きくなります(Scriven& Ehrenberg, 2004)。簡単に言うと、小さなブランドほど値上げに伴う販売量の減少が顕著になるということです。また、顧客数と購入頻度間のダブルジョパディほど強くはないですが、顧客数と利用額の間にもダブルジョパディの関係が成立します。すなわち、顧客の少ない小さなブランドは顧客1人当たりの平均利用額もやや低く、大きなブランドになるほどやや高くなる傾向があるようです(Dawes et al., 2017)。
価格については第二部でまた詳しく説明しますが、要するに売上を構成する3つの要素──顧客数、購入頻度、単価──は全てつながっているということです。一般的にこれらは独立した変数だと思われていますが、実はそれぞれを個別に動かせるわけではなく、全て顧客数(浸透率)が起点になります。つまり、顧客数が増えるほどリピートや利用額も増え、高い価格も受け入れられやすくなっていくわけです。これがダブルジョパディの奥深さであり、シンプルな「事業成長の規則性」です。本書ではこのあと、さまざまな切り口でブランドの成長に関するエビデンスを考察していきますが、結局はこのシンプルな事実:ダブルジョパディの法則に帰結します。
ちなみに、こうした「当たり前の逆転」はダブルジョパディだけではありません。例えば、次の質問を見てください。
• カテゴリーのヘビーユーザーとライトユーザー、同じブランドをリピートしやすいのはどっち?
• 成長中の新しいブランドと衰退気味のレガシーブランド、カテゴリー利用者の購入意向が高いのはどっち?
多くの方は「ヘビーユーザーのほうがリピートしやすいだろう」「成長しているブランドのほうが購入意向は高いだろう」と考えますが、実際は逆です。カテゴリーのヘビーユーザーとライトユーザーなら、リピートしやすいのはライトユーザーですし(Dawes, 2020)、成長中の新しいブランドと衰退気味のレガシーブランドなら、購入意向が高く出るのはレガシーブランドです(Bird & Ehrenberg, 1966; Sharp, 2017)。なぜそうなるのかについては後続の章で解説していきますが、要するに、現実(データ)と理屈が異なるとき、間違っているのは理屈のほうだということです。まず、それを受け入れることです。でないと、自分が慣れ親しんだ理屈に合わせて現実の解釈をねじ曲げることになりかねません。
ゼンメルワイス反射
“事実が変われば、私は考え方を変えます。あなたはどうしますか?”──20世紀を代表する経済学者のケインズが残したとされる言葉です*。しかし、いくら科学的な証拠を提示しても変わらない人は変わりません。人間には防衛機制があるので、認知的不協和に陥った場合、「みんなと違うことを言っている人」を否定したほうが楽だからです。特にマーケティングのように属人性が高く、かつ組織で長年取り組んできたようなテーマではなおさらでしょう。
こうした拒絶反応は昔から知られており、ゼンメルワイス反射という名称までついています(Gupta et al., 2020; Schreiner, 2020)。少し話はそれますが、「手洗い」は病気や感染症を防ぐための基本中の基本ですね。しかし、そんな基本が、医者の間ですら「当たり前ではない時代」があったことはご存じでしょうか。
19世紀、オーストリアのある病院では、助産師が立ち会う分娩に比べて、医師が立ち会う分娩では死亡率が跳ね上がるという現象が起こっていました。病理解剖のときに手に付着した物質が悪さをしているのではないかと気づいたハンガリー出身の医師ゼンメルワイスが、他の医師たちに手の消毒を徹底させたところ、劇的な改善が見られたといいます。しかし、彼がこのことを医学会に発表すると猛反発を食らいます。彼の説は、当時主流だった考え方と真っ向から対立しており、いわゆる“大御所”たちから反感を買ったわけです。この時、医学会が彼をどのように非難したのか、想像に難くありません。
「自分たちの無知のせいでたくさん人が死んだなんて受け入れられない」
「ずっとそれでやってきたのに、今さら間違ってましたなんて言えるわけがない」
「X先生やY先生の論文には、そんなことどこにも書かれてない」
「もしそうだとしても、今までのやり方を変えるのは面倒だ」
結局、論文や書籍も受け入れられず、彼は失意の中で亡くなったようです。しかし、後年になってゼンメルワイスのほうが正しかったことが、フランスの微生物学者パスツールやイギリスの外科医リスターなどによって証明されます。つまり、細菌です。
科学が進歩した現在では、なぜ手を洗うのかは子どもでも知っています。しかし、「新しい当たり前」が萌芽するときには、「それまでの当たり前」を信じてきた人々からの大きな反発が起こることがあります。特に、自分の見知った常識や通説と異なる事実を突きつけられたとき、それを頭ごなしに拒絶する傾向を「ゼンメルワイス反射」と言います。こうした事例は医療に限った話ではないですね。コペルニクスの地動説やダーウィンの進化論も最初から受け入れられたわけではありません。徐々にエビデンスが積み重なり、事実を事実として認めることで科学は進歩していったわけです。では、マーケティングはどうでしょうか。
現在の取り組みが、エビデンスとは正反対の取り組みだとしても、日々の業務では誰も声を上げないでしょう。誰もエビデンスなど知りませんし、気にもしないからです。この問題が根深いのは、そうした流れを修正する動機が企業組織には自然発生しないという点にあります。有名企業の成功事例がある。ビジネス本にそう書いてある。役員が提案を気に入っている。それだけで「事足りてしまう」のが普通の企業だと思います。みんなが良かれと思ってやっていることを、積極的に疑問視したり批判したりする人はまずいません。そんなことをしても、組織に属するビジネスパーソンにとって何のうまみもないからです。
そのようにして、根拠のない「戦略ごっこ」がはびこり、事業を静かにむしばんでいきます。存在しない因果関係を基に戦略が決まり、成長に先行しない指標をKPIと思い込み、原因と結果を取り違えた施策に予算がつぎ込まれ、結果として本来得られたはずの売上から遠ざかっていくわけです。
改めて、読者に問います。
事実が変われば、私は考え方を変えます。あなたはどうしますか?
【目次】





