その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はヤーション・ホアンさんの『 中国の盛衰 試験・専制・安定性・科学技術 』です。
【はじめに】
2022年11月、新疆(しんきょう)ウイグル自治区のウルムチで発生した火災をきっかけに、上海や北京などの都市で数百人から数千人が街頭や大学キャンパスに立ち、政府の厳格なゼロコロナ政策への抗議のデモを行った。「習近平(しゅうきんぺい)は辞めろ」「共産党は引っ込め」という幾人かの叫びに、他の抗議者の声が続いた。これは1カ月前の中国共産党第20回党大会で権力を固めたばかりの指導者に対する、信じがたいまでに勇敢な反抗だった。欧米メディアの一部は、これは政権を取り巻く形勢を一変させるものとなりうるという説に飛びついた。
ある意味で、この説は当たっている。1989年以降に中国で起きた抗議行為は分散していて局地的で、しかも特定の問題に関するものだった。今回の抗議は規模が全国的であるうえ、反体制的な色のはっきりしたものであるという点において異例の展開だった。とはいえ新型コロナウイルス政策に対するこの抗議行為はあくまで抗議行為であって、運動ではない。少なくとも本書執筆時点では、まだ運動になってはいない。規模については、1989年当時の抗議者が数百万人だったのに対し、こちらは数千人程度にとどまる。コロナ政策への抗議行為の規模と抗議の対象である不満とを、つまり数億人が自宅や野戦病院に閉じ込められているという状況とを引き比べてみよう。ロックダウン(都市封鎖)は自殺や流産、また火事や飢えなどの多くの忌まわしい悪夢を招いたが、14億人の人口を抱えるその国で街頭に出て抗議したのはわずか数千人だった。今回の反発の動きは、それがどれほどの脅威になるかではなく、反発が実際に起きたということが重要である。ほかと比較するなら、中国でコロナ政策への抗議が続いていた頃、イランでは数百万人が数週間に及ぶデモを行っていた。不満の原因は、その国の道徳警察の手によって1人の女性が死亡したことである。
これが「コロナの春」ならぬコロナへの抗議だったのには、それなりの理由がある。中国の国家は信じられないほど強いからだ。わたしは長年、国家としての中国の権力と影響力、さらにはその裁量権について整合性のある説明を見つけようと努力してきた。強制とイデオロギーの植え付けが作用しているのは確かだし、おそらくかなりの程度、社会的同意の力も働いている。また過去40年にわたり、国内総生産(GDP)の力強い伸びと貧困の緩和のおかげで、中国の国家は健全な「業績に基づく正統性」を手にした。これにより中国共産党の持続力が高まったことは間違いない。
だがそれだけでは不十分である。上記の説明はそれぞれに妥当かもしれないし、特定の状況を説明するのに有効かもしれないが、包括的な説明の枠組みにはなっていない。業績に基づく正統性は改革時代の説明にはなるかもしれないが、大躍進と文化大革命についてはどうか。これらの大惨事は、およそ些細とは言えない「業績に起因する非正統性」を生み出したのではなかったか。しかも上の説明は、中華帝国の存続期間の長さに触れていない。
わたしは以下の二つの原理を守りつつ、説明を模索してきた。一つは最小限原理だ。ある変数が他の変数に比べ、関係する問いや状況への適応度が高い場合、または原因とされる変数の重要性を際立たせる場合には、その変数を採用する〔訳注:最小限原理とは、特定の事象を説明する方法が複数ある場合は、単純な説明を採用すべきだという考え〕。もう一つは近接度だ。つまり、探究の対象である実証可能な現象を説明するうえでより近い位置にある変数ほど望ましいということである。
このような道筋を経て、わたしは「EAST」という枠組みの最初の要素、「試験(examination)」を見いだした。中国と他の文明との違いを一つだけ挙げるとすれば、それは隋代(581〜618年)に初めて実施された官吏登用試験、科挙だろう。科挙は中国に恵みをもたらすと同時に、さまざまな意味で呪いを及ぼしてもいる。わたしはこうした視点に立ち、EASTの残る3要素、つまり専制(autocracy)、安定性(stability)、科学技術(technology)を解剖し、その意味を明らかにしたい。
科挙は社会を横断する形で、また歴史のなかで深く根を張ってきた。すべての領域を呑み込み、中国の少なからぬ人々からおびただしい時間と労力を当然のように吸い上げてきた。価値観と規範と理念を育み、中国人の精神の土台にあるイデオロギーと認識に影響を与えた。科挙は国家の権力と能力を増強するために設計された国家制度だった。国家は直接的に、最良の人的資本を独占した。そして間接的に、人材へのアクセスを社会から奪い、組織宗教、商業、知識人の機先を制した。歴史上の中国の国家も今日のそれも、この科挙制度の影響のもとに成り立っている。
中国の国家が強いのは、社会とは無関係に統治を行っているからだ。ここで言う社会とは、組織化され、独自のアイデンティティをもち、国家とは別個の正統性を有するものと見なされる、そうした社会を意味する。科挙は市民社会の本質的特徴である集団行動を壊滅させたり、それを未然に抑えたりする唯一の原因ではないかもしれないにせよ、重大な要因である。科挙は熾烈な競争だった。細かく仕切られた試験場での勝利は大出世につながった一方、協力、つまり科挙の文脈で言うところの不正行為は厳しく罰せられた。活力に満ちた個性的な起業家でも、集団になると中国共産党に対して無力であることを考えてみてほしい。数カ月にわたって続いた上海のロックダウン命令について考えてみてほしい。もしも2500万人の上海人のごく一部が協調して、公然の、あるいは暗黙の抗議行動を起こしたなら、国家は警察の規模のいかんに関わらず、なすすべをもたないだろう。
わたし自身は、本書の記述を興味深い推測と考えているが、それを空想的と言う向きもあるかもしれない。たとえば、わたしの扱う論題が幅広いことに批判が上がるおそれもある。本書で言うEASTは地理的な「東」を意味しているのではなく、探究の対象となる四つの論題を指す。さらに、わたしは歴史と現代とのあいだを行き来する。この本の扱う論題はたしかに多岐にわたっている。内容が野心的であるのも、意図してのことである。
通常の学術論文は、一つの論題を深く掘り下げる形をとっている。わたしが考えるに、書籍は査読付き学術誌ではもはや取り上げることができなくなった壮大な論題に取り組む方法を与えてくれる。専門性の著しく高い論文にはしかるべき場所があるが、専門分化が進んだこと、また学術誌掲載のハードルが非常に高く多様であるがゆえに、壮大な考えを提供する機会が不十分になる、という弊害が生まれている。壮大な論を述べる数少ない方法の一つが書籍である。わたしが目的を達成できたかどうかの判断は、読者にお任せしたい。本書では、過去と現在の事実やできごとを理解するための土台となる考えを示すつもりである。
目の前には大きな論題がある。コロナ政策への抗議は、何億もの人々が痛切な経験を共有したという点から見て、流れを変えるできごとだとわたしは考えている。歴代帝政と中国共産党の頑強さは、人々のあいだに細かく線を引いて個々を孤立させ、集団行動を事前に抑える能力によるところが小さくない。コロナ政策への抗議は転換の前兆となるのか、また、とくに社会で不安や恐怖が高まる状況において、抗議は長期的にどのような影響を及ぼすのだろうか。本書の執筆時点では、いくつかの問題や状況はまだ流動的で進行中であるため、わたしは正確に捉えることができていないかもしれない。また、すべてのチャンネルとメカニズムを正確に捕足できてはいないかもしれない。この本がさらなる議論のきっかけになるならば幸いである。
わたしは初期の草稿の一部を、おもに以下でのセミナーやパネルディスカッションで発表した。経営学会年次大会、政治学会年次大会、アジア歴史経済学会年次大会、コロンビア大学、ジョージタウン大学、ハーバード大学、香港大学、イリノイ工科大学、ジョンズ・ホプキンズ大学、プリンストン大学、ロンドン大学東洋アフリカ学院、スタンフォード大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校、ペンシルベニア大学、南カリフォルニア大学、ビクトリア大学、ワシントン大学、ウェスタンミシガン大学、機関調査・世界学際ネットワーク年次大会。
また、わたしは長年のあいだ、友人や同僚と幅広い論題について会話を交わしてきた。予想外の方面から出てきた考えのいくつかを本書に盛り込んでいる。何人かの方は科挙に関するわたしの初期の研究についてコメントをくださり、また何人かはセミナーであれこれの質問を投げかけた。さらに、本書の執筆のきっかけをつくり、議論の組み立てについて示唆となる本を書いた方もおられる。以下にその一部をご紹介して感謝の気持ちとさせていただきたい。シージー・チェン、ドナルド・クラーク、ジャック・ドリール、パトリシア・イーブリー、フランシス・フクヤマ、ジャック・ゴールドストーン、ジョゼフ・ヘンリック、謝昌泰、賈瑞雪、ビル・カービー、ジョエル・モキイア、イアン・モリス、バリー・ノートン、リチャード・ニスベット、故ロン・マクファーカー、フィオナ・マレー、ソーニャ・オパー、裴敏欣、エリザベス・ペリー、メグ・リズマイヤー、トニー・セイチ、ウォルター・シャイデル、スーザン・シャーク、リリー・ツァイ、アシュトーシュ・ヴァーシュニー、故エズラ・ヴォーゲル、王裕華、クレア・ヤン、マドレーン・ゼーリン、エズラ・ザッカーマン。他の研究仲間にも原稿を送ったのだが、コロナ禍の影響で出版までのスケジュールがきつくなったため、校正に入る前にその方々のコメントを取り入れることができなかった。原稿を読んでくださった皆さんに感謝申し上げる。
中国でわたしのために歴史の知識やデータの収集を手伝ってくださった研究者が何人かおられるが、本書の大まかな理念や現代に関する記述については、この方々の関知するところではない。そのなかに原稿を読んだ方はいない。中国の現在の政治状況に鑑み、安全のためここにお名前を挙げないことをお許しいただきたい。データベースの構築、文献レビュー、ファクトチェックを手伝ってくれた多くの研究助手についても同様である。
本書の刊行にいたる過程で、多くの人々のお世話になった。ハーバード大学のフェアバンク・センター図書館のナンシー・ハーストは、本書の一つひとつの部分について力を貸してくださった。彼女は初期の草稿の編集を担い、間違いを修正してくれた(わたしは時々同じミスを繰り返したのだが)。このデジタル時代にあっても、彼女のいる図書館は現代中国に関する史料の比類ない宝庫である。彼女には深く感謝している。わたしはこの歴史研究を、まずは科挙に関する課題から始めたが、この論題に取り組む人の多くは、ハーバード大学のピーター・ボルが監督役を務めるデータベース・プロジェクトの恩恵を受けている。ありがたいことにボル教授は時間を割いてわたしと共著者にデータベースの構造と内容について説明してくださり、おかげでわたしたちはこの貴重な史料を最大限活用することができた。この本の刊行までに多大な協力をしてくださったイェール大学出版局の方々にも、本当に感謝している。なかでも、セス・ディチックとアマンダ・ガーステンフェルド、ジュリー・カールソンが本書に興味をもち、てきぱきと企画を進め、すばらしい編集手腕を発揮してくださったことは、大変ありがたく感じている。なお、月並みな注意書きではあるが、上記の方々のご協力にもかかわらず誤りが残っているなら、それはすべて著者の責任である。
【目次】


