その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中澤克二さんの『 極権・習近平 中国全盛30年の終わり 』。その「序章」です。
【序章】
衆目にさらされた宮廷政治劇
中華帝国の皇帝が住んだ北京・紫禁城に隣接するのが、共産党要人の執務地、中南海だ。
普段はその奥深くで秘密裏に繰り広げられてきた宮廷政治劇が、2022年10月22日、はからずも外国人記者のカメラが入った場所で起きてしまった。
69歳の共産党総書記、習近平は自らの3期目に道を開く晴れ舞台がぶち壊しになったことで、怒り心頭だった。
能面のように凍り付いた表情で宮廷政治劇の主役を演じ切ったのは、前共産党総書記で79歳の胡錦濤である。端正な顔立ちこそそのままだが、白髪が目立ち、眉まで白い。
習はあくまで脇役にすぎない。習は究極の権力集中によって「極権」を手にしたものの、恩ある前任の長老を「体調不良」という理由で、第20回共産党大会の閉会式から途中退席させるしか術はなかった。
習は胡錦濤の健康状態を完璧に把握していたはずである。後に詳述するように、建国の父、毛沢東は、首相として支えてくれた周恩来が、膀胱ガンにかかったことを本人より先に知っていた。
半世紀前と仕組みは違うが、今も共産党中央保健委員会が毎日の健康診断で長老ら全要人の体調を厳格に管理し、大問題があればトップに真っ先に報告される。
胡錦濤が党大会に出席を許されたということは、その場で倒れるような根本問題はないとの判断だったのは間違いない。
持病による能面のような表情、身体のこわばりが臆測を広げたが、そこから認知能力は判別できない。胡錦濤の退出時に登場した「黒服」が、待機している医師ではなかったのも、心臓や脳に急を要する症状がなかったことを意味する。
習は既に強い「王権」を手中にしたのに、それでは飽き足らない。いまだ中原(ちゅうげん)に鹿を逐(お)うかのように終身制という高みを狙っていた。毛沢東の地位だった共産党中央委員会主席(党主席)の復活である。その布石が難解な「二つの確立」という中国共産党独特の政治スローガンだ。
かつて人民大会堂の席に座ったこともある人物は、厳しい情報統制のなか、漏れ伝わってきた「胡錦濤劇場」の現場の実情をこう再現する。
「(閉会式の)あの日は(人民大会堂のひな壇に座る要人らの)誰もが示し合わせたように『健康が優れない』胡錦濤と目を合わせないようにしていたんだ。すれ違いざまに目が合えば、『聞きたくない話』に付き合わされ、自分が政治的に危うくなる」
まるで胡が要注意人物で、腫れ物に触るかのような扱いだ。
ポイントは「聞きたくない話」という部分である。ずばり習近平への不満もにじむ胡錦濤の本音の嘆きという意味だ。習が全権を握った今、長老と話すのさえ危険な行為になった。だから誰もが胡錦濤を避け、身体がままならない長老への気遣いをみせることもなく冷たい態度をとる。彼と話してはいけないのだ。
おかしい。10年前まで厳しい規律が特徴の共産党トップだった人物が、習の晴れ舞台で不満を示すことなどあるのだろうか。あり得ない。そもそも長老は公の場で気ままに発言などできず、内輪でも現トップの権威を傷付けないよう振る舞うものだ。
ところが、その「あり得ない」ことが起きそうだった。まれにみる異様な宮廷政治劇を読み解くキーワードは「体調」と「本音トーク」だ。
胡錦濤は確かに体調不良だった。そして、不良だからこそ遠慮のない本音の嘆きが出ることもある。
少なくとも、あの場にいた面々は、後に国営通信の新華社が、中国の庶民はみることのできない英語版公式ツイッターだけで「胡錦濤は体調が優れなかった」と説明した本当の意味を知っていた。胡錦濤がストレートに「本音トーク」をしかねない、という危うい状態である。
例えば、人は酔い潰れたときなどに本音を吐き、遠慮のない行動をとる。深層心理がそのまま表れるのだ。
「閉じてください(中国語で『合上』)」
当時、共産党ナンバー3だった隣席の栗戦書から紅いファイルを閉じるよう何度促されても、抵抗した胡錦濤。病ゆえに表情を崩すことさえできない前総書記の心の中の闇が透けてみえる。
習と40年の付き合いがある最側近、栗戦書が大汗をかくほど焦る大異変だったのは明らかだ。
世界中のテレビ、ネットニュースを席巻した「胡錦濤劇場」とはいったい何だったのか。宮廷政治劇の主題は、舞台裏に隠された激しい権力闘争である。それは中国共産党がすべてを支配する中国の歴史的な転換点にさえなりうる。
党大会閉幕から1カ月。中国のオフィシャルなすべてのインターネットサイトから、習に対する最大の尊称だった「人民の領袖」が消された。毛沢東を思わせる「人民の領袖」を冠した習礼賛のテレビ番組はすでに削除され、見ることさえできない。異変である。
【目次】
