街の書店が減っていくなかで、品ぞろえや業態を変化させながら、生き残りを図る書店も少なからず存在する。埼玉県さいたま市岩槻区にある老舗、「水野書店&Cafe mao-mao」もそのひとつ。旧岩槻藩の御用商人の時代から、炭や筆などとともに本も扱っていた。1872年(明治5年)の学制発布の際、埼玉県の小中高校教科書を扱う指定書店となり、今も学校向け直販が経営を支える。2019年には店舗の半分をカフェにし、大幅刷新。商品構成を児童書や郷土史の本、雑貨等にシフトさせ、地元の人が集うコミュニティーの拠点として生まれ変わった。広報担当の水野時枝さんと、時枝さんの夫で、水野書店会長の水野兼太郎さんに話を聞いた。
創業は1872年
水野書店は明治初め頃創業の老舗です。お店の歴史はどこまでたどれますか?
水野時枝さん(以下、時枝さん) 水野家の祖先が岩槻に住むようになったのは1600年前後です。1590(天正18)年に、徳川家康が江戸に入り、三河時代から徳川家の譜代だった家臣の高力清長(こうりき きよなが)が岩槻城に入城した時、一緒に移ってきました。藩の御用商人としてお城回りの仕事を請け負い、炭や紙、筆、書籍なども扱っていたようです。
家系図などの記録が残っているのですか?
時枝さん 商家には代々当主の位牌(いはい)があるので、それで分かります。位牌といっても木札のようなものですが。幕末にはそば屋をやっていたこともあり、大きな皿などの食器類も残っていました。
1871(明治4)年の廃藩置県で、川越藩、忍(おし)藩、岩槻藩などが統合されて埼玉県になりました。当初は岩槻に県庁舎ができたのですが、わずか1カ月で浦和に移ったそうです。
1872(明治5)年の学制発布の際、「おまえのところは本を扱っていたのだから、教科書もやりなさい」と、学校教科書を扱う取次販売所となりました。当時県内に4つの指定書店がありましたが、今残っているのはうちだけです。
現在も学校教科書が売り上げを支えているのですか?
時枝さん はい。本の売り上げの多くが学校向け直販です。現在はさいたま市岩槻区を中心に、小学校・中学校27校、高校3校を受け持っています。教科書とともに各種教材、図書館向けの書籍も扱っています。息子(水野哲志さん、水野書店社長)が、学校向け直販を担当しています。今は集金の季節にあたり、忙しくしています。
地元に愛されるカフェに
2019年にCafe mao-maoを開業、大きな転機を迎えますね。
時枝さん 少子化が進んで、学校向け教科書の需要も年々減りつつあります。書店の将来に希望を持てなくなるなかで、15年ぐらい前から、打開策を考えるようになりました。売り上げ減や後継者難など同じ悩みを持つ書店の方々とFacebookでつながっていたので、親睦旅行を兼ねて広島、兵庫、大阪、奈良、愛知などの書店を訪ね、意見交換を重ねました。
私は学生時代にカフェでアルバイトをしたことがあり、カフェを併設するのはどうかと考えました。当時埼玉県にはブックカフェがなく、東京・昭島市にあるブックカフェ、マルベリーフィールドを見学させてもらいました。
アルバイト経験があったといっても、カフェ経営はまったくの素人。地元のお客様に来てもらえるカフェにするにはどうすればいいのかと、コミュニティーカフェの勉強会にも参加しました。かつて水野書店で教科書を購入された方々のお子さんやお孫さんの世代が集まるような店、地域の方々に喜んでいただける店とはどんなものなのか、いろいろとシミュレーションをして、そのイメージを具体化し、絵に描いてみました。
また、地元でさまざまな活動をしているグループのところに夫と二人で出掛けていって、実地体験をしました。約10年かけて準備をし、2019年12月にカフェを開業。ところが、すぐに新型コロナウイルス禍となってしまい、しばらくは大変でした。
お店のFacebookを拝見すると、楽しそうなイベントをたくさんやっていますね。
時枝さん 毎月行っているのが、絵本のおはなし会です。書店の奥のスペースに椅子を並べて会場にし、地元の絵本専門士のグループの方にお話しいただいています。
また、絵本作家の講演会・サイン会、ものづくりやアートのワークショップ、声楽とピアノのコンサート、岩槻でロケをした映画の上映会、歴史教養講座、スマホの使い方相談会など、それこそ、さまざまな企画を催しています。毎年11月には岩槻鷹狩り行列という行事が店の前の通りで行われます。24年は駐車場のスペースを使って、地元のクリエイターに作品のブースを出してもらい、販売会を行いました。
岩槻関連の書籍やグッズ
お店に入るとまず目にとまるのが、岩槻関連のコーナーです。
時枝さん これは岩槻城の「御城印」です。「御城印」とはお城版の御朱印のようなもので、これを集めるためにお城好きの方たちがやって来ます。
岩槻は、他の地域のように組織だった観光振興策は行われていませんが、個人のレベルでいろいろな町おこしが始まっています。我々はグッズ販売やイベントなど提案があれば、当店に合うものかどうか吟味して場所の提供をしています。
“着せ恋”ファンも来店
これは岩槻を舞台にした人気マンガ『その着せ替え人形は恋をする』(福田晋一著/スクウェア・エニックス)です。実家が老舗人形店で、ひな人形の頭を作る頭師(かしらし)になるのが夢の男子高校生と、コスプレ好きの女子高校生が登場します。テレビアニメ化され、実写ドラマにもなりました。埼玉県はアニメを活用した観光振興に取り組んでいまして、岩槻にも聖地巡礼に訪れるファンがたくさんいらっしゃいます。
絵本や子ども向けの本も充実していますね。
時枝さん 子ども向けの本は私の担当で、出版文化産業振興財団(JPIC)の読書アドバイザーの資格もとって、絵本の仲間たちの力も借りながら、季節ごとに棚作りをしています。岩槻は大宮から東武線で10分ぐらいですが、家賃は大宮より平均2万円くらい安く、子育て世代のベッドタウンになっています。店内にはお子さんが遊べるスペースもつくりました。毎月のおはなし会の後は絵本がよく売れ、売り上げを支えています。
平積みの本が多い印象ですが、19年のリニューアルでは扱う本の数を減らしたのですか?
時枝さん そうですね。在庫は半分程度に減らし、その分回転が良くなるようにしました。今、在庫は1500部ぐらいまで減らしています。
ここで時枝さんの夫で水野書店会長の水野兼太郎さんがいらっしゃったので、話を聞いた。
全国からやって来るお城ファン
歴史の本の売れ筋はどれですか?
水野兼太郎さん(以下、兼太郎さん) この『太田資正と戦国武州大乱 実像と戦国史跡』(中世太田領研究会著/まつやま書房)がよく出ますね。太田資正(すけまさ)は岩槻の有名な武将で、太田道灌のひ孫といわれています。資正は上杉謙信のもとで修業をし、関東で最も信頼のおける武将という評価を受けました。
『玉隠と岩付城築城者の謎』(柴田昌彦・中世太田領研究会著/まつやま書房)も面白いです。岩槻城は太田道灌が造ったという説を展開しています。
岩槻城にはもともと天守閣はなくて、今も門と土塁と掘割が残っている程度ですが、老若男女のお城ファンが全国からやって来ます。この差し込み式の御城印帳は、地元の方が制作したもので3300円するのですが、結構売れますね。
以前は日曜を休みにしていたのですが、御城印を目当てに岩槻にやって来たお客様が、シャッターの下りた当店の写真をSNSに載せるのに気づいて、水曜休みに変更しました。
店前の通りは日光御成街道
兼太郎さん 店の前の道は日光御成街道といって、徳川の歴代将軍が日光社参に使った道です。日光街道は千住、草加、春日部を通りますが、御成街道は、本郷から出て中山道と分かれ、王子、岩槻、古河、宇都宮を経由して日光へ向かいます。岩槻は江戸からの一泊目の宿場にあたり、岩槻城の本丸御殿に将軍が泊まりました。将軍の行列というと、それこそ一族郎党、10万~20万人もの規模になったそうです。
岩槻が人形の街になった由来は何でしょうか?
兼太郎さん 日光東照宮に行った職人が帰り道、岩槻に定住したのがきっかけといわれています。人形生産がとりわけ盛んになったのは明治以降、特に戦後ではないかと思います。
水野さんが小さかった頃、このお店はどんな感じだったのですか?
兼太郎さん 土蔵造りの商家そのままの建物で、座敷から店の前までひとつながりになっているようなスタイルでした。
これは昔の看板です。代々の屋号は水野武平商店といいました。ここには「鉄砲、火薬、文具、書籍、印刷」とありますが、私の小さいときには確かに鉄砲があったのを覚えています。
これからやっていきたいことはありますか?
時枝さん このビルの2階は私たち家族が住んでいて、3階は空いています。なので次の課題は3階の活用です。コワーキングスペースにしようかとか、防音にして音楽スタジオにしようかとか話し合っているところです。
兼太郎さん 本だけでやっていくのは難しい時代になりました。とにかく売れるものはなんでも売っていこうという精神でやっていこうと思います。
取材・文/桜井保幸 写真/木村輝
参考サイト 水野書店& Cafe mao-mao ゆったりとおくつろぎ頂けるカフェスペース mao-maoを併設した書店【フォトギャラリー】





















