「明治初年より大正・昭和・平成、そして令和と、長い時代の変遷を中央通りの栄枯盛衰とともに歩んでまいりましたが、諸般の事情によりその歴史を閉じることにいたしました」。2019年12月、長野市の「 朝陽館荻原書店 」が閉店した。再建を託されたのは婿養子の荻原英記さんだ。2年の準備期間ののち、カフェを併設し、本とともに物販も行う「 書肆(しょし) 朝陽館 」として再スタートした。荻原店主に、リニューアルの経緯と狙い、これからについて伺った。

婿養子が老舗書店を再生
リニューアルオープンの経緯を教えてください。
「私がこの店に初めてやって来たのは2018年。『朝陽館荻原書店』6代目にあたる荻原陽子を知人に紹介され、実家の書店を立て直してほしい、と依頼されたのがきっかけです。
私は書店勤務や経営の経験がまったくなく、当初は乗り気ではありませんでした。しかし、東京・神楽坂のかもめブックスや下北沢のB&Bなどいくつかの書店に通っていたこともあり、個性のある店づくりができれば書店を残せるのではないかと考えていました。東京・長野間で陽子と長電話するうちに、やってみようと決意しました。その後、陽子と結婚、婿養子として店の再建を担うことになります」

「2年かけて経営状況や会社組織を調べていきました。累積赤字があって、このままでは立ち行かなくなることを家族に説明し、清算を決めました。19年の大みそかに店を閉めましたが、それに先立ち6月に私と陽子は入籍しました。
正直言って、その時は本当に復活できるのか不安でしたね。定期収入はなく、蓄えも乏しいなかで、夫婦2人で店の内装を撤去し、壁や床を張り直し、書棚や家具を作っていきました。新型コロナの影響で予定は少し遅れましたが、2021年12月、再オープンにこぎ着けました。
私はデザイン系の美大出身で、コマーシャルの制作や牧場の経営管理などさまざまなマネジメント系の仕事をしてきました。店のトータルイメージやコンセプトは私がつくり、妻と相談しながら具体化していきました。
時間の経過にあらがうのではなく、その積み重ねが味になるようにと、店の素材にはこだわりました。床には磁器のタイル、書棚やテーブルにはタモの無垢(むく)材を使用しました。材料費が高くつく分、工事や製作を自分たちで行うことでコストを抑えています」

70坪の店をどう立て直すか
かなり大きなお店ですね。
「床面積は約70坪あります。もともとはカフェ部分ぐらいまでが店舗で、その奥は住居でしたが、97年に拡張。当時、近くにあったダイエーにも2号店がありました。この年は長野五輪の前年で、長野は好景気が続いていました。最初はよかったのですが、その後はずっと右肩下がりで売り上げが減っていきました。
書店というのは公共的な役割を期待されることが多いのですが、ビジネスとして成立しなければ、市場から退出を求められるのは当然です。夫婦2人で書店をやっていくには20坪、30坪が適正なのかもと、一時は減築も検討しました。しかし、義父から引き継いだ資産を何とか活用しようと、本だけでなく、本から派生するサービスを網の目のように広げる、物販とカフェ、さらにWeb(準備中)でも本と雑貨を一緒に扱うことで、収支を合わせることができると考えました。
現在は荻原家に家賃を納めながら、夫婦と社員1人、来年社員になる予定の従業員、アルバイトで店を回しています。今は赤字で、家族には十分な給与を払えていません。しかし、書籍の売り上げはリニューアル前に比べると7~8倍に増え、手応えを感じています」
お店を案内していただけますか。
「この地域は東京でいえば大手町みたいなところで、人口が少なく子どもの数が減っています。小さい頃は絵本を手に取っても、その後マンガやアニメ、ゲームに行ってしまいがちです。少しでも本を読む習慣を持つ子を増やしたいと、読み物を多く置いています。

『ジュニア向け新書』にも力を入れています。世の中はどうなっているんだろう、どうできているんだろうという疑問に答えてくれる本をそろえています。意外なことに、SDGsやニュートリノ、憲法などさまざまなテーマの本を、親が子どもに教えるために買っていくというニーズもあるようです」

文庫棚のこだわり
文庫の陳列が独特ですね。


「岩波文庫も、面陳(表紙が見えるように展示)と棚差しを交互にすることでイメージがまったく変わります。ここの棚は収容力の5割ぐらいしか置いていません。もともと開店する時に仕入れる本が足りなかったことが、こうした展示を始めたきっかけですが、本一冊一冊をお客さまに案内するという点では一役買っています。うちは旅行客も多いので、旅のお供に求めやすい文庫を多くそろえています。
文庫は古典や名作を中心にそこから関連する比較的新しい本を並べます。大人になってお酒を飲みながら語り合うときに思い出すようなタイトルや、100年、200年と読み継がれた物語に触れられる場にしていきたいと思います」
本とモノを一緒に陳列するという意味では蔦屋書店を連想します。


「蔦屋書店とうちとでは、資本力も企画力も大きく違いますし、置いている本も異なるのですが、銀座店に似ていると言われたことはあります。恐れ多いことですが。私個人と従業員の力で、本を起点に、本とモノの物語性をどこまで提案できるかが勝負だと思います。例えば、ストウブ鍋とそれを使った料理レシピの本を一緒に販売したり、ミツバチの本と地元で採れた蜂蜜を扱ったりしています。いずれは料理家を招いたイベントも開催しようと思っています」
昔の朝陽館はどのような店だったのですか?
「いわゆる普通の街の本屋です。同じ情報や知識を全国どこでも同じ価格で提供することが書店業界に求められていましたので、他の書店と同じような本棚を使い、同じような本や雑誌が並び、全てのジャンルの本が、売り場面積に合わせて並べられる。金太郎飴書店と言われるゆえんですが、店の個性を立たせることが難しかったです。
さらに遡ると、朝陽館は書店としては明治元年創業ですが、それ以前から商店をやっていて、雑貨や道具類を扱い、質屋的なこともしていました。そうしたなかで高級品だった本を扱い始めました。善光寺の門前なので、経本が特によく売れたそうです」


「当時は交通機関が発達していませんでしたので、本を運ぶのが大変でした。そのため地方の書店は、都市部で売れた本の版木を入手して、自ら印刷・製本をし、販売していたそうです。印刷が終わった版木は他の地域の書店に回ってしまいますが、1枚だけ火鉢のカバー用に使われていたものが残っていました。
今は店で売りたい本を注文しようとしても、絶版・品切れ重版未定の本が多いため、古物商の資格を取って古書を扱おうかと考えたこともありました。しかし、新刊だけが、本の作り手に利益を還元できることを思えば、新刊にこだわりたい。そこで、絶版になっていて店で売りたい本を、自ら復刊し、販売してみたいと考えています」
それは素晴らしい試みですね。製造小売業への道です。
「実は、1冊復刊できないかと権利関係を調べてもらっている本があり、準備しています。
店にある大半の本は、ネット書店でも購入できます。実際、店頭で欲しい本を見つけネットで購入する人も多いでしょう。店オリジナルの本をつくることができれば、それを避けられますし、利益率の向上にもつながります。これは明治以降、朝陽館がやってきたことに重なるので、ぜひ挑戦したいと思っています。
歴史を振り返れば、本を売るだけでなく、本の製造も行い、雑貨も扱っていました。本に限らず、地域の生活により密接に関わってきたこの店だけの物語を垣間見ることができます。明治時代にはなかったデジタル技術の発達や細やかな流通をうまく使えれば、私たちができることはもっとたくさんあるのではないでしょうか。この書店をもっと楽しい場所にし、人と人が関わる拠点として再生できると考えています。これだけの歴史があったからこそ、再生へのヒントがこの店にあったのだと感じています」
長野市は、書店ライターの和氣正幸さんが提唱するブックトラベル(書店巡りを目的とした旅)にも最適の街だ。書肆 朝陽館の近くには、倉庫を改装した古書店「 遊歴書房 」、編集者とデザイナーが始めた新刊書店「 チャンネルブックス 」、また、日本最古級の木造映画館「長野相生座・ロキシー」もある。朝陽館を起点に、善光寺詣でと合わせ周遊してみてほしい。
文 桜井保幸/写真 木村輝
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