中東地域研究者で日本女子大学教授の臼杵陽さんが選ぶパレスチナ問題を知るための本、3回目は自著『イスラエル』と『世界史の中のパレスチナ問題』。イスラエル・パレスチナは深刻な宗教、民族の対立が続く一方で、様々な移民の文化が混在するモザイク社会になっている。通史を学ぶことで、今起きていることの複雑な背景をきちんと捉えたい。
第1回
「イスラエル・ハマス衝突 小説からパレスチナ人の苦悩を知る」
第2回
「パレスチナ人作家サイードはなぜ日本でよく読まれているのか」
イスラエルの近現代史を詳細に解説
2023年10月7日、ガザ地区を実効支配するイスラム組織、ハマスがロケット弾を発射して数多くの人質を取り、イスラエル軍が報復に出たことで、改めてパレスチナ問題の深刻さが浮き彫りになりました。
約2000年前、ユダヤ王国が滅亡、ユダヤ人はディアスポラ(離散の民)となり、「自分たちの国をつくる」ことが悲願となりました。1947年、国連総会で「パレスチナ分割決議」が採択され、ユダヤ人が受託したことを契機に、1948年イスラエル建国が宣言されました。
しかし、エジプト、イラク、シリア、レバノンなどのアラブ連盟はアラブ人の居住地域が分割されることに反発し、同年、パレスチナ戦争(第1次中東戦争)が勃発します。その後、1967年の第3次中東戦争では、イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区を占領。1993年にイスラエルとパレチスナの紛争を終わらせるべく開かれたオスロ合意では、パレスチナ自治区においてパレスチナ人による自治が認められることになりました。
そうした複雑な経緯を通史として振り返りたいと思い、私が執筆したのが『 イスラエル 』(岩波新書)です。日本ではユダヤ人の歴史というと、旧約聖書の時代から古代ローマ帝国によって王国が滅ぼされるまでを書いた本が多く、19世紀末以降のシオニズム(世界に離散したイスラエル人がパレスチナの地に祖国を建設しようとする運動)やイスラエル建国前夜、建国後のことについてはあまり触れられていないことも執筆のきっかけとなりました。
私はエルサレム・ヘブライ大学トルーマン平和研究所の客員研究員として、エルサレムで過ごしたことがあります。当時の研究テーマは「イラク出身のユダヤ人がどのようにイスラエルに移民をし、生活しているのか」でした。
イスラエルの建国は1948年ですが、イラク系ユダヤ人は1949年から1950年頃という比較的早い段階にイスラエルへ移住してきました。イラク系ユダヤ人は他のアラブ諸国から来たユダヤ人よりも教育水準が高く、イスラエルにおけるアラブ研究も彼らが主体となって進められました。
イラクからイスラエルに移住し、イラクを題材にした作品を書き続けたサミー・ミハエルという作家がいます。彼の移住プロセスが私の研究テーマと重なっていたこともあり、何度も会って話を聞かせてもらいました。
そうした中で感じたのは、イスラエルは「ユダヤ人にとって悲願の祖国」ではありますが、実際にはモザイクのような多文化・多民族国家であるということです。サミー・ミハエルもイスラエル国民ですが、アラビア語で教育を受け、アラビア語も話せます。
食べ物一つ見ても、イスラエルではユダヤ人がつくったとされるベーグルのみならず、中東発祥のファラーフェル(ひよこ豆のコロッケ)やピタ(円形のパン)もよく食べられています。アラブの文化が入り込み、どこまでが「アラブ」で、どこからが「イスラエル」なのか区別するのは非常に難しいと感じました。
とあるイラク系ユダヤ人女性は、ドイツ系のテレビプロデューサーと結婚しましたが、「家庭では中東の食べ物を食べている」と言っていましたし、あるイスラエルの政治家も「外食するならアラブ料理のレストランが安くて、おいしい。高くてまずいのは東欧料理のレストランだ」そうです。
一方で、ユダヤ人としての誇りを忘れないために、イラク系ユダヤ人は「自分たちがどうやって移住してきたか」を子や孫に語り継ぎ、パレスチナ人と区別するためにキッパ(ユダヤ教徒のかぶる帽子)を着用している人もいます。
イスラエルは「対パレスチナ」「対ハマス」となると一致団結しているように見えますが、実はその内部には様々な民族や文化が含まれているということを、本書から読み取ってもらえればと思います。
パレスチナ問題を世界史の中で捉えた書
そして、パレスチナ・イスラエル問題を古代から現代に至る世界史の中に位置づけたのが、『 世界史の中のパレスチナ問題 』(臼杵陽著/講談社現代新書)です。そもそも、なぜパレスチナという地が問題になるのか、エルサレムという土地にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教がどのように関わり、反発してきたのかという歴史をひもといています。また、現在に至るまでの問題点を「アラブ・イスラエル紛争の展開」「パレスチナ問題と日本」といった15講に分けて解説しています。
「章」ではなく「講」となっているのは、私が教えていた日本女子大学の講義で使っていたためで、なるべく詳しく、分かりやすく書いたつもりです。
パレスチナ・イスラエル問題は2カ国間だけでなく、周辺国や米国の思惑もからみ合っており、もはや「パレスチナ人のためのパレスチナ国家を樹立すれば解決できる」といった状態ではありません。
たとえイスラエル軍がハマスを排除したとしても、第2、第3のハマスに代わる武装勢力が現れ、同じことの繰り返しになるでしょう。なぜ、ハマスが勢力を維持できているかというと、結局は支持するパレスチナ人がいるからです。今のハマスはテロ行為を行う武装部門が目立ちますが、一方ではイスラム教的な考えに基づき、貧しい人に対して医療や食料、教育支援なども行っているため、一定の支持を集めています。ハマスに参加する世代には若い人が多く、イスラエルが抑えつければ抑えつけるほど、かえって不満が蓄積され、報復活動に結び付くように思います。
ガザは豊かな農業地帯
パレスチナ自治区のガザは、第1次中東戦争が起きた1948年から第3次中東戦争でイスラエルが勝利を収めた1967年までエジプトの統治下にあり、エジプトとの関わりも深い地区でした。今、ニュース映像に映るガザはがれきの山ばかりかもしれませんが、古くから交通の要所として栄え、イチゴなど農作物の栽培も盛んな豊かな土地でした。今回の戦争で農作物の輸出もできなくなるでしょう。「天井のない監獄」で暮らす人々の命が心配です。
パレスチナ・イスラエル問題を考えるには、周辺国とその歴史も見ていく必要があります。例えばレバノンにもパレスチナ難民がいます。ヨルダンのパレスチナ難民は難民キャンプに住んでいますが、ヨルダン国籍と選挙権が付与されています。そのため、ヨルダン政府としては「パレスチナ人は国内には存在せず、難民問題も存在しない」という見解です。シリアでは国籍は付与されませんが、居住権は与えられています。こうした複雑な背景を考える入り口として、今回ご紹介した7冊を手に取ってもらえれば幸いです。
文/三浦香代子 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/小野さやか


