もしかしたら、発達障害かもしれない──子ども、身近な人、自身について、そんな不安と生きづらさを感じていたら、まず手に取ってほしい『発達障害大全 「脳の個性」について知りたいことすべて』。ありそうでなかった「発達障害の教科書」として、多くの人に読まれています。本書の著者であり、発達障害を持つ息子を育てる黒坂真由子さんを迎え、お話を伺います。今回は2回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)
100人いれば100通りの「脳の個性」
尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 『 発達障害大全 「脳の個性」について知りたいことすべて 』の2回目は、本書の序章である「『発達障害』とは、何か?」からお伺いしたいと思います。
その前に、この本のサブタイトルには「『脳の個性』について知りたいことすべて」とありますが、「脳の個性」とは、どういうことなのでしょう。
黒坂真由子(以下、黒坂) 「発達障害とは何か」を知りたくてこの本の基となる連載を始めましたが、結局終わってみても「発達障害とは何ですか」と聞かれると、一言で答えるのが難しいと思っています。
一般的には、主に注意欠如多動症(ADHD)、自閉スペクトラム症(ASD)、学習障害(LD)の3つが発達障害としていわれていますが、100人いれば100通りの発達障害があると、連載を通して本当によく分かりました。ということは、やはり一人ひとりの「脳の個性」といえるのではないかと。この言葉自体は、大人の発達障害に詳しい岩波明先生がおっしゃった言葉です。
尾上 一人ひとりでそんなに違うのですか。
黒坂 そうですね。発達障害とは、総称や概念というか、そういうものだと思います。「色」に例えると、色は総称で、そして赤、青、黄色などがあったとして、濃くて真っ赤な人もいるし、薄いピンク色っぽい人もいるし、他の色が混ざることもあり、ADHDとASDが混ざると両方の特徴が見えなくなることもあります。どの要素がどう混ざり、色濃く出ているのかは自分も周囲も分かりにくいときがあります。
尾上 周囲が見て判断できないとすると、本人がある程度判断や理解をしないといけないということでしょうか。
黒坂 小児科医の高橋孝雄先生は、小児科での発達障害の本質を「発達が進むに従って、次第に明らかになってくる日常生活上の困難さ」と言っています。つまり本人が困難と感じるかどうかなので、主観に左右される部分が大きいと思います。子どもの場合は、親御さんが大変さを感じ取ることが必要ですね。
例えば、尾上さんと私が同じ性質を持っていて、同じような困難さを抱えていたとしても、尾上さんの会社は理解があり、制度も整っていて、似たような人もたくさんいて、働きやすい──となると、尾上さんが病院に行って診断を受けることはなかなかないかもしれません。だから、発達障害と診断されることもない。
でも、私が同じ症状を持っていて、サポートも理解もない職場にいたとすると、苦しくなって病院に行くかもしれない。そうなると、なんらかの診断が下されることになります。まったく同じ人が2人いても、診断される人とされない人に分かれてしまうのです。
様々なライフステージにおいても、環境とうまく適応しているときや、周りのサポートがあるときには診断されなかったけれども、社会に出たり、勤め先が変わったりして環境が変わると困難が生じ、診断が下ることがあります。
本人ではなく、環境や方法を変える
尾上 ADHDの場合、例えば小学校に入って教室の中でじっと座っていないといけないときなどに、困難が発覚する。でも、そういう環境でなければ、発達障害と認識されないこともあるということですね。
黒坂 学習障害も、読み書きできる人が人口の半分くらいという時代であれば、問題にならなかったかもしれません。またADHDに関する調査では、小1から高3までの人数を追っていくと、年齢が上がるごとにその割合は劇的に減っていくのだそうです。ADHDが持つ衝動性、多動性を成長とともに抑えられたり、そもそも小学校の低学年男子は元気な子が多いので、その普通の元気さがADHDと間違われたりする可能性も否定できません。
尾上 本書で引用されている、養老孟司さんの「畑では障害にならない」という言葉も印象的です。
黒坂 その子自身は変わっていないのに、教室にいるか、畑で農作業をするか、と環境が変わるだけで見え方は違ってくるんですよね。
尾上 周囲の捉え方が違うともいえますね。発達障害に必要なのは治療ではなく対応ということでしょうか。
黒坂 はい。ADHDには薬が効くという方もいますし、それも対応の1つです。ただ、まずは本人ではなく、環境や方法を変えていくのが重要だと思います。例えば、学習障害を持つ私の息子は、小学校4年生から教室にタブレットを持ち込んで板書を写すことが認められました。それまでは板書を書き写すことにすべてのエネルギーを使っていて授業の内容まで頭に入りませんでしたが、そこにかける労力がぐっと減ったので、授業をきちんと聞けるようになりました。
尾上 なるほど。
黒坂 本人は変わらないのですが、道具や方法を変えただけで、普通学級で授業を問題なく受けられるようになったのです。本人を変えようとしてもできることは見えづらいのですが、周囲が変わり、子育てであれば親が変わると、合う道具を見つけよう、やり方を変えよう、環境を工夫しよう、とできることがたくさん出てくると思います。
また、ADHDの場合は頭の中で考えていることもどんどん動くので、アイデアが次から次に浮かんでくるという人も多いです。そういうプラスの面もあるので、その個性を仕事に取り入れ、何かを創造することにも生かせます。
「発達障害」と「定型発達」
尾上 本書では発達障害と比較して、普通の人のことを「定型発達者」と書かれています。そもそも、定型発達者でも得意・不得意はあるものですよね。
黒坂 そうですね。本書を作ることは、「定型発達って何だろう」と考えるきっかけにもなりました。例えば、たまたま今の日本社会の中では、発達障害といわれる人たちは個性が強く、色として強いので浮き上がってしまうのかもしれない。でも実は、単に多数派、少数派の話なのではないかとも考えられます。
発達障害の人だけが集まる場面では、定型発達の人たちが少数派になります。そういう場では、「定型発達の人たちのほうが空気を読めない」と、発達障害を持つ当事者であり、研究者でもある横道誠先生がおっしゃっていました。発達障害が脳の個性だとすると、「自分の個性って何だろう」「自分は個性を殺して生きているのかもしれない」「今の社会や会社、学校の『普通』って何だろう」と考えるきっかけにもなります。
尾上 なるほど。ますます「脳の個性」という言葉を考えさせられます。
黒坂 ただ、本のカバーにそう書くことには、実はすごく迷いました。「その個性が強過ぎるからつらい」という人もたくさんいると思います。とはいえ、多くの人にインタビューして得た結論としては、この言葉が一番ぴったりくると思っています。
文/三浦香代子 構成/山崎 綾、市川史樹(日経BOOKプラス編集)
