母親は入院中、父親は熊本の実家で一人暮らし。東京を拠点とする如月サラさんはある日、父親が実家で亡くなっていたという知らせを受けます。悲しむ暇もなく、やるべきことが次々と押し寄せる日々。多くの人に起こりうるそんな状況をつづった『父がひとりで死んでいた 離れて暮らす親のために今できること』の著者・如月さんに、その舞台裏を伺います。今回は1回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)
父は元気だと思い込んでいた
尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 今回は『 父がひとりで死んでいた 離れて暮らす親のために今できること 』を取り上げます。ゲストには、著者の如月サラさんをお迎えしました。では、まずは自己紹介をお願いします。
如月サラ(以下、如月) 私は今、フリーでエディターをしています。以前は出版社に勤め女性誌の編集を22年ほどしていましたが、2017年に大学院への進学を機に退職しました。その後大学院在学中にエッセーを書き始め、本作は「日経xwoman ARIA」での連載をまとめたものです。
尾上 本作の導入部分では、まさにタイトル通りのことが起こったのですね。
如月 そうなんです。ある日東京で仕事をしていたら、「お父さんが死んでいた」と電話がありました。一人暮らしをしていた父親が実家で亡くなって、1週間たっていたんです。私の実家は九州の熊本県で、当時はコロナ禍もあり、1年ほど親には会えていませんでした。
尾上 お父様が亡くなられたのが2021年1月。当時、お母様は認知症の診断を受け、入院されていたんですよね。
如月 はい。母の容体が気になって病院にはしょっちゅう電話をかけていたのですが、実家にいる父は元気にやっているものだと思い込もうとしていたんです。母について「少しずつ元気が出てきた」という病院の知らせに喜んでいたところ、一人暮らしをしていた父はだんだん弱って、亡くなってしまいました。
尾上 私自身も、頻繁に親に連絡するかというと、そうでもないかもしれません。
如月 特に用事があるわけでもなく、元気でいてくれればそれでいいという距離感の方は多いと思います。地方から出てきて東京で暮らしている友人からも「そんなにしょっちゅう親に連絡はしないよ」とよく聞きます。でも、80歳を過ぎた親はいつ急激に弱ってもおかしくないと、今は反省しています。
実家の近所に叔母が住んでいて、よく様子を見に行ってくれていたんです。その叔母から「お父さん、普通に元気そうだったよ」などと聞き、大丈夫なんだと思っていました。父の体調が悪化した当時、年末年始ということもあり私は1カ月近く電話ができなくて、その間の出来事だったんです。
尾上 急な訃報に、相当驚かれたのではないでしょうか。
如月 実は、なんとなく予感はしていたんです。毎月、母の入院費を父が支払ってくれていて、そのタイミングで私が電話をするのを交流手段にしていたのですが、家にかけても、父の携帯にかけても出ない。その時に嫌な予感がして、訃報を聞いて「ああ、やっぱり」と。
とはいえ、やはり驚き、動揺しました。東京の自宅で仕事をしていたところに警察から電話がかかってきて、「どうすればいいんだろう」という混乱がまず先に立ちました。今、手元には仕事がある。夕方の4時。実家に行くなら飛行機を予約しなくちゃ。今日か、明日か。飼っている猫はどうすればいいのか。お葬式を向こうでするとなると1週間は留守にする。その間の仕事はどうすればいいのか──ということが一瞬で頭を巡ったんですが、結局何も手につかず、ただ家の中をぐるぐる歩き回ってしまいましたね。
尾上 確かに、短い時間で一気にいろいろな対応をしないといけませんよね。
如月 母は入院しているし、お葬式はすべて私一人でやらなきゃいけない。その重圧が一気にのしかかってきて、何をしていいか分からないという状態でした。
当たり前の悲しみが呼んだ共感
尾上 警察から連絡がきて、「お父様」ではなく「ご遺体」と告げられたというくだりが印象的です。
如月 「ご遺体は署で預かって、明日司法解剖します。明日の午前中にご遺体を引き取りに来てください」と言われて、「いや、さっきまでお父さんは生きていると思っていたのに、ご遺体と言った?」という感じでした。
尾上 それで、とにかく駆け付けたんですね。
如月 はい。すぐに1週間の休みを取るための段取りを付け、翌朝一番の飛行機で。もし、父が入院していて、だんだんとみとりの時期が近づいてくるのなら心の準備もできたかもしれないと思うんですけど、急な変化に心がついていけませんでした。
尾上 そこから怒濤(どとう)の日々がどのくらい続いたのですか。
如月 もう、年始から5月ぐらいまでの記憶がほぼないんです。庭にハナズオウという紫色の花をつける木があって、3月に帰省した時すごくきれいに咲いていたのを見て「人がいなくても、花は咲くんだな」と思ったことだけは覚えているんですけど。
尾上 本書のベースとなったエッセーを「note」につづられています。これを書いていたときは、どのような気持ちでしたか。
如月 私にとって、ものすごく重く悲しいことで、でもそれを分かち合う家族がいなくて。父が亡くなったことを母には伝えないように、というドクターの指示もありました。自分でも抱え切れないことを誰に受け止めてもらえばいいんだろう。友達に話すのも重過ぎる。それなら「note」に書いて世間の人たちに少しずつ私のこの気持ちを受け止めてもらえたら、少しは楽になれるんじゃないかなと思いました。
「私はこんなことがあってつらかった。今、1カ月たってなんとかやっているよ」と8000文字くらいで書いたら、気持ちがだいぶ整理できました。その翌朝起きたら、すでに数万ビューという状態で、すごく驚きましたね。
尾上 それは驚きますよね。
如月 驚いたのと同時に、不思議にも思いました。親を亡くすのは、多くの人が経験することです。私と同年代の知り合いでも、親御さんを亡くしている人がいます。そのような当たり前の悲しみが、なぜ何万人もの人に読まれたのだろう、と不思議に思ったのです。
構成/三浦香代子
