不安で不安定な時代に、経済学は何ができるのか? 生活困難に陥った人々を政府はどう救済すべきか? 現代が抱える社会問題に対して、経済学にできることを真正面から問いかける、希望の書。ノーベル経済学賞受賞者による著作『絶望を希望に変える経済学』が、待望の文庫になりました。編集担当の石純馨さんと、本書の読みどころや楽しみ方を掘り下げます。今回は1回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)

尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 今回から、アビジット・V・バナジーさんとエステル・デュフロさんの著作『 絶望を希望に変える経済学 』(日経ビジネス人文庫)を取り上げます。ゲストには、編集担当の石純馨さんにお越しいただきました。では最初に、石さんの自己紹介をお願いします。

石純馨・日経BP(以下、石) ご紹介ありがとうございます。私は新卒で日経BPに入社して2年目(収録当時)で、何が得意なのかを考えながら、今はいろいろな分野の本を担当しているところです。翻訳書に携わったのは、本書が初めてです。

著者のアビジット・V・バナジーさんとエステル・デュフロさんは2019年、「世界的な貧困を削減するための実験的なアプローチ」が評価され、ともにノーベル経済学賞を受賞しました/画像クリックでAmazonリンクへ
著者のアビジット・V・バナジーさんとエステル・デュフロさんは2019年、「世界的な貧困を削減するための実験的なアプローチ」が評価され、ともにノーベル経済学賞を受賞しました/画像クリックでAmazonリンクへ

尾上 これまでは、どのような本を担当されてきたのですか。

 入社して最初に担当したのは、2023年に刊行した『パウエルFRB 迷走の代償』です。「記者の方が本を書きたいそうですよ」という話があって、はじめは先輩編集者と一緒に進め、その後のやり取りや作業は基本的に1人で担当しました。

 この本は、米国の金融状況や、米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長の周囲で起きている人間ドラマ、いつどのように金利を上げ下げするのかという駆け引きなどを、日本経済新聞の現地記者が取材してまとめた本です。著者であるワシントン支局首席特派員の高見浩輔記者は、普段はもちろん新聞記事を書かれている方ですが、この本では読み物として面白くなるように書いてくださいました。

尾上 石さんはもともと金融や経済が得意分野だったのでしょうか。

 そこまで得意とはいえないのですが、実は大学では経済学部にいて、そこで経営学のゼミに在籍した後、社会心理学に興味を持ってその分野の大学院に進学しまして。学部で学んだ経済学や経営学と、院で学んだメディア研究が合わさって、現在はこうした本を作る仕事をしているのかな、という感じです。

著者ふたりはノーベル経済学賞受賞者

尾上 今回紹介する『絶望を希望に変える経済学』は、単行本を文庫化したものなのですね。

 はい。単行本が刊行されたのは2020年5月で、まさに新型コロナウイルスの流行で多くの人が不安を抱えている時期でした。原書が出版されたのは、その前年の2019年です。

尾上 原書自体が刊行されたのはコロナ禍の直前だけど、世界的には混沌の予兆があったということでしょうか。

 著者たちが執筆し始めたのはもっと前だと思うので、必ずしもコロナ禍を意識したわけではないですが、結果的に、そうした不安を感じている時期に読みたいと思ってもらえる本になったのかなと思います。

尾上 『絶望を希望に変える経済学』は、とてもいいタイトルだと思いました。原書のタイトルは『Good Economics for Hard Times』で、意味合いはそれほど変えていないのですね。本書の著者はどのような方々なのでしょうか。

 著者のアビジット・V・バナジーさんとエステル・デュフロさんは、「世界的な貧困を削減するための実験的なアプローチ」が評価され、2019年にノーベル経済学賞を受賞した著名な経済学者です。基本的に、発展途上国の経済問題を分析する、開発経済学という分野を専門にされています。

尾上 このお2人は、夫婦だそうですね。

 そうなんですよ。バナジーさんはインド出身ということも関係して、特に発展途上国の課題に関心が高かったのではないかと。デュフロさんは、バナジーさんに師事して多くの共同研究などをされ、現在はご夫婦という関係です。

一般的な“経済学の本”とは一線を画す

尾上 デュフロさんは1972年生まれで、ノーベル経済学賞の受賞当時は46歳。最年少の受賞でしたね。そして本書には、発展途上国の話だけでなく、2人がいらっしゃるアメリカの話もたくさん出てきます。

 はい。著者2人の主な研究テーマは発展途上国に関するものですが、本に書かれているように、先進国や富裕国が直面している問題は発展途上国における問題とよく似ている、という気付きが本書の執筆動機にもなっています。

尾上 実際に本書の中にもそういったケースが紹介されていますね。ところで経済学というと、経済を発展させるメカニズムなどの学問というイメージがありますが、本書で取り上げられているのは、原書のタイトルにもある「Hard Times」──困難な時代についての話が多いですね。例えば、貧困や紛争、環境問題、移民問題などがテーマとして取り上げられています。いわゆる一般的な経済学の本とは、少し趣が違う印象ですね。

 そうかもしれません。経済学では、例えば需要・供給曲線や自由貿易における比較優位の図のように、人々が賢く行動することを前提にモデルを作りますよね。それは、まず分かりやすい図にしてみて、現実とどうズレているのかを考えるということだと思うのですが。

 でも現実社会には、人々の心理や、あまり賢いとはいえない判断などが入り込んでいます。つまり現実は、図のように分かりやすくはなっていない。それはどうしてなのかを深く掘り下げ、データで示しながら説明している点が、一般的な経済学の本とは少し違うところだと思います。

尾上 経済学は基本的に、人が合理的に行動することを前提とした考え方ですよね。でも実際は、合理的な行動をしないことも多いわけです。現実はどうなのか、そこに対して経済学や経済学者はどう向き合うかというのも、この本で示されている、と。

 ただ、本書はボリュームもあるし、内容が少し難しいのではと思ってしまうのですが、いかがでしょう。

 私自身、経済学にあまり自信がないのですが、本書はすごくやさしい表現で書かれていて読みやすいと感じました。大学生なら誰でも、高校生でもちょっと背伸びすれば読めるのではないでしょうか。ですから、経済学をもう一度学んでみたい人や、貧困や環境問題に対して経済学はどう役立てるのかを知りたい人などには、本書をぜひおすすめしたいですね。

文/佐々木恵美 構成/山崎 綾、市川史樹(日経BOOKプラス編集)

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