マイケル・ポーターは、事業をまたがる活動にも着目し「水平(ホリゾンタル)戦略」と名付けました。ポーターの名著『 競争優位の戦略 いかに高業績を持続させるか 』(M・E・ポーター著/土岐坤、中辻萬治、小野寺武夫訳/ダイヤモンド社)を、岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

有形、無形の相互関係に着目

 ポーターは『競争優位の戦略』でバリューチェーン(価値連鎖)の枠組みをもとに、事業をまたがる活動にも着目しました。それを「水平(ホリゾンタル)戦略」と名付けています。それまでの経営学では、事業部をまたがる本社の戦略は事業ポートフォリオの管理にあるとされていました。ポートフォリオの管理とは事業の買収や売却・撤退を前提としています。

 しかし、それだけでは、相乗効果(シナジー)という考え方が希薄化します。実際、1970年代ごろまでは非関連事業を買収するコングロマリットが成長モデルとして注目されていました。しかし、コングロマリット型は事業の寄せ集めにすぎず、買収前より業績がよくなるという効果が出ませんでした。そこで、企業は関連性の高い事業に絞り込むようになり、事業間の相乗効果への関心も高まりました。

 ポーターは事業間の相互関係として、まず有形の相互関係を取り上げます。事業部をまたがってバリューチェーンの活動のどれかを共同化できれば、優位性を生み出せる可能性が出ます。次に無形の相互関係に着目します。無形のノウハウも事業横断で共有できれば、優位性につながることがありえます。3つ目は、競争業者の相互関係です。競争業者も似た分野に多角化している場合、他の事業への影響も考慮することが必要です。

 事業間の相互関係を生かして優位性を構築するには、事業をまたがったヨコ型(ホリゾンタル)の組織や仕組みが必要になるとポーターは言います。組織区分を大くくりにしたり、事業計画を立てる際に他事業との関係性を明記したりという工夫が必要になります。

 ちなみにポーターは、日本企業がこうしたヨコ型の組織運営にたけていると評価しています。日本企業の武器は、最初は低賃金、次に高品質・高生産性でしたが、将来は相互関係を基にした創造力が強みになるだろうと、1985年当時のポーターは記していました。

ポーターは事業間の相互関係にも着目した(写真/Shutterstock)
ポーターは事業間の相互関係にも着目した(写真/Shutterstock)
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シナジーと水平戦略

Q 水平戦略とシナジーは同じことですか?

A ポーターは本書の中で、1960~70年代のコングロマリット的な多角化に関して、「シナジーはアイデアはよいけれども、実際には発生しなかったようだ」と評しています。そのころの多角化というのは、企業買収を繰り返すことによって、株式投資家に「きっと高成長するはずだ」という期待を持たせ、株価を釣り上げるという事例が多かったと言われています。

 企業を買収するには、その時点での株価よりも高い価格で買うことになるのですが、その価格差(プレミアムと呼ばれる)を正当化する論拠として、「シナジー」という言葉がもっともらしく使われていました。しかし、コングロマリットの多くは、期待ほどには業績を上げられず、株価も低迷し、せっかく買収した企業を次々に売却して、解体されていきました。

 コングロマリット型の多角化が失敗に終わって以降、欧米企業の間では、事業ポートフォリオという考えが広まりました。事業の競争力(成長性や利益性)を個別に評価する「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」という考えが登場したのも70年代です。この考えにおいては、各事業は独立した存在であり、事業間の重なりが起きないようにして、事業の業績(および事業部長の責任)を明確化することが重視されました。そのため70年代には、シナジーという概念への注目度も下がっていきました。

 シナジーという言葉は、「複数の事業間で生じる何らかの好影響」を漠然と表す言葉として旧来は使われていました。それに対して、85年にポーターが主張した水平(ホリゾンタル)戦略とは、複数の事業のバリューチェーンのどことどこが作用して、低コスト化もしくは差別化を強めるのかを、具体的に特定しようとする枠組みなのです。

「事業ドメイン」の概念

Q 水平戦略は「事業ドメイン」という考えとは違うのですか?

A 欧米企業では事業ポートフォリオという概念が定着したのですが、日本企業にはあまりなじみませんでした。ポートフォリオという言葉は株式投資などにも用いられる言葉で、入れ替えが可能な銘柄の組み合わせという意味で使われています。つまり、事業をいつか売却しうるということが前提になっていて、そのために事業間の重なりが起こらないように事業部の業務を切り分けていました。

 欧米では買収によって多角化を指向した企業も多く、もともと別会社だったものを事業部としたので、他の事業との重なりがないことも一般的でした。

 一方、日本企業の多角化は、社内にもともとあった事業の隣接領域に自前で進出するというタイプが主流でした。このため、元の事業との境界があいまいで、たとえて言うなら「増築を重ねた温泉旅館」のような状態です。これでは、事業を切り出して売却するのも大変ですし、ポートフォリオとは呼びにくかったわけです。

 「事業ドメイン」という概念は、80年のデレク・エーベルの著書『 事業の定義 戦略計画策定の出発点 』(現在は新訳が販売中。石井淳蔵訳/碩学舎)によって提唱されたと言われています。顧客、機能、技術という3つの次元で共通性の高いくくりを、事業の単位と呼ぶべきであるという主張です。この主張は、日本企業にとって受け入れやすいものでした。顧客、機能、技術のどれかが共通していればわが社が進出すべき領域であるという解釈ができるからです。事業ドメインという用語は欧米の経営学の文献ではあまり登場しないのですが、日本の経営学では非常にポピュラーな用語となりました。

 事業ドメインの代表例と言われたのが日本のNECによる「C&C」(コンピューター&コミュニケーション)です。これは77年に打ち出されたコンセプトで、当時は別の事業と考えられていた計算機と交換機の両方に強みを持っていた同社が、この2つを包含・融合した領域を将来目指すとしたのです。ポーターは『競争優位の戦略』でこのC&Cを取り上げ、事業間の相互関係を活用した戦略として高く評価しています。

 つまり、事業間の重なりをなくすという事業ポートフォリオの考えではなく、事業間の重なりを有効活用しようという事業ドメインの考えの方が、ポーターの言う水平戦略に近い考えとなります。日本企業のいう事業ドメインは、漠然とした共通性を指す場合が多いのですが、それをバリューチェーンの具体的な要素間の連携と定義したのがポーターの枠組みなのです。

水平戦略の成功例か、買いかぶりか

Q 日本企業の多角化は、水平戦略の成功例と言えるのでしょうか?

A ポーターは、日本企業における事業間の相互関係の強さに関して、「日本はその独自の歴史のなかで、多角化会社を、タテ組織とヨコ組織の絶妙のバランスをとって運営する力を身につけてきたようである」と本書で記しています。

 これは若干、買いかぶりのようにも思えます。日本企業では、事業部門の責任範囲が曖昧にされているために、事業部門長の判断で隣接領域に勝手に進出できてしまいます。例えば、売り上げ目標が達成できなさそうな場合、新領域に出て売り上げを積み上げるという行動です。既存事業の経営資源を流用できるので初年度からある程度の利益も生むことができ、事業部としては売り上げも利益も増えたことになります。

 この副作用としては、隣接事業の利益率が本来の事業よりも低くなることが多いために、事業部の売り上げと利益が増えても、利益率は低下しがちという点があります。そのため、ポーターが重視する「高いマージン」の実現には必ずしも寄与しないという結果になりやすいのです。

 とはいうものの、関連性の低い事業を買収して、シナジーを考慮せずに独立的に運営する欧米的なポートフォリオ管理よりは、日本的な多角化の方が、ポーターの言う水平戦略に近く、それがうまく作用すれば高マージンを狙える可能性もあることは確かです。

 ポーター流のバリューチェーンの考えにうまく当てはまりそうな事例として、キヤノンを考えてみましょう。

 もともとカメラメーカーとして1930年代に創業した同社は、60年代に電子卓上計算機を手始めに事務機の分野に進出し、70年には国産初の普通紙複写機を発売しました。ここまでは、精密・光学機械メーカーとしての技術的親和性を基にした多角化と言えます。

 事務機の分野でビジネスを行うには販路が必要になり、68年にキヤノン事務機販売が設立されました。コピー機においては、ゼロックスの大型機との競合を避けて小型機を強みとしたのですが、そうなると中小企業への販路が必要になり、キヤノン販売(71年にキヤノン事務機販売などを母体に発足。現在はキヤノンマーケティングジャパン)は全国に営業所を開設していきます。

カメラメーカーとして創業したキヤノンは事務機の分野に進出した(写真/Shutterstock)
カメラメーカーとして創業したキヤノンは事務機の分野に進出した(写真/Shutterstock)
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ポーターの「5つの力」を駆使

 その後、キヤノンはワープロやファクス、プリンターなども開発するようになり、キヤノン販売はそうした商品も併売するようになりました。その一方で、キヤノン販売は83年に米アップルと販売提携して親会社以外の商品を売るようになり、また85年には米IBM、86年には米ヒューレット・パッカードとも提携しました。

 全国に販路と顧客ベースを持つキヤノン販売は、外資系企業にとって理想的な提携相手だったのでしょう。外資系企業としては、ライバルの商品を同時には扱ってほしくなかったはずですが、そのデメリットがあってもなお、同社と組みたかったということになります。

 この多角化は、バリューチェーンでいうと、販売・サービスの拠点網の強みを生かして、親会社製品(主にコピー機)だけでなく、外資系のワークステーション(当時の呼び名)なども販売するというものでした。

 その後、コンピューター業界では米マイクロソフトの基本ソフト(OS)「ウィンドウズ」が大半を占めるようになり、ハードウエアはどこのメーカーでもよいという時代になりました。キヤノンマーケティングジャパンは、その初期から、今でいう「マルチベンダー」(多数のメーカーの商品を扱う販売店)戦略を実現できていたことになります。コピー機やプリンターの分野においては自社グループの製品を販売しますが、コンピューターの分野では、顧客のニーズに合わせて最適なメーカーの商品を選択して販売できる立場になるのです。

 さらに言うと、コンピューターメーカーに対する交渉力が強まるので、有利な価格条件で仕入れることも可能になります。まさにポーターの「5つの力」(「 『競争の戦略』 “5つの力”でもうかりやすい陣取りに 」参照)をうまく使っていることになります。

バリューチェーンに差別化の源泉を持つ

 外資系コンピューターメーカーから見ると、キヤノンマーケティングジャパンは、もはや不可欠の重要なビジネスパートナーになっています。日本IBMは2002年に販売チャネルの再編を行い、キヤノン販売など約10社をVAD(バリュー・アディド・ディストリビューター)と名付けた一次代理店に選びました。その他の代理店の多くはVADを経由して取引を行う二次代理店になり、それまで日本IBMが担っていた代理店支援の役割をVADが肩代わりする体制になったのです。

 他のメーカーの機器も販売する会社に対し、それほどまでの役割をIBMが期待するということは、キヤノンマーケティングジャパンの存在感がそれだけ大きいということでしょう。ポーターは、製品のみの差別化は模倣にあいやすく、バリューチェーンに差別化の源泉が多数ある方が持続的な競争優位につながりやすいと論じていますが、キヤノンが販売・サービス面での強みを軸にIT(情報技術)サービス事業を展開しているのは、まさにポーター的な水平戦略と言えるでしょう。

『競争優位の戦略』の名言
『競争優位の戦略』の名言
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